07 湖が生まれた
食糧が尽きたら、その辺のエリキシル草を摘み取って、また町に売りに行く。
たまにプニガミに体を洗ってもらえば、清潔さも保てる。
そんな生活を一ヶ月ほど続けたアイリスは、これが自分に最も適した生活であると気がついた。
「人間との交流は最低限……衣食住の心配は無用……満足いくまでぐっすり眠れる……景色は綺麗……ああ、なんて素敵なニートライフ! 私、未来永劫、こうして暮らすわ!」
「ぷにー」
プニガミは「そんな上手くいくかな?」と懐疑的だった。
しかし、アイリスは何の心配もしていない。
エリキシル草は減るどころか、日々増えている。
草むらそのものが、教会の周りから丘の下まで広がりつつある。
そう。
アイリスはここでゴロゴロしているだけで、荒野に緑を取り戻しているのだ。
環境に貢献している。
誰からも責められるいわれはない。
むしろ褒められてもいいくらいだ。
などとアイリスが自己肯定しながら自堕落な生活を送っていた、ある日の朝。
「ぷにー! ぷにー!」
プニガミの大声で目を覚ます。
いつの間にか、教会の床で寝ていた。
きっと寝ている間に転がり落ちたのだろう。よくあることだ。
「うーん……何よプニガミ。朝からそんな大声出して。普通に朝起こすとか……私に規則正しい生活を送らせようとしても無駄な努力よ?」
「ぷーに!」
どうやら、別に規則正しい生活を送らせたいわけではないらしい。
プニガミは、とにかく教会の外を見ろと訴えてくる。
「荒れ地が草むらに変化した以上のことが起きたの? 言っておくけど、ちょっとやそっとじゃ驚かないわよ」
「ぷにー!」
「はいはい。そんなに言うなら行くわよ。まだ寝たりないのに……もう」
アイリスは目をこすりながら、ぷにぷに走るプニガミの後ろをトボトボと追いかける。
そして教会の外に出た瞬間。
重かったまぶたを見開き、驚きのあまり息をするのも忘れるほど固まった。
もう眠いなどと言っていられない。
いや、逆にまだ眠っていて、これは夢なのではという疑惑すらでてくる。
教会を中心に草むらが広がりつつあったのは確かだ。
昨日の時点で、草むらは丘の下まで辿り着き、廃村を飲み込もうとしていた。
だが、しょせんは草が生えているだけだ。
今、アイリスの目の前に広がっている光景は、そんな微々たる変化ではない。
廃村が消滅していた。
そして、廃村があった場所は陥没し、大きな湖になっていた。
その周辺には草原が広がり、草だけでなく色とりどりの花が咲き誇っている。
美しい蝶も飛んでいた。
「ん? んんん? どういうこと、これ?」
「ぷにー」
自分だって知らないよ、とプニガミは言う。
「ぷーに」
「どうせ私の魔力のせいだろって? まあ……他に考えられないけど……それにしても一晩でこんな……」
「ぷにぷに!」
「一晩じゃない? あ、私、また三日連続で寝てたんだ。いや、三日にしても凄い変化だけど……」
「ぷに!」
「プニガミ、湖で泳ぎたいの? そうよね、スライムだから水分大好きだもんね。じゃあ私も泳ぐわ!」
アイリスとプニガミは並んで丘を駆け下りていった。
プニガミはそのまま減速せず、ぼちゃんと湖に飛び込んでしぶきを上げる。
アイリスは服を脱いで全裸になってから飛び込んだ。
「あはは、冷たくてきもちいー」
「ぷにー」
湖はとてつもなく透明度が高く、底までハッキリと見える。
岸は浅く、アイリスの肩くらいまでしかないが、真ん中のほうはかなり深い。底に廃村が沈んでいた。
出来たばかりの湖なので、まだ魚の姿は見当たらない。
「この水って、地下水脈が吹き出してきたのかしら? そのうち溢れ出して、川も出来るかもね」
「ぷにー?」
「川が海まで繋がったら、イカダを作って下ったら楽しそう! あ、でも途中で人間と出会ったりしたら嫌だし……やっぱり引きこもろう……」
「ぷにぃ」
プニガミはイカダで川下りをしたいようだ。
しかし、お外は危険で一杯だ。
いや、実際はさほど危険ではないのだが、アイリスにとっては、人間と不意に出会うだけで大ピンチなのである。
「プニガミ。あなたの上にのせて。ひなたぼっこするわ」
「ぷーに」
水に浮かんだプニガミの上で、アイリスは仰向けに寝そべる。
初夏の太陽がポカポカと光を注いでくれた。
プニガミはそよ風が吹くたび、水面をゆらゆらぷにぷにと漂う。
なんて、心地よい時間だろうか。
アイリスはうっとりと青空を見つめる。
すると、空の彼方から「ぎゃおーーん」という甲高い咆哮が聞こえてきた。
何だろうと、その方角を見てみると、赤いドラゴンがこちらに向かって飛んで来るではないか。
「……あれって、前に追い出したドラゴンかしら?」
追い出した、と言ってしまうとアイリスが悪者に聞こえてしまう。
だが、アイリスはちょっと教会に住まわせてくれと頼んだだけであり、ケンカを売ってきたのは向こうだった。
そして、いきなり踏み潰そうとしてきたので、押し返しただけ。
正当防衛だろう。
しかし、痛い思いをさせてしまったのは確かなので、謝ったほうがいいかもしれない。
「おーい、ドラゴンさーん。この前はごめんねー!」
アイリスはプニガミの上で上半身を起こし、手を振りながら叫んでみた。
するとドラゴンは「ぎゃおーーん」と言いながら高度を下げ、湖の岸に着地した。
「……ど、どうなっている!? なぜ草原が? こんな大きな湖まで! お前、私のねぐらに何をしたんだ!?」
ドラゴンはかなり焦った様子でアイリスに問いかけてくる。
無理もない。
本当に凄い変わり様だ。
「うーん……教会でゴロゴロしてたら、いつの間にかこんなことに……」
「そんなわけあるか!」
ところが、そんなわけあるのだ。
この世は不思議で一杯なのである。
「信じてー」
「ぷにー」
「信じられん……あと、そのスライムは何だ?」
「井戸の底で干からびてたんだけど、地下水脈をいじって井戸を復活させたら、井戸水を吸って生き返ったの。名前はプニガミ」
「ぷに!」
「地下水脈をいじっただと……? やっぱりゴロゴロしていただけじゃないだろうが!」
「言われてみればそうね……」
「やめろよ! 人の寝床、勝手にいじるのやめろよ!」
ドラゴンは涙声になり、地団駄を踏んだ。
なんだか可愛いなぁ、とアイリスは思ってしまう。
やはり女の子なのだろうか。
外見からは分からない。
そして体が大きいので、地団駄を踏むという子供っぽい動きでも、地面が揺れてしまう。
湖にさざ波が立ち、プニガミが流されていく。当然、その上に乗っているアイリスも流されていく。
「こら、逃げるな!」
「逃げてないわよ。あなたが波を起こすから流されてるのよ」
「くそ……そうやって私を馬鹿にして……もう許さんぞ。前の私とは違うんだからな! 山ごもりして修行してきたんだ! 喰らえ、ドラゴンブレス!」
ドラゴンの喉から赤い魔力の光が溢れ、続いて激しい炎がアイリスとプニガミめがけて吐き出された。
確かに、前よりも炎が激しくなっている。
しかし、アイリスに通用しないことに変わりはない。
「えーっと……氷結!」
アイリスは湖の一部を凍らせ、氷の壁を作った。
絶対零度に近い、超低温。
修行したドラゴンさんのブレスでも防いでしまう。
「な、なにぃ!? 何で融けないんだ! こっちは炎だぞ! 氷は炎で融けるものだろうが!」
「そう言われても……火力不足としか」
「ふざけるな! お前が作った氷が非常識すぎるんだ! もう怒った! その氷の壁でぺちゃんこにしてやる!」
「まあまあ、そんな顔を真っ赤にしなくても」
「もともと赤いんだよ!」
ドラゴンはそう叫び、氷の壁に体当たりしてきた。
壁を倒して、アイリスに叩き付けようとしているのだろう。
が、ドラゴンブレスでも融けなかった氷の壁だ。
一度や二度の体当たりではビクともしない。
「つ、つめたーい! 冷たすぎるぞこの壁! あ、しかも皮膚がくっついた……取れない! いだだだだウロコ剥がれる! とってー、これとってー!」
ドラゴンは氷の壁に張り付き、動けなくなっていた。
可哀想に。
少しずつ凍り始めている。
「取ってあげてもいいけど……私がここに住むのを認めてくれる?」
「認める! 認めるからとってー!」
「分かったわ。えいっ」
アイリスが指パッチンすると、氷の壁はあっという間にただの水に戻り、ざばーんっと音を立て湖に落ちる。
壁が急に消えたからか、ドラゴンも倒れ、湖にどばーんと落ちる。
アイリスとプニガミは全身で水しぶきを浴びた。
「あはは、たのしー」
「ぷにぷにー」
ドラゴンが起こした大波のせいで、アイリスたちは岸まで流されていく。
水面を滑るのがこんなに面白いなんて知らなかった。
次は自分で波を起こして滑ってみよう。
「くっそー……また負けた! 次は絶対に勝つからな!」
湖から顔を出したドラゴンは、キンキンうるさいくらいの大声で叫んだ。
「次って……私がここに住むのを認めてくれるんじゃなかったの?」
「勝手に住めばいい! しかし勝負はまた別だからな! 人間なんかより、ドラゴンのほうが強いんだぞ! ばーか、ばーか。この真っ裸!」
などと捨て台詞を吐いて、ドラゴンは空へと飛んでいく。
「いやいや、私人間じゃないし……というかドラゴンだって服着てないじゃん。真っ裸じゃん! ねー、どうせなら一緒に暮らしましょうよー」
と、アイリスはツッコミを入れてみたが、ドラゴンは既に空の彼方だった。