52 ぺろぺろ祭り
神意大教団の異端審問官ケイティ・アストリーは、王都にある本部で、資料を漁っていた。
探しているのは、シルバーライト男爵領の記録だ。
しかし本部の資料室はろくに整理されていないし、シルバーライト男爵領は無名の田舎。おまけにこの二百年間、忘れ去られていた土地なので、資料を探すのが大変だった。
だがケイティはついに、シルバーライト男爵領の記録を集めた、薄っぺらいファイルを発見した。
なんでも、初代シルバーライト男爵は凄腕の騎士で、凶暴化したモンスターを倒した功績を認められ、三百年前に爵位と領地を与えられたらしい。
かつてのシルバーライト男爵領は、リンゴ栽培が盛んだったという。
隣のカニングハム子爵領は更に古くからリンゴを特産としていたが、シルバーライト男爵領のリンゴの評判に押され、売上が落ちてしまった。
しかし、ある年から、シルバーライト男爵領は天候不順が続き、リンゴが採れなくなってしまった。
それどころか井戸が涸れ、人が住めない土地になり、今に至る。
おかげで隣のカニングハム子爵領は、リンゴの売り上げが元に戻った。
「怪しい……とても怪しい!」
ケイティは資料室でファイルを睨みながら、メガネを光らせた。
ケイティの勘では、カニングハム子爵領に何かがある。
しかし何があるのかはサッパリ分からないので、現地に行って調べる必要がある。
そして一人で調べるのは不安なので、シルバーライト男爵領の人たちに協力してもらおうと思い至った。
△
「――というわけで来ました」
「そうなんだ。もうちょっと早く来てたら、一緒にうどんを食べにいけたのに」
「はい? うどん?」
「あ、ケイティ、うどん知らないんだ。おくれてるぅ」
アイリスはベッドに寝転んだまま、適当な言葉を投げかけた。
教会の長椅子に座っていたケイティは、きょとんとした顔をする。
「ぷにぷにに」
いつものようにアイリスの抱き枕になっていたプニガミは「君だってワガカ村に行くまでうどんを知らなかったじゃん」と面白みのないツッコミを入れてきた。
しかし、いつ知ったかは問題ではないのだ。
重要なのは今。
アイリスはうどんを知っていて、ケイティは知らない。
ゆえにアイリスは、うどんに関して威張ることができるのである。
「そんなうどんなんて聞いたこともない食べ物で威張られても困ります。それよりもリンゴですよリンゴ!」
「リンゴも美味しいけど、チョコ食べたいなー」
と、同じくベッドでゴロゴロしていたイクリプスが呟いた。
「はーい、チョコですよー」
ベッドに腰掛けていたシェリルが、ポケットから板チョコを取り出した。
「わーい。もぐもぐ……おいしー」
「ああ、イクリプスちゃんは本当に可愛いですね! チョコレートを食べているイクリプスちゃんを食べちゃいたいです」
「私のこと食べても美味しくないと思うよー?」
「そうでしょうか? 試してみましょう。ぺろぺろ~~」
「ひゃあ、くすぐったいよぅ」
「ちょっとシェリル! 人の妹に何してるのよ!」
「ほっぺたぺろぺろです!」
「そんなの見れば分かるわよ! やめなさいって言ってるの!」
「分かりました。では代わりにアイリス様をぺろぺろします」
「へ? ちょ、やめ……ひゃあ、くすぐったい!」
「アイリスお姉ちゃんかわいいー。私は反対側のほっぺをぺろぺろするね」
「イクリプスまで!? 誰か助けてぇ!」
アイリスがベッドの上でジタバタしながら泣き叫ぶと、マリオンが教会の扉をバーンと勢いよく開けて駆けつけてくれた。
「アイリスどうしたの!? 今悲鳴が……って、どういう状況なのよ!」
「ご覧の通り、シェリルとイクリプスがぺろぺろしてくるのよぉ……」
「なんてうらやまし……じゃなくて、ヨダレまみれでばっちぃじゃないの! やめなさいよ!」
「だってアイリスお姉ちゃんが可愛い顔してたから……」
「そうです、そうなのです。私たちは悪くありません。アイリス様が可愛いのがいけないんです」
シェリルは真剣な顔で主張した。
「うーん……言われてみればそうかも……?」
マリオンは首をひねりながら、自信なさげに呟く。
「いや、押し切られないでマリオン! シェリルの言ってることは詭弁だから! 私を助けてぇ!」
「あ、ごめん! 今助けるわ!」
我に返ったマリオンはベッドに飛び込み、シェリルを放り投げ、イクリプスを羽交い締めにした。
「むーむー。これじゃあアイリスお姉ちゃんをぺろぺろできないよー」
「しなくていいの! 姉ってのはぺろぺろするものじゃないのよ!」
「そうなのー? マリオンはアイリスお姉ちゃんのこと、ぺろぺろしたくないのー?」
イクリプスは無邪気な声で問いただす。
これがシェリルやジェシカだったら、からかうために言っているのだろうということになるが、イクリプスは純粋に聞いているだけだ。
だからこそ、それに答えるのは照れくさい。
「べ、別にぺろぺろなんて、し、したくないし!」
マリオンは裏返った声で答える。
「ふーん……」
イクリプスは疑わしそうな顔になる。
と、そのとき。放り投げられたシェリルが立ち上がり、マリオンの後ろに回り込んだ。そして尻尾を手に取り、その先端を舌でぺろり。
「うひゃぁぁぁ!」
「うーむ……これは嘘をついている味ですね」
「ほんとー? 私もなめるー」
「どうぞ、どうぞ」
「ぺろぺろ……わかんなーい」
「もっと舐めると分かるかもしれませんよ」
「そうなのぉ? ぺろぺろー」
イクリプスはシェリルの口車に乗って、マリオンの尻尾をぺろぺろし続けた。
「くすぐったいぃぃぃ! やめてぇぇ、お母さん助けてぇぇぇっ!」
マリオンは大声で泣き叫びながら教会から出て行った。
「あのぅ……そろそろボクの話、聞いてもらってもいいですか?」
今まで黙っていたケイティが、遠慮がちに聞いてきた。
アイリスは彼女の存在をすっかり忘れていた。
「……ずっといたなら、私のことぺろぺろから守ってくれてもよかったじゃないの」
「いや、ボクの力ではどうすることも……それに嫌だ嫌だと言いながらも、喜んでいるように見えたので……」
「よ、喜んでいるわけないでしょ!」
「ぷにぃ?」
プニガミまでもが疑わしそうな声を出した。
なぜ疑われるのだろうか。
ほっぺを舐められて喜ぶわけがない。
実際くすぐったくて嫌だった……嫌だったはずだ。
しかし考えているうちに自信がなくなってきたので、アイリスは話題を変え、ケイティの話を聞くことにした。




