49 うどん、とは
「……ここは、どこ?」
「そんなの知らないよー。アイリスお姉ちゃんが急に走り出すから迷子になっちゃったんだよー」
「ぷーに!」
「うぅ……ごめん……」
妹とスライムに説教され、アイリスは情けなさで一杯になった。
しかし落ち込んでいても状況は改善しないので、とりあえず現状を把握することに努める。
まず、ここは森の中だ。
広葉樹が生い茂り、草もぼーぼーだ。
そんなに長く走ったわけではないので、村の近くのはず。
だが、デタラメに走ったので、どっちに行けば雪だるまのところに戻れるのか分からない。
「ま、空を飛べるからいいんだけど」
「わーい、私たちべんりー」
木の上に出れば、あの巨大な雪だるまが見えるだろう。
つまり、まだアイリスたちは迷子ではないのだ。
よかったよかった、と安堵していると、近くの茂みからガサガサと音がした。
小動物でもいるのかな――なんて思い目を向ける。
しかし、現れたのはリスでもネズミでもヘビでもなく、人間の女の子だった。
「わぁぁぁっ! 人間だぁぁぁぁっ!」
アイリスは反射的に走り出しそうになる。が、プニガミがぷにんと動いて進路を妨害してくれた。おかげでアイリスは自分を見失わずに済んだ。冷静沈着にイクリプスの後ろに隠れる。
「……どうして隠れたの?」
人間の女の子は、アイリスに不思議そうな眼差しを向けてくる。
かなり小さい子だ。六歳くらいだろうか。
だが、見た目の割には落ち着いた雰囲気を出している。
少なくとも妹の後ろに隠れて怯えているアイリスよりは、どう考えても落ち着いている。
客観的にそう分析したアイリスは、悲しくなった。が、それでも妹の背中から出ることができなかった。
「アイリスお姉ちゃんは、初めて会った人にはいつもこうなんだよー」
「ふーん……変なの」
「私もそう思うー。へんだよー」
イクリプスが酷いことを言い出した。
可愛い妹に批判され、アイリスの心はすり減った。
これ以上ヤスリの如き言葉を浴びせられたら死んでしまうので、アイリスは勇気を振り絞って一歩前に出る。
脚が震えたが、何とか立っていられる。
「ぷにー」
プニガミも「偉いぞー」と褒めてくれた。
「ふ、ふふふ……どんなもんよ! そ、それで、あなたは、ど、どどうして一人でこんな森の中にいるのかしら……!?」
アイリスは女の子に質問する。そして、初対面にしては咬まずに言えたと自画自賛した。
「どうしてって、あなたは見てなかったの? さっき空に大きなドラゴンが二匹も来て……それでお父さんとお母さんと一緒に逃げたんだけど、森の中ではぐれちゃって……下手に動き回るとますます迷子になるかもしれないから、ここでジッとしていたの」
女の子はハキハキと答える。
小さいのに驚くほどしっかりとした考え方だ。
それにしても、彼女がここにいる原因が完全にアイリスたちのせいだったとは……。
謝っておかないと。
「ごめんね……」
「ぷにー」
プニガミも一緒に謝ってくれた。
いいスライムだ。
しかし残念ながらスライムの言葉はアイリス以外には伝わらない。
「何を謝ってるの?」
「いや、あの、その……」
アイリスはコミュ障を発揮し、口ごもってしまう。
代わりにプニガミが「ぷにぷに」と解説を始めたが、当然、伝わらない。
「あのねー。さっきのドラゴンはねー。マリオンとジェシカって名前で、私たちと同じ村に住んでるのー。私たちはその背中に乗ってきたんだよー。だからごめんなさいなのー」
なので代わりの代わりにイクリプスが説明した。
これは人間の言葉なので、ちゃんと意味が伝わる。
だが伝わっても信じてもらえるかどうかはまた別だ。
「ドラゴンの背中に乗ってきた? そんなこと人間にできるわけないでしょ」
確かに、人間にはできそうもない。
実際、シェリルは一人だとドラゴンの背中によじ登ることすらできないはずだ。
しかし、メンバーで人間なのはシェリルだけで、あとは魔族の生物兵器とか、土地の守護神とか、スライムとかの人外である。
それを口で説明したところで分かってもらえるとも思えないので、連れて行って見せたほうが早い。
「村の近くにそのドラゴンがいるから、私たちと仲がいいところを見せてあげるわ。あと、村にお父さんとお母さんが帰ってきているかもしれないから、一緒に行きましょう。もしいなかったら、探してあげるから」
「うーん……分かった。知らない人について行くのは不安だけど、あなたたちは無害そうな顔をしているから信用してあげる」
少女は澄まし顔で語った。
無害認定をもらったアイリスとイクリプスは、少女をプニガミの上に乗せ、ぷにぷにと運ばせる。
「あ、雪だるまがどっちにあるのか確認しないと」
「ぷにー」
「え、プニガミはちゃんとどっちから来たのか覚えてるの? じゃあ道案内お願いね」
「ぷーに!」
プニガミは少女を乗せ、自信満々に森を進んでいく。
そして五分も歩くと、本当に雪だるまのところに辿り着いた。
さっきはぐるぐると適当に走ったから分からなかったが、直線距離にすると思っていたよりも近かった。
「わー、凄い! 白い! おっきいい! 何これ!」
落ち着いた印象の少女だったが、雪だるまを見た途端、プニガミから飛び降り、目を輝かせて走り出した。
そして唖然とするマリオンやシェリルを無視して雪だるまに触れる。
「冷たっ! え、これどうなってるの? 何でできてるの?」
どうやら少女は、雪を生まれて初めて見るようだ。
冬でもこんなに暑い地方にいるのだから、当然かも知れない。
「ふふ。これは雪で作った雪だるまよー」
子供好きのジェシカが微笑みながら説明する。
「雪! 聞いたことある! 初めて見た! 何でこんなところにあるの!?」
「それは私たちが運んできたからよー」
「どうやって? こんな大きいのをどうやって?」
少女は大きな声で質問する。
好奇心旺盛な子供だ。
「実はねー、私、ドラゴンなのよー」
「えー、うそー」
「本当よー、ほら、へーんしん!」
ジェシカはドラゴンに変身し、ぎゃおーんと空に向かって吠えた。
「ね。ドラゴンでしょ?」
「す、凄い! 本当にドラゴンだった! 私のこと食べたりしない!?」
「食べないわよー。私の知り合いのドラゴンも皆、人間を食べたりしないわー」
「そうなんだ! 知らなかった!」
少女はわくわくした声を上げた。
「ちなみに、そこにいる赤い髪の子は、私の娘よ」
「へぇぇ、ほんとだ。頭にツノがある! 尻尾もある!」
そう言って少女はマリオンに後ろに回り込み、スカートをめくって尻尾を観察しようとした。
「ちょ、ちょっと! いくら何でも駄目でしょ、それは!」
マリオンはスカートを抑えながら逃げ、母親の前脚の後ろに隠れた。
「そんな可愛い尻尾をぶらぶらさせているのが悪いのじゃ」
「そうですね。実は私もマリオンさんのスカートをめくってみようと何度も思ったことがあります。それを実行に移すとは……誰だか知りませんが素晴らしいですよ!」
シェリルは少女に向かってグッと親指を立てた。
しかし言われてみれば、アイリスもまだ少女の名前を知らなかった。
ここらで互いに自己紹介しておくべきかもしれない。
「えーっと……私の名前はアイリスよ。こっちは妹のイクリプス。ぷにぷにしているのがプニガミ。アホっぽい顔してるのがシェリルで、のじゃーって言ってるのがミュリエル。今ドラゴンになったのがジェシカさんで、あなたがスカートをめくったのがマリオンよ」
ざっと自分たちを紹介する。
我ながら本当に大雑把な紹介だなぁと思ったが、それでも少女は分かってくれたらしい。
「アイリスにイクリプスにプニガミにシェリルにミュリエルにジェシカにマリオン……うん、覚えた! あ、私の名前はマルカっていうの!」
「マルカね。とりあえず、お父さんとお母さんを探しに村に戻ってみる?」
「うん。でも、戻ってきてるかなぁ?」
マリカは首を傾げた。
と、そのとき。
森のほうから複数の人の声が聞こえてきた。
アイリスは素早くプニガミの後ろに隠れつつ、様子を探った。
森の奥から、十数人の人間がぞろぞろと出てきた。
そしてジェシカを見て、ぎゃっと叫んだり、尻餅をついたりする。
だが、その中の男女二人が果敢に前に出てきた。
「マルカ!」
「大変! マルカがドラゴンに食べられちゃうわ!」
二人とも甲高い叫び声を上げた。
ドラゴンが飛来して命からがら逃げ出し、娘とはぐれ、ようやく再会したと思ったら、そのすぐそばにドラゴンがいた。
この上なく恐ろしい状況といえる。
「お父さん、お母さん。大丈夫だよ。このドラゴンは――」
「くそっ、あっちにいけドラゴンめ!」
「ああ、マルカ! 早くこっちに来なさい!」
二人は娘の話を聞かず、青ざめた顔で叫ぶばかり。
しかしマルカがなかなか逃げだそうとしないので、救出作戦を思いついたようだ。
「くっ、マルカはきっと足がすくんで動けないんだな! よし、俺がマルカを助ける! その間、皆はドラゴンの注意を引きつけてくれ!」
「分かったわ! あなた気をつけてね!」
そんな勇気ある夫婦のため、他の村人たちも立ち上がった。
「皆、マルカを助けるんだ! 石でも何でも投げて、ドラゴンの目をこっちに向けさせるんだ!」
「「「おおっ!」」」
彼らはその辺の石とか枝とかを拾い、ジェシカに向かって投げ始めた。
もちろん、ドラゴンの固いウロコは投石などでは傷つかない。
そもそも、いくら村人たちがやる気になっているとはいえ、やはり一般人だ。ドラゴンが恐ろしくて距離を縮められない。
遠くから投げられた石や枝は、かろうじてジェシカに届くか届かないかといった感じだ。
これではドラゴンどころかオオカミにも通用しないだろう。
だがジェシカは空気を読んで、村人たちを見つめながら「ぎゃおーん」と鳴いている。
どこか楽しげな声だったが、村人たちは単純にドラゴンの注意を引けたことを喜んでいた。
そしてマルカの父親は全力疾走し、娘を抱き上げると、また村人たちのところに戻っていった。
「おお、マルカ! 怪我はないか!? よかった大丈夫みたいだ。さあ逃げるぞ! 早くしないと全員、食べられてしまう!」
「そうよ! ドラゴンはもう一匹いるはずだし……ああ、これじゃ水不足なんて言ってる場合じゃないわ。どうしてこんなところにドラゴンが来るのかしら!」
「待って、待ってってば! あのドラゴンは大丈夫なんだってば。人間は食べないって言ってたもん」
マルカは父親に抱きかかえられながら、一生懸命、事実を伝えようとする。
しかし当然、誰も聞き入れない。
「マルカ、可哀想に……あんまり近くでドラゴンを見たから幻聴を聞いたんだな……」
「しっかりしてマルカ! ドラゴンはしゃべったりしないのよ!」
しゃべったりするのである、これが。
「食べないから逃げなくてもいいのよー」
ジェシカは逃げる村人たちの背中に、のほほんとした声をかけた。
すると村人たちは足を止め、ゆっくりと振り返った。
「……しゃべった?」
「幻聴?」
「皆も聞こえたのか?」
「じゃあ本当に?」
ドラゴンがしゃべるというのは、あまり有名ではないのだろうか。
食べない、ということよりも、しゃべったことそのものに驚いている。
「へーんしん!」
ジェシカは光に包まれ、人間の姿になる。
ドラゴンがうら若い美人になってしまったのを、村人たちは目を点にして見つめた。
アイリスだってジェシカとマリオンが初めて変身したときは驚いたものだ。懐かしい。
「じゃじゃーん。ドラゴンの正体は、美人の奥さんでした!」
「違うでしょ、お母さん! さっきのが正体で、今のは変身後!」
「もう、マリオンったら細かいことを気にするんだから。どっちも私なのよー。というわけで、食べたりしないから大丈夫よー」
巨大なドラゴンが「食べない」といくら言っても説得力に欠けるが、若い女性ならむしろ、人間を食べているところを想像できない。
「ね? しゃべったでしょ? ドラゴンは人を食べないのよ。もうドラゴンじゃないけど……」
「う、うむ……どうやらそのようだ……夢じゃないのか?」
「ドラゴンなのに私よりも美人……悔しい……」
そう言いながら、マルカの両親はお互いの頬を引っ張り合った。
かなり痛かったらしく、どちらも顔をしかめる。
他の村人たちも頬をつねったり、腕にしっぺをしたりして、ここが現実世界であることを確認し始めた。
「夢じゃないらしい」
「ドラゴンは美人に変身するものだったのか……」
「それにしても、どうしてドラゴンがこんなところに?」
「ドラゴンにばかり目が行って気がつかなかったけど、この村の者じゃない人たちがいるぞ?」
「全員女の子だ」
「あの子たちもドラゴンなのか?」
「あと後ろにある白い物体はなんだ?」
「噂で聞いたことがある……あれは多分、雪だるまというものだ!」
「雪だるまってことは、雪でできているのか? どうして雪の塊が……」
「雪って融けると水になるんでしょ? これだけの水があれば……水不足も解決じゃない!」
「うどん茹で放題だ!」
村人たちは、アイリスたちと雪だるまを見て、想像を膨らませた。
ドラゴンに対する認識は微妙に間違っているが、雪だるまで水不足解消というのは、いい勘をしている。
そしてにしても……『うどん』とは何のことなのだろうか。
知らない単語を聞き、今度はアイリスたちが不思議な顔をする番だった。




