41 鼻水はばっちい
シルバーライト男爵領に住み着いたケイティは、それから一週間、ぶっ通しで雪合戦に明け暮れた。
しかし、気温が上がって雪が解けてしまうと、ようやく自分の仕事を思い出したらしく、教会でミュリエルに質問を始めた。
「なるほど。やはり徐々に力が消えていったのではなく、ある日を境に、全く使えなくなってしまったのですね?」
「そうなのじゃー。いまだに不思議なのじゃー。お主は原因に何か心当たりないのかー?」
ミュリエルは教会の椅子に座り、チョコレートをもぐもぐ食べながら答える。
その隣でイクリプスもチョコレートを食べているが、こちらは食べるのに夢中で、話を聞いていない。
またアイリスはいつものようにベッドに寝転がり、プニガミを抱き枕にしながら、彼女らの様子を眺めている。
もちろん、眠いわけではない。
アイリスの定位置はベッドの上であり、特別な用事がない限り動かないのだ。
「力を失った段階ではシルバーライト男爵領に人がいた……そして信仰心を失ったわけではない……何か作為的なものを感じますね」
「作為的? つまり、誰かの仕業というとこか? 妾は誰かの恨みをかった覚えはないのじゃー」
「ですが、土地の人々にも、ミュリエル様にも原因がないのに力を失ったということは、外に原因があるはずです。当時の神意大教団は真剣に考えていなかったようですが……優秀な異端審問官であるボクは見逃しません。ミュリエル様が復活したタイミングでボクがこの村に派遣されたのは、きっと創造主様のお導き! 必ずや原因を特定して見せます!」
「おお、心強いのじゃー。お主が本当に優秀に見えてきたぞー」
「ふっふっふ。もっと褒めてくださってもいいんですよ」
ケイティはとても嬉しそうに胸を張っている。
ミュリエルは別に褒めていないと思うのだが……外野であるアイリスがあえて指摘する理由もない。
本人が満足ならそれでいいのだ。信じる者は救われるのだ。
「……そこまで喜ぶとは思わなかったのじゃ。しかし具体的にはどうやって原因を特定するのじゃ?」
「地道に当時の記録を漁るところから始めます。というわけでボクは一度、王都にある本部に帰らせて頂きます。何か分かったら、また来ますので!」
というわけで、異端審問官ケイティはシルバーライト男爵領を後にした。
賑やかな人がいなくなると寂しいものだ。
しかしこの村には、既にシェリルという賑やかな人がいる。
賑やかなのが二人もいると流石に過剰なので、ケイティはたまに遊びに来るくらいが丁度いい。
△
ケイティが帰ってしまった次の日、また大雪が降った。
やはりドラゴンの親子が「寒い、寒い」と言いながら教会にやってきて、もぞもぞベッドに潜り込んだ。
「また皆して寝ちゃうのー? 遊ぼうよー」
イクリプスはベッドの脇で、ムスッとした顔をしている。
とても可愛い。
何とか期待に応えてあげたい。
だが、アイリスには不可能だった。
なにせ、もうちょっと寝ていたいのだから。
「ごめんねイクリプスちゃん……こう寒いと、自分の意思じゃどうすることもできないのよ……」
「私にもギガ・インフェルノ・フレイムが使えたらいいんだけど……アイリス、あんた使えないの?」
「私がギガ・インフェルノ・フレイムをやったら、多分、村が消えるわ……今度、誰もいないところで練習しようかしら?」
「そうね……もうちょっと温かくなったら、私も一緒に練習する……」
そう呟いて、マリオンはアイリスにぴったりくっつく。
負けじとジェシカもくっついてきた。
「うーん……ここまでくっつかれると寝苦しい……」
「ぷに! ぷにに!」
「そんなに寝苦しいならベッドから出たらいいじゃないかって? まあ、それもそうなんだけど。ニートにも意地があるのよ」
「そんな意地、捨てようよー。アイリスお姉ちゃんと遊びたーい」
イクリプスは毛布をバフバフと叩きながら懇願してきた。
可愛い。
あまりの可愛さに、ニートの意地も吹き飛んだ。
「イクリプスがそう言うなら仕方がないわね。今、着替えるから、ちょっと待ってて」
「わーい。アイリスお姉ちゃん、だいすきー」
アイリスが体を起こすと、イクリプスが抱きついてきて、ベッドの上で足をバタバタさせた。
イクリプスをぶら下げたまま、アイリスはその辺の椅子にかけておいたローブを取りに行く。
「ほら、着替えるからどいて」
「はーい」
そしてアイリスが着替え終わり、イクリプスとプニガミを連れて外に出ようとしたとき、ドラゴンの親子が恨めしそうな声を出す。
「アイリスちゃん、行かないでぇ……」
「温もりが……温もりが足りないわ……」
「知らないわよ、そんなの。二人も一緒に来たら?」
「無理だわぁ……寒い寒い……」
「お母さん、寒いよぅ……」
「しっかりするのよマリオン……アイリスちゃんは優しいから、きっと戻ってきてくれるわ……あれ? アイリスちゃん……?」
アイリスはドラゴンの親子を放置して、容赦なく教会の扉を閉めた。
「ちょっと可哀想だったねー」
優しいイクリプスは、教会を振り返りながら呟く。
「じゃあ、二人のためにまた教会に戻る?」
「それはいやー。お外で遊ぶのー」
「そうよねぇ……何かを得るには、何かを犠牲にする必要があるのかも……マリオン、ジェシカさん……あなたたちのことは忘れないわ……」
「アイリスお姉ちゃん、大げさじゃないのー?」
「ぷにー」
「ちょっと言ってみただけよ。それで、何をして遊ぶの?」
「うーんとね、うーんとね」
イクリプスは腕組みをして悩む。
やりたい遊びがないのではなく、沢山ありすぎてどれにするか迷っているのだろう。
そのとき、シェリルとミュリエルが雪を巻き上げながら、丘を駆け上ってきた。
「おーい、大雪じゃぞー」
「遊びましょう、遊びまくりましょう!」
守護神と領主という、とても偉い二人なのに、子供よりもはしゃいでいる。
そんな偉い二人は、教会の前に辿り着く前にツルンと足を滑らせ、斜面をゴロゴロ転がっていった。
「「わぁぁぁぁっ!」」
アイリスたちは呆れながら、それを追いかけていく。
丘の一番下まで行ったところで二人は止まっていた。
どちらも雪玉になっており、辛うじて顔だけが外に出ている。
「ちょうど二つあるから、雪だるま作れるー。わーい」
イクリプスはそう言って、シェリル雪玉を、ミュリエル雪玉の上に乗せた。
立派な雪だるまの完成だ。
「上手よ、イクリプス。でも雪だるまに顔は二つもいらないわね……ミュリエルのほうは塞いでおきましょう。よいしょっと」
「ぶほぉっ、何をするのじゃアイリス! ふざけてないで、助けるのじゃー」
「うぅ……雪がちべたいです……」
「ごめんごめん、面白すぎて」
二人が風邪を引く前に、助けてあげることにした。
神であるミュリエルが病気になるのかは分からないが、シェリルはこのままだと確実に風邪になるだろう。
それにミュリエルはへっぽこな神様なので、もしかしたら風邪くらいは引くかも知れない。
「へっぷちゅん!」
雪玉から二人を助け出すと、まっさきにミュリエルがくしゃみをした。
「……もしかしたらとは思っていたけど、まさか守護神が本当に風邪を引くなんて」
「ち、違うのじゃ。ちょっと寒気がするだけで、風邪ではないのじゃ……へっぷちゅん!」
鼻水がにょろーんと出てきた。
「ミュリエル様。どうぞ、ハンカチです」
「おお、助かるのじゃ……それにしても、シェリルは平気なのか……?」
「はい。私、頑丈なのが取り柄ですから! 風邪を引いたことはないんです!」
「そうかぁ、何とかは風邪を引かないと聞いたことがあるが、何じゃったかのぅ……?」
そう言いながら、ミュリエルは受け取ったハンカチで鼻をかんだ。
「あ、そのハンカチ返さなくても結構です。ばっちいので。差し上げます」
「シェリル……そんな、ばっちいとか言わなくてもいいじゃろ……確かに鼻水はばっちいが」
「ミュリエル。シェリルの信仰心って細かいところが雑だから気にしちゃ駄目よ。大丈夫。ちゃんとあなたは慕われているから……」
「そのとおりです。大切なのはハートです」
「じゃあ、妾の鼻水もばっちくないじゃろ」
「それはそれ、これはこれです」
「そうか……」
ミュリエルは釈然としない顔になった。
だが、実際のところ、やはり鼻水は汚いだろう。
いくら尊敬している相手のものであっても、だ。
鼻水までありがたがっていたら、危ない宗教になってしまう。




