37 雪合戦
十二月も下旬になった。
ミュリエルはわずか数日で村に完全に溶け込んでしまった。
夜はアイリス、イクリプスと一緒にベッドで川の字になって眠り、朝になると真っ先に飛び起きて、丘の下に走って行く。そして毎日、子供たちと遊び回る。
シェリルいわく、たまにしか出てこないアイリスと違って親しみやすいと、村人たちに評判らしい。
それを聞いたアイリスは「ぐぬぬ」と唸った。
「だってアイリスお姉ちゃん、ずっと教会から出てこないんだもん。たまには村に行こうよー」
イクリプスは唸っているアイリスに説教してくる。
「いやよ、人間がいるじゃないの……」
「皆いい人だよー?」
「そういう問題じゃないのよ」
いい人とか悪い人とかの話になると、まるで相手に問題があるように聞こえてしまう。
しかしアイリスは、相手が何者であろうと、知らない人と会話するというのが恐怖なのだ。
つまり問題は相手ではなく、アイリス自身にある。
アイリスがアイリスである以上、引きこもり体質は揺るがないのだ。
「我思う。ゆえに我ニート――」
「何をかっこよさそうに語ってるのよ。ただの怠け者じゃないの」
「ぷにに」
と、マリオンとプニガミに馬鹿にされてしまった。
事実を指摘してくるとは、酷いドラゴンとスライムだなぁ、なんて思いながら、アイリスは真っ昼間からベッドにもぞもぞ潜り込んで現実から逃避する。
そのままぐっすりと寝て、次の日のお昼前。
目を覚ますと、ベッドには誰もいなかった。
妙に肌寒い。
吐く息が白かった。
アイリスは毛布で体を包んで、教会の外に出てみる。
するとそこには真っ白な雪景色が広がっていた。
「わぁ……」
ついつい感嘆の声が漏れてしまった。
それほど意外で、美しくて、肌に冷たくて、キラキラしていて、靴越しに柔らかい感触があって――。
なにせアイリスは雪を見るのが初めてだった。
緑色だった丘も、村の屋根も、森の葉っぱも、何もかもが地平線まで白い。
突如として湖が出現したときよりも、更に凄い変化だ。
一日寝ていただけで、世界はこんなにも変わってしまうのだなぁと感動した。
そんな何もかもが凍り付いたような白い世界でも、子供たちは元気だった。
丘の下でわーわー言いながら、雪玉を投げ、ぶつけ合っている。
もちろん、その中にはイクリプスとミュリエルも混ざっている。
「楽しそうね……」
と呟いてみたが、もちろんアイリスにはそれに混ざっていく勇気はない。
ただ丘の上から見つめるのみだ。
そのとき、雪を巻き上げながら怒濤の勢いで丘を登ってくる物体が現れた。
背中にシェリルとマリオンを乗せたプニガミである。
「ぷにぷにー」
「アイリス様、おはようございます! 見てください、雪ですよ!」
「迎えに来てあげたわよ。まさかこれでも引きこもるとか言い出さないわよね?」
どうやら彼女らは、アイリスを下に連れて行きたいようだ。
アイリスも行きたい。
あの雪玉を投げる遊びに加わりたい。
が、怖い。
「……いや、その。遠慮しておこうかしら」
「何言ってるのよ! そんなんだと教会と体が一体化しちゃうわよ。今日くらいは皆と遊びなさいよ!」
「そうですよ。新雪ですよ。真っ白ですよ。こんなに綺麗なのは今だけで、すぐに融けてビチャビチャになったり、泥と混じって汚くなったりするんですよ。さあ!」
「ぷーに!」
マリオンとシェリルがアイリスの腕を左右から引っ張る。更にプニガミが背中を押してきた。
「わっ、待って待って! 行くから! だからせめて着替えさせてよ!」
「じゃあ早くしなさい! あー、もう、私が着替えさせてやるわよ!」
「あ、マリオンさん、ずるいです! 私もお着替えに参加しますよ!」
「ぷにー」
と、アイリスは教会に連れ込まれ、パジャマを剥ぎ取られ、いつもの服に着替えさせられた。
そしてプニガミの上に乗せられ、ふと気がつけば丘をズダダダダと下っていた。
後ろからはマリオンがズダダダダと追いかけてくる。
なおシェリルも頑張って走って追いかけてきていたが、途中で転び、ゴロゴロと玉のように転がり落ちてきた。
丘を下りながら大きな雪玉へと成長したシェリルは、プニガミを追い越し、一足先に村に突っ込んでいく。
そこは丁度、子供たちが遊んでいる場所だった。
「のじゃあ! 巨大な雪玉が来たのじゃ! これは反則なのじゃ!」
「雪合戦にこんな大きな雪玉を使っちゃ、めーっなの!」
イクリプスが巨大雪玉の前に立ち塞がり、両腕を「えーい」と突き出した。
雪玉は凄い勢いだったが、イクリプスにとっては軽いものだ。
たやすく止めてしまう。
そして雪玉は真っ二つに割れ、中から目を回したシェリルが出てきた。
「わー、シェリルが雪玉から生まれたー」
「雪玉から生まれたから、雪子ちゃんなのじゃ」
「ひえー……人の名前を変えないでくださーい……」
シェリルは目を回しながらも、ちゃんと文句を言う。
どうやら命に別状はなさそうだ。
「もう、シェリルったらドジなんだから」
「ぷにぃ……」
アイリスとプニガミはあきれ果てる。
「まあ、人間は私たちほど強くないし……仕方がないんじゃないの?」
と、マリオンは一応、シェリルを擁護する。
だが周りの子供たちが「シェリル様を人間の基準にするなー」とか「俺たちはそこまでドジじゃないぞー」とか声を上げた。
「ひ、酷いですぅ……」
シェリルは涙目になりながら、ヨロヨロと起き上がった。
盛大に転がった割には元気そうだ。
「さて。無事にアイリス様をお連れしたことですし、雪合戦を再開しましょう……って、アイリス様。プニガミ様の後ろに隠れちゃダメじゃないですか」
「え、だって……」
ここにはいつものメンバーだけでなく、知らない子供たちが大勢いるのだ。
それに混じって遊ぶのは、アイリスにとって覚悟のいることだ。
丘の上で覚悟を決めたつもりだったが、いざとなると、やはり覚悟が足りなかった。
「アイリスの引きこもり体質にもこまったものじゃなぁ……えい!」
ミュリエルは脈絡もなく、アイリスの顔に雪玉をぶつけてきた。
「……何するのよ……えい!」
当然、アイリスは雪玉を投げ返す。
するとミュリエルがまた投げてくる。
やがて雪玉の応酬が始まった。
「なるほど、これが雪合戦ってやつね。えいっ、えいっ!」
「アイリス、私も加勢するわよ!」
マリオンも一緒にミュリエルに雪玉を投げ始めた。
「じゃあ私はミュリエルの味方になるー」
「ぷにに」
「プニガミ様はアイリス様の味方ですか? では私はミュリエル様に付きましょう」
という感じで、二つの陣営に分かれて雪合戦が始まった。
別にこうなれば勝ちとか負けとか、明確なルールは決まっていない。
とにかく相手に雪玉がぶつかれば嬉しいし、当てられると悔しいというだけだ。
なのに楽しい。
アイリスは引きこもりたいという気持ちを忘れ、楽しく雪合戦で遊んでしまった。
そしてお日様が暮れた頃、全員が疲れ果て、地面に座り込んだ。
雪はすっかり踏み固められ、最初のふわふわ感は、もうなかった。
もうやめどきかな、とアイリスが思ったとき、ジェシカがやってきた。
「あらあら。皆、沢山遊んだのね。ジャガイモのバター焼きを作ったわよ。食べる人は?」
流石はジェシカ。
こちらが雪合戦でお腹を減らしていることを見越していたのだろう。
実にナイスなタイミングだ。
無論、全員が「はーい」と手を上げた。
そして皆で楽しくジャガイモを食べた。
これでアイリスもすっかり村の子供たちに溶け込んだ――と思いきや。
その夜、よくあんな大それたことができたものだ、とアイリスはベッドの中で震えた。
「アイリスお姉ちゃん……雪合戦しただけなのにー……」
とイクリプスにすら呆れられてしまう。
「やれやれ。これでは守護神は務まらんのじゃ。やはりこの村には妾が必要なのじゃ」
「ぷにに」
散々な言われようだが、それだけアイリスにとって他人と触れ合うというのは精神力を使うことなのだ。
今日一日で精神力を使い切ってしまったので、回復させるために三日ほど引きこもろうと決意した。




