31 のじゃー
神にも階級が存在する。
まず最高位にいるのは、この世界を作った創造主。
創造主は地上を作り、そこに生命の種を蒔いた。
そして自らが住む天上世界を作り、地上にさまざまな生き物が生まれていくのを見守った。
人間にとって最も身近なのは、それぞれの土地の守護神だろう。
守護神は各地の教会で祭られ、人々の信仰心を己の力に変え、その土地に恩恵をもたらす。
なんらかの理由で信仰を失った守護神は、神としての力を失ってしまう。
逆に信仰さえ集まれば、神ではなかったものが神になることもありえる。
大樹や大岩、森の主の獣などは信仰されやすい。
あるいは実体のない概念、空想上の存在が信仰によって、神として実体化することもあった。
かつてシルバーライト男爵領で信仰されていた女神も、信仰によって実体化した守護神の一柱だった。
彼女は領民たちに慕われ、彼女もまた土地に尽くし、理想的ともいえる関係だった。
ところが、ある日突然、彼女は神の力を失ってしまった。
領民たちから信仰心が消えたわけではない。
なのに彼女は、雨を降らすことも、嵐を遠ざけることもできなくなり、土地はどんどん荒れていった。
ほどなくしてシルバーライト男爵領は人が住めない土地になり、誰もいなくなってしまった。
人がいなければ、信仰されるわけもない。
ついに彼女は実体化することすらできなくなり、意識も消えてしまった。
そうしてシルバーライト男爵領は、地図に名前を残すだけの土地となる。
だが、その二百年後。
一人の幼い魔族が廃教会に住み着き、止まっていた時間が再び動き始めた――。
△
真夜中の教会は、ステンドグラスから差し込むわずかな月明かり以外に光がなく、そのほとんどが闇に沈んでいた。
しかし、たった一カ所だけ、わずかな月明かりに照らされ浮かび上がっている。
それは、かつて祭壇があった場所。
今は天蓋付きの大きなベッドが安置されいる。
「すぴー……すぴー……」
「ふにゅ……ふにゅ……」
そのベッドには、可愛らしい少女が二人、大きなスライムを枕にし、寄り添って寝息を立てていた。
どちらも銀色の髪を伸ばし、そして肌は真っ白。
彼女らの美しい体は、まるで鏡のように月明かりを反射して、闇の中でぼんやりと輝いていた。
二人はとてもよく似ているが、それもそのはず。
なぜなら、姉妹。
大魔王の遺伝子から作られた、生物兵器。
その名を、アイリスとイクリプスという。
愛らしい容姿とは裏腹に、二人とも無尽蔵ともいえる魔力を有し、その気になればすぐさま人間を滅ぼせる。
もっとも滅ぼしたところで得になることは一つもないし、別に破壊を楽しむ性格でもなかった。
そんなことよりも、惰眠をむさぼったり、美味しいものでお腹を膨らませることで忙しいのだ。
しかし、そんな二人の睡眠を邪魔する出来事が、このところ頻発していた。
地震、である。
「ふにゅ……また地震だよ、アイリスお姉ちゃん……」
「ぷにぃ……」
「……もう、何なのよ、毎日毎日……いくら私がうるさくても眠れるからって、地面ごと揺れたら流石に起きるわよ」
アイリスは体を起こし、唇をとがらせ、地面に向かって文句を言った。
イクリプスも目を眠たそうに擦り、地面に向かって「揺れちゃ、めっ」と叱った。
それから枕にされていた大きなスライム『プニガミ』も、不機嫌そうにぷにぷに蠢いた。
そのせいではないだろうが、地震はすぐに収まった。
もっとも、それは毎日のこと。
夜に寝ていると、ベッドを蹴飛ばすようにして揺れ、そしてすぐに収まるのだ。
不思議なことに、揺れているのはこの教会だけらしい。
丘の下に住んでいるシェリルたちに地震の話を振っても、そんなものはなかったと言われてしまう。
それどころか「寝ぼけてたんでしょ」なんてマリオンに馬鹿にされる始末だ。
睡眠を妨害された上に馬鹿にされるなんて、これ以上ないというほどに耐えがたい。
そろそろ原因を解明して、地震を止めることを考える頃合いだとアイリスは思案する。
「地面が揺れるってことは、地面の下に何かあるのよね。魔力で探知よ!」
アイリスは地面に向かって魔力を放つ。探知魔術だ。かつてアイリスがこの丘に来たばかりのとき、これで涸れた地下水脈を見つけ、復活させたことがある。
探知魔術を使えば、地震の原因がすに分かるはずだ。
と、思いきや――。
「うーん……別に異常はないわね……」
「私も探知魔術やってみたけどなかったよー」
イクリプスも不思議そうに呟く。
「ぷにに」
「え? 地下じゃないなら地上に原因があるんじゃないかって? まさかー」
「ぷにー!」
プニガミは怒りの声を上げる。
ろくに調べもせずに否定されたのが耐えがたかったようだ。
「……でも、地震の原因が地上にあるって変じゃない?」
「ぷにぷに!」
「アイリスお姉ちゃん。調べるだけ調べてみようよー。だって地下に何もなかったんだもん」
「イクリプスまでそう言うなら……」
プニガミとイクリプスの意見を、ことさら否定する理由もなかったので、アイリスは地上に向かって放射状に魔力を広げた。
どうせ無駄だろうと考えていた。
ところが、アイリスの勘は外れてしまう。
「教会の中になんかいる!?」
領民たちには、この教会に近づいてはいけないと厳命してある。
そもそも、今は真夜中だ。
シェリルたちですら、ここに来る理由がない。
だというのに、アイリス、イクリプス、プニガミ以外の『何者か』の気配を探知してしまった。
「あ、ほんとだー。なんかいるー」
同じく探知魔術を使ったイクリプスは、呑気な声を上げた。
だがアイリスは緊張を隠せない。
なにせニート。引きこもり。対人恐怖症。
もし知らない人がここにいたら、イクリプスとプニガミの後ろに隠れて震えるより他にない。
「大丈夫だよアイリスお姉ちゃん。これ人間じゃないよー」
「そ、そうみたいね……それどころか実体がないわ。意識だけの生き物……? いるってのは分かるけど、見ることも話すこともできないわね……」
「ねぇねぇ。なんだかとっても弱っている感じだよー? 今にも消えちゃいそー。魔力をあげたら見えるようになるんじゃないのー?」
「うーん……なんだかそんな気配ね。やってみましょうか」
アイリスは気配のするところに向かって、えいっと魔力を注いでみた。
すると、本当にシルエットが浮かび上がってきた。
それは人の形をしていた。
さほど大きくはない。
もちろんアイリスやイクリプスよりは大きいが、大人というほどではない。
人間でいえば十四歳くらいの少女。つまりマリオンと同じくらいの大きさだ。
ぼんやりしていたシルエットは、やがて輪郭線がハッキリし、それどころか色も付いてきた。
そして、一人の女の子が実体化を果たした。
桃色の長い髪。水色のドレス。整った容姿――。
突如として月明かりの元に現れた少女に、アイリスとイクリプスは目を奪われた。
それほど幻想的な光景だったのだ。
ところが、その少女は目をつり上げ、おごそかな雰囲気を吹き飛ばすように怒声を放った。
「こらぁ、お主たち! 妾を祭っている教会にベッドを持ち込んで寝るとは何事じゃ! しかも村人たちをたぶらかしおって……シルバーライト男爵領の守護神は、このミュリエルじゃぞー!」
守護神ミュリエルを名乗る少女はそう叫んで、ベッドに突っ込んできた。
アイリスとイクリプスがひょいと左右に避けると、ミュリエルはプニガミに頭からダイブする。
「のわー、なんじゃこのスライム。気持ちがいいぞー」
「ぷにー?」
ミュリエルはプニガミにしがみついて、ベッドの上で足をバタバタさせた。
彼女の正体は分からない。
実体を失って漂っていたことからして、ただならぬ事情があるのだろう。
しかし何者であろうと、さほど賢くはなさそうだなぁ――というのがミュリエルに対するアイリスの第一印象である。