26 イクリプスの真実
アイリスが気絶したイクリプスを連れて丘の上に行くと、草むらにシェリルが寝かされていた。プニガミが枕になっている。
あれだけ派手に戦闘したのに目を覚まさないとは、やはり尋常ではない。
まさか死んでいるのでは、と一瞬不安になってしまったが、それだったらマリオンたちがもっと騒いでいるはずだ。
「あら、おかえりアイリスちゃん。凄い戦いだったわねぇ。あれじゃあ、私とマリオンが勝てないのも当然だわー」
「……ぐやじい……いつか必ず私が勝つんだからぁ……」
二人のドラゴンは、アイリスの強さを対照的に受け止めていた。
性格の違いがハッキリ分かりやすく現れている。
しかし今は、それを気にしている場合ではない。
「シェリルはどうしたの? まだ目を覚まさないの? 息はしてる? 怪我はないの?」
「落ち着いてアイリスちゃん。外傷はないし、魔術をかけられた気配もないわ。多分、大丈夫」
「多分って何よ! シェリル、シェリル……起きないわ。ねえ、イクリプス。あなたシェリルに何をしたのよ!」
アイリスはイクリプスに往復ビンタをして無理矢理に起こす。
「いた、いたい! 何だ、何なのだ。殺すなら殺せ!」
目を覚ましたイクリプスは投げやりに言う。
「そんなのはどうてもいいのよ! それよりシェリルを返して! あなたが何かしたんでしょう!?」
「な、何を言っている……? 私はただ拘束魔術で縛っただけだ。それも今は解けている。他には何もしていない」
「嘘よ! だったらどうしてシェリルは目を覚まさないの――」
と、アイリスが涙交じりに叫んだ、そのとき。
「ふぁぁぁ、今日もよく寝た……あれ? どうしてお外に? 皆さん、おはようございます。何かあったんですか?」
シェリルはいつもと同じく、アホっぽい声で呑気なことを言い出す。
本当に、ただたんに今目覚めただけという雰囲気だ。
だが、そんなはずはない。
あれだけ爆音が鳴り響く戦闘だったのだ。
現に、村人たちも皆、家から出て空を眺めていた。
「シェリル! あなた、今まで、寝てたのよ!」
「あ、はい。そんなの言われなくても分かってますよ、アイリス様。いくら私がアホだからって、そんな大声で当たり前のことを言わなくてもいいじゃないですか!」
シェリルは頬を膨らませ、すねた声を出す。
「いや。いや、いや。そうなんだけど、そういうことじゃなくて。私とイクリプス、今、めっちゃ派手に魔術使って戦ってたのに、目覚めないとか、変でしょ!?」
「あ、そうなんですか。いやぁ、私、昔から決まった時間になるとシュッと寝て、次の日の朝、決まった時間にならないと起きないんですよね。あはは。ところで、アイリス様とイクリプスちゃんが戦ったってどういうことですか? まさか喧嘩ですか? 駄目ですよ姉妹で喧嘩しちゃ。仲良くしてください」
シェリルはしたり顔で言った。
腹が立ったので、アイリスはシェリルの額にチョップを打ち込む。
「あたっ! 何するんですかアイリス様」
「あんたが呑気すぎてムカついてるのよ! 私がどれだけ心配したと思ってるの!?」
「えっと……よく分かりませんが、申し訳ありません……?」
謝りつつも、自分の何が悪いのか分からないという顔をするシェリル。
まだ腹の虫が治まらず、地団駄を踏むアイリス。
そんなアイリスを呆れた顔で見つめるジェシカとマリオン。
「ぷにー」
プニガミは、アイリスもシェリルも同じくらいアホだよ、なんて失礼なことを言い出した。
「あー、腹が立つ! これも全部、イクリプスのせいよ! とりあえずお仕置きタイム!」
「お仕置きタイムだと、ふざけるな! いっそ殺せ!」
「うるさーい!」
アイリスはイクリプスの体を担いで、お尻ペンペンする。
「な、何だこの恥ずかしい体勢は……! なぜこんな辱めを受けなければならないんだ!」
「反省が足りないわね! お姉ちゃんはあなたをそんな子に育てた覚えはないわよ!」
「育てられた覚えもない!」
「あー言えばこう言う! もうチョコレート上げないからね!」
「チョ、チョコレートだと!? よせ、その言葉を私の前で口にするな!」
イクリプスは急に慌てだした。
理由は分からないが、チョコレートが禁句らしい。
「ねえ、誰かチョコレート持ってない?」
「ぷにに」
「え、教会にまだ少しだけ残ってる? じゃあ持ってきてちょうだい」
「ぷにー」
そしてしばらくすると、プニガミが教会から食べかけのチョコレートを持ってきてくれた。
「ほらイクリプス。あなたの大好きなチョコレートよ!」
「ああ、やめろ! それを私の前に出すな……くっ、殺せ!」
「プニガミ、チョコレートをイクリプスの口に突っ込んで!」
「ぷに!」
プニガミは体の一部を触手のように変形させ、チョコレートの欠片をイクリプスの口へと近づける。
が、イクリプスは口を固く閉じ、決して食べようとはしない。
「マリオン、ジェシカさん。ちょっとイクリプスの口をこじ開けて!」
「仕方ないわね……」
「ほーら、イクリプスちゃん。お口開けましょうねー」
「ぐぎぎぎぎ……やめ、やめろ……もがもが」
イクリプスはかなり頑張っていたが、アイリスとの戦闘で疲れ切っているところに、ドラゴン二人分の腕力で口をこじ開けられたのだ。抵抗できるものではない。
「ぷにぃぃ!」
今だ、とプニガミはチョコレートを押し込む。
すると、どうしたことだろう。
険しかったイクリプスの表情は柔和になり、あれだけ嫌がっていたチョコレートを美味しそうに囓りだしたではないか。
「おいしー! チョコレートおいしー! もっと食べたーい!」
「ぷにぃ……?」
イクリプスの豹変っぷりに、プニガミも困惑している。
「……プニガミ。とりあえず、残りも食べさせてあげて」
「ぷに」
「わーい、アイリスお姉ちゃん、大好きー」
このイクリプスは、昨日のイクリプスだ。
やはり、どう見ても演技ではない。
本心からチョコレートを食べたがっており、そしてアイリスに対する敵対心は少しも感じられない。
ただ目の前にあるお菓子をねだるだけの純真な子供そのもの。
しかし、さっきまではアイリスと真剣に戦っていた。
どちらが本物なのか。あるいはどちらも本物なのか。
それを見極めるためにも、チョコレートを食べさせるのだ。
「あまーい! でも砂糖の塊みたいに甘いだけじゃない! おいしーおいしー! もっともっとぉ!」
「ごめんね。それで終わりなのよ」
「えー、なんでー! 食べたいのにー」
「私は持ってないけど、そこのシェリルなら、まだまだ持ってるはずよ」
「家に行けばありますよー」
シェリルは手をひらひら振ってアピールする。
「わーい、やったー、シェリル大好きー」
イクリプスはアイリスに抱えられたまま、手足をバタバタさせて喜びを表現する。
「でもイクリプス。あなたはそのシェリルを人質に取ったのよ。酷いと思わない?」
「ひどーい! 私、悪いことしちゃった……ごめんなさい……!」
意外にも、イクリプスはあっさりと非を認めて謝ってきた。
アイリスたち全員が首をひねる。プニガミはどこが首なのか不明だが、とにかく首をひねるような動作をした。
「……ええっと……悪いことだと分かってるのね……じゃあ、どうしてあんなことを? 昨日はチョコレートがあればそれでいいって言ってたじゃない」
「うん。今でもチョコがあればそれでいいよー。でも私、甘い物を食べないでいると、変になっちゃうの……」
「変になる?」
「えっとね、大魔王様たちに言われたことに従わなきゃーって思い詰めちゃうの。本当は私、甘い物が食べられたらそれでいいのに。でもね、甘い物がないときの私は、逆に甘い物を食べた今の私を変だと思ってるんだよー。変でしょー」
イクリプスは楽しげに語る。
「それってつまり、二重人格ってこと?」
「分かんなーい。ちゃんと記憶は繋がってるよー。考え方は全然違うけどー」
アイリスもよく分からない。
しかし一つだけ分かったのは、今のイクリプスに、さっきのイクリプスの罪を背負わせるのは筋違いらしいということだ。
いや、それからもう一つ。
甘い物さえ食べさせておけば、イクリプスはずっと可愛らしいままだということ。
「よし。じゃあ、こうしましょう。シェリルは領主として、とにかく甘い物を用意して。イクリプスが飽きないように、色んな種類のを」
「分かりました! チョコレートとクッキーの在庫はまだ私の家にあります。更に王都から色々と取り寄せましょう。あと、ジャガイモの隣の畑に小麦を植えたので、来年はこの村でもお菓子を作れます! そうだ、来年はハチミツ作りにも挑戦します!」
「流石はシルバーライト男爵! そして私は、イクリプスが万が一に暴走してもすぐ止められるよう、この教会で一緒に住むわ!」
「えー。アイリス様、それってイクリプスちゃんを独占するつもりですか? 酷いですよぅ」
「何言ってるのよ。イクリプスは私の妹なのよ。だったら一緒に住むのは当然じゃない。ね、イクリプス。お姉ちゃんと一緒に住みたいわよね? プニガミも一緒よ」
「ぷに」
「うん。アイリスお姉ちゃん大好きー。一緒に住みたーい」
「やったー」
アイリスは妹の頭を撫で回しながら喜ぶ。
ところが――。
「でもシェリルも大好きー。シェリルの家にも住みたーい」
「やったー」
シェリルは小躍りして喜ぶ。
「ちょと、イクリプス。あなた分身でもするつもり? 両方に住むなんて無理よ」
「うーん……その日の気分で住むところを決めるー」
イクリプスは自由なことを言い出す。
ヒキニートのアイリスよりも自由かもしれない。
「あらー。だったら私たちの家にも泊りに来てねー」
ジェシカが言うと、イクリプスは嬉しそうに頷く。
「いいよー。だからお菓子ちょうだーい」
「ふふ、可愛い。沢山あげるわー」
「もうお母さんったら、勝手に話を進めて……まあ、いいけど」
と、マリオンもイクリプスが家に来るのは歓迎らしい。
甘い物を食べたイクリプスの可愛らしさには、誰も太刀打ちできないのだ。
最強の生物兵器かもしれない。
 




