24 イクリプス、正気に戻る
「チョコもうないのー? チョコがないなら私は帰るよー」
イクリプスは腕をパタパタ振りながらチョコをおねだりする。
その愛らしい様子を、アイリスたちは微笑ましく見つめる。
「まだまだありますよ。なんなら、王都から新しく運ばせましょう。あとチョコレート以外にも、美味しいお菓子があります。今度アップルパイを作ってあげましょう」
「なんだか分からないけどおいしそー! 私、シェリルの家の子になるー!」
「え、私の家に……? ふふ、じゃあイクリプスちゃんをお持ち帰りしちゃいます!」
シェリルはイクリプスをムギュッと抱きしめた。
「ちょっと、ちょっと。その子は私の妹よ。教会で一緒に暮らすに決まってるじゃない」
せっかく現れた妹を盗られそうになったアイリスは、慌てて抗議する。
だが、肝心のイクリプス自身が、シェリルに……というかお菓子をくれる人にべったりだった。
「アイリスお姉ちゃんはお菓子くれるのー?」
「えっと……私、お菓子は持ってないわ……」
「じゃあ何を持ってるのー?」
「……特には」
「じゃあ、やっぱりシェリルのとこに行くー」
そうほがらかに言ってイクリプスは男爵様の胸に顔をうずめた。
「ぐぬぬ……シェリルが私の妹をお菓子でたぶらかした……」
「ごめんなさいアイリス様。今日のところはイクリプスちゃんを貸してください。明日、教会にチョコレートを沢山運び込むので。イクリプスちゃんは、教会にチョコレートがあったら、アイリス様と一緒に暮らしますよね?」
「うん。チョコがあるならいいよー」
アイリスは、自分の価値はチョコレート以下なのか、と悲しくなった。
だが、自分で選んだニートの道だ。
他者から無価値に見られても我慢しなければいけない。
ここで安易にお菓子の作り方を覚えようとしたら、アイデンティティーが崩壊してしまう。
ニート道は厳しいのだ。
「あらあら。アイリスちゃんったら、たとえ妹のためでも働くのは嫌だって顔してるわねぇ」
「筋金入りの怠け者だわ……」
ジェリカとマリオンが呆れた声を出す。
聞きたくないので、アイリスは布団にもぞもぞと潜り込んだ。
働きたくないでござる。
△
そしてイクリプスは領主シェリルの家にご招待された。
他の家と同じく木造だが、ここだけが二階建て。
幅も一回り大きい。
領主だからお手伝いさんなどがいるのかと思ったが、シェリルの一人暮らしだと言う。
「いつかはメイドさんを雇いたいのですが、今はまだ我慢です」
というわけで、シェリルが焼いたというパンに、溶かしたチョコレートをかけて二人で食べる。それから二人でお風呂に入り、同じベッドで一緒に眠る。
「おやすみー」
「はい。おやすみなさい」
何事もなく、その日は終わった。
が、次の日の夜明け前。
イクリプスは一人、目を覚ました。
(私、何をやっているのよ! チョコレートなんかに惑わされて……アイリスをお姉ちゃんと呼んで、こんな人間と仲良くしちゃって!)
眠っている間にチョコレートの効果が切れ、イクリプスは冷静になったのだ。
甘い物を食べたときのイクリプスと、普段のイクリプスはほぼ別人。
とはいえ、記憶は繋がっている。
ゆえに赤面する。羞恥心で死にそうになる。
あれでは、この村の連中に、完全に子供だと思われたに違いない。
いや、実際にイクリプスは見た目が子供だし、実年齢は更に低い。三日前にカプセルから出てきたばかりだ。
しかし、そんなことは問題ではない。
重要なのは、イクリプスのプライドだ。自分はもう一人前の魔族であり、最強の生物兵器であるという自負が深く深く傷ついた。
「むにゃむにゃ……イクリプスちゃん、可愛いですねぇ……アイリス様と甲乙付けがたいです……ぐへへ」
「何がぐへへだ、アホ面しおって。私は可愛くなどない!」
シェリルはイクリプスを抱きしめたまま、ヨダレを垂らして無様な寝顔を晒していた。
ヨダレをかけられてはたまらないので、イクリプスはシェリルの腕を振りほどき、ベッドから転がるようにして逃げる。
と、そこまでやってもシェリルは目覚めなかった。
ただ『すぴーすぴー』と幸せそうに寝息を上げるだけである。
こんな奴に構っていたら、自分までアホになってしまうと危機感を覚えたイクリプスは、とっとと教会に向かい、任務を果たそうと考える。
が、窓から飛び降りる寸前、名案をひらめいた。
(こいつとアイリス、随分と仲がいい様子だったし、人質にすれば楽にクリフォト大陸まで連れ帰れるかも……?)
そうだ、それがいい、とイクリプスは一人頷く。
無論、アイリスとまともに戦ったとしても、負けるとは思っていない。
しかし、より確実な手段があるのなら、そちらを取るべき。
正々堂々である必要などない。
「悪いが利用させてもらうぞ」
イクリプスは眠っているシェリルに手を伸ばす。
しかし、どうしてか、ためらいが生まれてしまった。
頭の奥に、チョコレートがチラつくのだ。
いや、チョコレートを自分に差し出してくれた、シェリルの笑顔が。
「……何を考えているんだ。私は生物兵器。最終的には人間を絶滅させるんだ。情に惑わされるな。それも、チョコレートを食べて混乱していたときの記憶など……!」
イクリプスは、迷いを捨てる。
そして拘束魔術でシェリルを縛り上げ、担ぎ上げ、窓から脱出する。




