02 いきなりドラゴンと縄張り争い
アイリスは今、バーレイ大陸と呼ばれる大地の上空を飛んでいる。
大魔王たちから「とても豊かな土地で、人間たちの数も多い」と教えられてきたが、それを裏付けるように、あちこちに人が住んでいる。
大きな町の近くに下りるのは論外だ。
沢山の人と接するなんて、怖すぎる。
森の奥深くなら大丈夫だろうと高度を下げてみると、何やら動物やモンスターを狩っている連中がいた。
よく見ると、森の中にも集落が点在している。
これは駄目だ。
諦めたアイリスは、森を離れて草原の上を飛んだ。
しかし、そこにも村があった。
あと、網の目のように張り巡らされた街道を、人や馬車が移動している。
どこに行っても、必ず人と出くわす可能性がある。
なんと恐ろしい場所なのだろうか。
やはり、こんなに沢山いる人間を皆殺しにするなんて、面倒この上ない。
だが、引きこもる場所が見つからない。
このまま一生、空をぐるぐる回り続けなければならないのか――と、アイリスは戦慄する。
しかし、草原を抜けて荒野に出ると、ようやく人の気配が消えた。
(空気が乾燥してるわ……)
どうやら、雨の少ない地域らしい。
水がなければ、植物も動物も生存できない。
人間がいないのも当然だ。
一方、魔族であるアイリスは、大気中の魔力を吸い込むだけで生きていくことができる。
この辺の魔力はさほど濃くないが、最強の生物兵器として作られたアイリスなら、一週間は飲まず食わずで平気だ。
とりあえずは、この辺でねぐらを探すことにする。
あとのことは、一眠りしてから考えたらいい。
(あんなところに建物がある……でも、人の気配がない……?)
バーレイ大陸の上を飛んでいる間にすっかり人間嫌いになってしまったらアイリスは、人間の気配に敏感だった。
目や耳から入ってくる情報だけでなく、生物が放つ魔力を感知して、人間を見つけ出して、回避する。
この荒野は乾燥しきって、ほとんど砂漠に近い。
こんな場所に住みたがる者はいないだろう。
だというのに、いくつかの建物が並んでいるのをアイリスは発見した。
おそらく、かつては村だったのだろう。
それが放棄され、朽ち果てている。
「屋根も壁もぼろぼろ……これじゃ雨風をしのぐこともできないわね」
廃墟に降り立ったアイリスは、木造の建物の間を歩きながら、独り言を呟く。
だが、近くの丘の上には、まだ原型をとどめている石造りの建物があった。
近づいてみると、それは教会だった。
村と同じく、人間の気配はない。
壁にあるステンドグラスもほとんど割れている。
しかし、石で作られているだけあって、天井も壁も無事だ。
これなら仮の宿にするには十分だろう。
そう思ったアイリスが教会の中に入ろうとした瞬間、巨大な何かが空を横切り、地面に影を作った。
と、同時に圧倒的な気配が漂う。
驚いたアイリスが空を見上げると、そこには赤いドラゴンが飛んでいた。
ドラゴンは低いうなり声を上げると、突風を巻き起こしながら、アイリスの目の前に降り立つ。
とにかく大きい、というのが第一印象。
ドラゴンは魔族の島クリフォト大陸にもいた。
もう見慣れてしまったが、アイリスが小柄なせいか、何度見ても大きいと感じてしまう。
頭の高さは教会よりも上で、翼を広げると、その辺の全てが影に包まれてしまう。
そんなドラゴンが敵意たっぷりの瞳でアイリスを見下ろし、そして言葉を発した。
「お前、何者だ? 私の縄張りに踏み込むとはいい度胸をしている。このまま立ち去るなら許してやる。だが、逆らうなら踏みつぶしてやるぞ!」
ドラゴンは意外にも女性の――それも若い少女のような声で語りかけてきた。
しかし、言葉の内容は剣呑そのもの。
攻撃の意思を隠そうともせず、それどころか命すらとると言っているのだ。
そこでアイリスは、自分に敵対の意思がないことを知ってもらうことにした。
「あなたの縄張りに入り込んでしまったことは謝るわ。でも、知らなかったのよ。私はただ、今夜眠る場所が欲しかっただけ。この教会さえ貸してくれたら、あとは何も要求しないわ」
人間とは会話をしたことがないので流暢にしゃべる自信はないが、モンスターは同類のようなものなので、まだしも緊張せずに済むのである。
「断る! この教会は私の寝床でもあるのだ! お前と一緒など、ごめん被る!」
そう叫び、ドラゴンは前足を持ち上げ、アイリスの頭上に振り下ろした。
これが人間だったら、確実に即死する。
並の魔族でも、ドラゴンに踏まれたら負傷するだろう。
だが、アイリス・クライシスは並ではない。
大魔王を超えるため、そして人間を根絶やしにするために作られた、生物兵器なのだ。
常識など通用しない。
アイリスは、ドラゴンの足を片手で受け止め、えいやっと押し返した。
まさか押し返されると思っていなかったのだろう。ドラゴンは簡単にバランスを崩し、ドドーンと派手な音を出して倒れてしまう。
「だ、大丈夫……?」
そこまでやるつもりのなかったアイリスは、オロオロしながら駆け寄る。
しかしドラゴンは自力で起き上がり、先程よりも鋭い眼光でアイリスを睨んできた。
「き、貴様……! よくもやってくれたな! こうなっては容赦はせん。消し炭になるがいい!」
ドラゴンの口の奥から赤い魔力の反応。
それに続いて、紅蓮の炎が勢いよく吐き出された。
膨大な魔力を体内で攻撃魔術に変換する、ドラゴンブレスだ。
どうやら、本当にアイリスを消し炭にするつもりのようだ。
ならば、アイリスもそれなりに反撃しなければならない。
「――反射結界」
アイリスは虹色の魔力光を放ちながら、自らの前面に壁を作る。
その壁に衝突したドラゴンブレスは、アイリスに届かなかったばかりか、まるで鏡で反射された光のように跳ね返されていく。
つまりドラゴンは、自分が吐いた炎で全身を包まれることになるわけだ。
「うおぉぉぉっ、熱い熱いぃぃぃぃいっ!」
ドラゴンは丘の斜面を転げ回って火を消す。
情けない姿だが、巨体なのでそれだけで地面が揺れる。
巻き込まれたら弱い魔族なら死んでしまうかもしれない。
「く、くそ、覚えていろよ! 絶対にこの縄張りを取り戻してやるからな!」
火が消えた後、ドラゴンは捨て台詞を残し、空の彼方に飛び立っていった。
目に涙がたまっていた。
何だか少し可愛い、とアイリスは思ってしまう。
「さてと。あのドラゴンには悪いけど、寝床を確保したわ。まだお昼だけど……早速、寝るわ!」
アイリスは鼻歌を鳴らしながら教会の扉を開ける。
中は思っていたよりも綺麗で、長椅子などがまだ残っていた。
アイリスは、その長椅子をベッド代わりにして、誰にも邪魔されない幸せな昼寝を開始した。




