15 ドラゴンのお母さん
アイリスとプニガミとシェリルが丘の上でまったりしていると、遠くの空から、巨大な二つの影が飛んできた。
「え、何ですか、あれ!?」
シェリルはその光景が信じられなかったらしく、目を擦りながらアイリスに尋ねる。
しかし、アイリスの視力はとてもいいので、疑問の余地なく、影の正体が分かった。
特に、片方は見覚えがある。
「ドラゴンね。赤いドラゴン。それが二匹、こっちに飛んでくるわ」
「うひゃあドラゴンですか! 大変です、ヤバいです! どうしてそんな強いモンスターがこんな田舎に向かってくるんです!?」
シェリルは悲鳴を上げながら、草むらの上をドタバタ走り回る。
「うーん……二匹のうちの一匹は、私が来る前、この辺に住んでたドラゴンだわ」
「えっ、ドラゴンがここに住んでたんですか!?」
「うん。それで、私も住みたいって言ったら喧嘩になって……突き飛ばしたら、泣いて飛んでいった」
「子供の喧嘩みたいですね! それにしてもアイリス様、ドラゴンを突き飛ばすくらい強いんですか。凄い! 流石は女神様! ひゅーひゅー!」
「いや、女神じゃなくて、魔王の娘だってば」
「またまたー」
シェリルはやはり信じてくれない。
別に信じてもらったからといっていいことがあるわけではないが、一応、訂正しておかないと、嘘をついていることになってしまう。
「で、泣いて逃げていったドラゴンがどうしてまた?」
「さあ……? 泣いて逃げたあと、もう一回来たことがあって。そのときはドラゴンブレスを吐かれたから、防ぐために氷の壁を作ったんだけど、ドラゴンのほうから体当たりしてきて、氷の壁に張り付いちゃって。そのまま凍り始めたから助けてあげたんだけど……おぼえてろよー的なことを泣きながら言って飛んでいったのよね。もしかして、仲間を連れてお礼参りに来たのかしら?」
「ダサッ! ダサすぎますよドラゴン! ああ、私の中のドラゴンに対するイメージが崩れていきます……!」
「そうね……私が前に見たことあるドラゴンは、もう少し寡黙で高潔な印象だったんだけど……この大陸のドラゴン、割とバカなのかも」
アイリスは魔族が住むクリフォト大陸の出身だ。
基本的にカプセルの中で育ったが、こちらに来る前、少しだけクリフォト大陸を見て回った。
クリフォト大陸には魔族の他にモンスターも多数生息していて、いまだに魔族に忠誠を誓っている。
そこにいたドラゴンは、図体に見合った威厳があった。
しかし、アイリスが二度にわたって追い払ったあのドラゴンには、威厳など微塵もなかった。
むしろ、シェリルよりアホという印象しかない。
「確かに、話を聞く限りバカっぽいですねー……って、話し込んでいる場合ではありません! バカでもあの大きさです。歩き回られたら、それだけでせっかく作った家が全部踏み潰されちゃいます! みんなー、逃げてくださーい! ドラゴン警報でぇすっ!」
シェリルは大声で叫びながら丘を駆け下りていく。
丘の下にいる人たちは、まだドラゴンに気づいていなかったらしい。
だが、シェリルの声で空を見上げ、そしてパニックが起きた。
クワやカマを投げ捨て逃げ出す者がいれば、逆にそれらを構えて迎え撃とうとする者もいた。
どちらも無謀である。
人間の脚ではドラゴンから逃げ切れないし、農具ではドラゴンを倒せない。
そんなこと、考えなくても分かりそうなことだが、それが分からなくなるからパニックなのだ。
そんなパニックが起きている村に、領主であるシェリル・シルバーライト男爵が飛び込んでいく! そして一緒になってわーわーパニックを起こし走り回った。
「アホねぇ……」
「ぷにー」
丘の上から眺めていたアイリスとプニガミは、呆れた声を漏らしてしまう。
こんなことでは、シェリルは立派な領主にはなれない。
とはいえ、まだ出来たてホヤホヤの村にドラゴンが二匹も迫っているのだから、仕方がないのかもしれない。
最初から難易度が高すぎる。相手が悪い。
「手を貸すしかないわね……プニガミ、行くわよ」
「ぷーに」
アイリスはプニガミの上に座り、丘を降りていく。
それと同時に、二匹のドラゴンも降下してきた。
ドラゴンたちが降りた先は、湖のど真ん中。おかげで建物も畑も壊されずに済んだ。だが、ドラゴンが移動したり火を噴いたりした瞬間、全てがご破算になってしまう。
そうなる前にアイリスがドラゴンを止めるのだ――。
と決意を固めてみたが、ドラゴンたちに動く気配がない。
ただ「ぎゃおーん」と鳴いて威嚇するだけだ。
しかも鳴いているのは、前にアイリスが追い払った個体で、もう一匹はジッと押し黙ったまま。
訳が分からない。
何をしに来たのだろう。
「こらー、ドラゴンたちー! そんなところに立ってたら、村の人たちがびっくりするでしょー!」
湖の畔まで辿り着いたアイリスは、どこか間の抜けたことを言うハメになる。
これでもっと積極的に暴れていたなら、威勢のいい啖呵を切ったのに。
「あー、そこにいたか、銀髪幼女! 今日こそ決着をつけるぞぅっ!」
アイリスを見つけたドラゴンは、たわけたことを言い出した。
こいつがアイリスと戦ったドラゴンだ。
もう一匹に比べてやや小さいので、アイリスは頭の中で『ドラゴン小』と仮の名前をつけた。
「何が決着よ。もう二回も私に負けて泣いて逃げたくせに」
「な、泣いてないし!」
「泣いてましたー」
「泣いてないもん!」
ドラゴンは女の子の声でぎゃーぎゃーわめく。
泣いてないもんと言いつつ、涙声だった。
そうやってドラゴンが醜態をさらしていると、もう一匹のドラゴンがようやく動いた。
こちらはやや大きいので『ドラゴン大』だ。
「こらぁ、人前で泣いちゃ駄目よぉ。ドラゴン全体の恥になるじゃないのー」
ドラゴン大は、どことなく間延びした女性の声で叱りつつ、ドラゴン小の頭を翼で叩く。
「あいたっ! やめてよお母さん……あいつの前で説教しないで! 恥ずかしいじゃないの!」
「今でも十分恥ずかしいでしょー。もう、しっかりしなさい。そんな情けない子に育てた覚えはないわよー」
「だって……あいつ強いんだもん……」
だもん、とか可愛く呟き、ドラゴン小はシュンと俯く。
「しょうがない子ねぇ。あら、ごめんなさい。えっと、あなたがうちの子を倒した子ね?」
ドラゴン大はアイリスを見つめてきた。
「そ、そうだけど……うちの子? ってことは、あなた、そいつのお母さん?」
「そうよー。私はジェシカ。この子はマリオンっていうの。よろしくねー」
「はあ……よろしく……アイリス・クライシスです。この子はプニガミです……」
「ぷにー」
まさかドラゴンに自己紹介されるとは思っていなかったので、アイリスは訳も分からず、馬鹿正直に名乗り返した。
「礼儀正しいのねぇ。小さいのに偉いわー。小さいのにうちの子に勝っちゃうしー。可愛いしー」
「ちょっとお母さん、私、負けてないし! 戦略的撤退しただけだし!」
ドラゴン小ことマリオンは、必死に弁明する。
が、母ジェシカにそんな言い訳は通じなかった。
「嘘ついちゃ駄目よー。あなたったら、長いこと家出してたと思ったら、急に帰ってきて『お母さーん、人間に虐められたー』って泣きついてきて……少しは反省しなさい!」
「うぅ……ごめんなさぁい……」
マリオンはまた俯き、今度は涙を流し始めた。
ドラゴンの瞳から湖に落ちた水滴は、特大の波紋を幾つも広げていく。
「あのー……親子喧嘩なら、どこか他の場所でやってもらえませんか?」
アイリスはいたたまれなくなり、恐る恐る進言する。
「あら、ごめんなさい。恥ずかしいところ見せちゃったわねー。実はね、アイリスちゃんに用事があって来たのよー」
「はあ……私に……何でしょう……?」
アイリスとしては、寝たいときに寝て、食べたいときに食べるという生活を送りたいだけなので、ドラゴンに用はない。
早くその用事とやらを片付けて帰って欲しいものだ。
「別に難しいことじゃないのよー。ほら、私たちドラゴンって強さが売りなところがあるでしょー? 強いからこそ、ドラゴンの里に不用意に近づく者はいないし、私たちの姿を見ただけで誰もが畏敬の念を持つのよー。それが人間の、それもアイリスちゃんみたいに可愛い女の子に負けたって話が広まったら、ドラゴン全体が舐められちゃうわ。というわけで、もう一度、うちのマリオンとタイマンしてくれないかしらー?」
ジェシカはのほほんとした口調で剣呑なことを語った。
「えっと……それってつまり、喧嘩を売りに来たってことですか……?」
「そうよー」
のほほんとし過ぎて分かりにくかったが、やはりそういうことらしい。
「タイマンするのは別にいいですけど……私が勝ちますよ?」
「凄い自信ねー。でも、うちの子だって真面目にやれば強いはずよー? ね、マリオン?」
「当たり前よ! あれからまた鍛え直したんだから!」
「そうよねー。私が鍛え直してあげたものねー」
「うぅ……地獄の修行がフラッシュバックする……ぶるぶる」
よほど凄い修行をやらされたのか、マリオンは震え始めた。
そのせいで大波が発生し、湖の水がバチャバチャ溢れ、村民たちにかかる。
アイリスとドラゴンたちの会話を黙って見守っていた彼らは、わーわー言いながら自ら逃げていく。
「きゃーきゃー」
一番悲鳴が大きいのはシェリルだった。
だが、真っ先に逃げるようなことはせず、一応、しんがりのポジションにいた。
まるで役に立っていないが、心意気だけはあるらしい。
「うーん……じゃあタイマンしてあげるから、場所を変えましょう。こんなところで戦ったら、村が滅茶苦茶になるわ」
「望むところよ! パワーアップした私の力を見せてあげるんだから!」
「マリオン、がんばれー」
アイリスは全くやる気がないが、またドラゴンと戦うことになってしまった。
これで三回目だ。
流石に、これで最後にしてもらいたい。
まあ、今回は母親同伴なので、変な因縁を付けられることはないはずだ。
そう信じて、アイリスはプニガミごと空を飛んで、村から離れていく。




