10 シェリル
「まずは自己紹介させてください。私の名前はシェリル・シルバーライト男爵。この土地の領主です」
シェリルを名乗る金髪の美少女は、床に跪いたまま、領主であると語り出す。
その話に少しだけ興味を持ったアイリスは、自分とプニガミを床に降ろし、続きを促す。
「領主? こんな草も生えていなかったような土地の領主って旨味あるの?」
「いえ……全く……なので私は王宮でメイドをしていました」
「へえ……じゃあ王様とかのお世話をしていたの?」
「いいえ。王女殿下のメイドをしている公爵家の娘のメイドです」
「……よく分からないけど、苦労してそうね、あなた」
改めて観察すると、幸薄そうな顔をしている。
苦労が全身に染み込んでいる。
何だか助けてあげたくなる雰囲気を放っている。
「アイリス様……そんな、私如きのことを気にかけてくださるなんて……何とお優しいお方! しかしご安心ください。衣食住には困りませんでした。多少いびられるくらいで……」
「いびられる……た、例えばどんな……?」
「そうですね……温かいものを食べたいというので持って行ったら、やっぱり冷たいのがいいと言われたり」
「ひぇぇ……」
「私に服を選ばせておきながら『センスないわね』と言ってきたり」
「うひゃぁぁ」
「あと私の顔が気にくらない、とか」
「うぎゃぁ! 想像しただけで胸が痛い……私がそんなこと言われたら……引きこもって二度と外に出ないわ……怖い……人間ってやっぱり怖い……」
「いやいや。アイリス様、大げさですよ。このくらい、どこにでもありますって。気にしなきゃいいだけのことですよ」
「どこにでもあるの!? やっぱり怖い! 私、お外でない!」
アイリスはそう叫び、脱ぎ散らかしていたローブで頭を隠し、しゃがみ込んでガタガタ震えた。
「ア、アイリス様、どうなされたのですっ? あ、もしや人間の愚かしさに絶望したのですか……?」
「絶望したわ。そんな他人を傷つける発言をする人間がどこにでもいるなんて……怖いから引きこもる。この土地に近寄らないで。私はここに住み、対人関係を必要最低限に抑えて生きていくわ!」
「そんな……近寄るなと言われても、ここは私の領地なのです……いえ、もちろん、神であるアイリス様にとって人間の都合などどうでもいいのかもしれませんが……私はシルバーライト男爵家を再興したいのです!」
「どこか他の場所でやればいいじゃない!」
「ここしか領地がないんですよぅ!」
シェリルは涙声になってアイリスのローブを引っ張る。
アイリスも今日出会ったばかりの人に絡まれて泣きそうだった。
「ぷにーぷにー」
すると、今まで黙っていたプニガミが、見かねて話に入ってきた。
「……このスライムさん、何者ですか?」
シェリルは小首をかしげながらプニガミを指先でぷにぷにつつく。
「この子はプニガミ。教会の裏の井戸で干からびていたの。色々あって、私の友達になったわ」
「ぷにぃ」
「アイリス様のご友人! つまりそれは女神の友人! 気安くつついてしまい、申し訳ありませんでした!」
シェリルは慌てた様子で頭を下げ、額を床に擦り付ける。
スライムに土下座する男爵がいるとは、世界はとても広い。
「ぷにー」
「プニガミは、別に気にしていないみたいよ」
「ああ……何と心の広いスライムでしょうか……ありがとうございます!」
「ぷにぷにぃ」
褒められたプニガミは、まんざらでもないようだ。
意外と照れ屋である。
「それでプニガミ。何か言いたいことがあったんじゃないの?」
「ぷにーぷにぷに、ぷにー」
「ええ……この人の領地なんだから、ちゃんと返してあげなさいって……? うう、そしたら私が住むところがなくなっちゃうじゃないの……」
「大丈夫ですよアイリス様! 一緒に住みましょう!」
「いやぁ! 人間怖いぃぃぃ!」
アイリスは亀の如く丸くなり、全身をローブで隠す。
「アイリス様、落ち着いてください。ほら、怖くないですよー。少なくとも、私は怖くないですよー」
シェリルに言われ、アイリスは考え込む。
「……確かに、あなたは怖くないわね。話しやすいし……人畜無害そうというか……アホっぽいし」
「アホ!? いえ、アイリス様が私を受け入れてくださるのでしたら、アホで結構です!」
アイリスがローブから頭だけ出すと、シェリルはぐっと拳を握りしめ、やる気に満ちた顔になっていた。
やはりアホっぽい。
「でも……あなたみたいに人畜無害な人を虐める悪い奴もいるんでしょう……?」
「まあ……多少は……」
「この辺に人が増えたら、そういう悪い奴が来るかもしれないじゃないの! そんなの嫌よ!」
以前、初めて人間の町に行ったとき、アイリスはカツアゲに遭遇した。
恐怖のあまり、反射的に殴り倒してしまった。
また、あのような連中に出くわしたら……次は殴るだけは済まないかもしれない。
「でしたら、こうしましょう! 開拓は、丘の下だけに限定します! 教会の周りは、女神が住まう神聖な土地として、人間の立ち入りを制限しましょう。これなら怖い人が来ませんよ」
「……それでも完全とは言いがたいわ。何か私のメリットになることはないの?」
「メリットですか……ではアイリス様。何か欲しいものはありませんか?」
「……人間のいない空間」
「ぐぬっ……それ以外に、何かこう……例えば、アイリス様が好きなことって何ですか?」
「そうね……ぐっすり眠ること。あと、美味しいものを食べることかしら?」
「おお、それです!」
シェリルは名案を思いついたらしく、パチンと指を鳴らした。
「私がこの土地の領主として、アイリス様に豪華なベッドと、ふかふかの布団をプレゼントします。更に、美味しい食べ物も持ってきます!」
「く、詳しく聞かせて!」
話が予想外の方向に向かってきた。
豪華なベッドに、ふかふかの布団。更に美味しい食べ物が黙っていても出てくるとなれば、話くらいは聞いてやってもいい。
「つまり。アイリス様はこの土地の守護神なわけですから、そのアイリス様を祭っている教会を綺麗にするのは、領主として当然でしょう。教会は数あれど、こうして女神様が実際に寝泊まりしている教会など他にありません! これはお世話のしがいがありますヒャッホウ!」
「ヒャ、ヒャッホウ……」
「ぷにー」
やはりアホではなかろうか。
「というわけで、アイリス様にぐっすり快適に眠って頂くために、私の責任で、この教会に最高級の寝具を用意します。どこに置けばいいですか? あの祭壇がある場所とかどうですか? いいですね、祭壇で眠る女神様。私、はりきって祈っちゃいますよ!」
「別にはりきって祈らなくてもいいけど……ベッドと布団は楽しみだわ。それで、美味しい食べ物って、具体的にどんな……?」
「ひとまずは、他の町から、いい感じのお菓子などを運んできましょう! それから、この辺の開拓が進んだら、ここで取れた食材を使って私が料理します!」
「あなた、料理得意なの?」
「お任せを! これでもメイドでしたから! シェフには一歩劣るかもしれませんが、お夜食などを作ってお嬢様に出していました!」
シェリルは自慢げに胸を反らし、むふーと鼻息を荒くした。
なるほど、言われてみれば、彼女の経歴からして、家事全般が得意なのは当然だ。
これは期待してもいいかもしれない。
なにより、アイリスが自分で町に行って食料を調達しなくていいというのが素晴らしい。
ずっと引きこもっていられる。
「分かったわ。とりあえず、あなたのことは信じるわ。でも、あなた以外は信じてないから、極力、教会に近づけないで。もし知らない人がいきなり入ってきたら……びっくりして燃やすかもしれないわ」
「な、何を燃やすんですか!?」
「世界を」
「世界! それは大変です。立ち入り禁止を徹底させます!」
シェリルは床に座ったまま、ぺこぺこと頭を下げる。
あまりにもぺこぺこされたので、アイリスは何だか申し訳なくなってきた。
「いや……こちらこそ、そのよろしく……」
アイリスも座ったまま、ぺこぺこする。
お互い、十回ほどぺこぺこしたあと、ようやく立ち上がった。
「では、私は一度、王都に帰ります。開拓すると言っても、私は無一文に近いので。まずは資金を集めないと!」
「なるほど資金ね……だったら、教会の周りに生えているエリキシル草、好きなだけ持って行っていいわよ。どうせまた生えてくるし」
とアイリスが言うと、シェリルはポカンとした顔になった。いかにもアホっぽい。
「エリキシル草……? え、まさか、そんな貴重な薬草が生えているのですか!?」
「うん。なんか、凄い生えてる」
「マジですか!?」
論より証拠ということで、アイリスは彼女を外に連れ出し、実際に見せる。
エリキシル草の数は日々、増えている。
数えたことはないが、教会の周りに百本くらい生えているのではないだろうか。
「ほら」
「ほ、本当ですね! さっきは気にもしていませんでしたが、確かにエリキシル草が、あっちにも、こっちにも!」
「しかも、普通のエリキシル草よりも魔力を多く含んでるみたい。ほら、虹色でしょ? これ、私の魔力を吸ってこうなったのよ」
「ほわぁぁぁしゅごい! これしゅごい! これ売ったら借金しなくても開拓できりゅぅぅ!」
「全部持って行っていいわよ」
「神! アイリス様まさに女神! いわゆるゴッド!」
と叫んで、シェリルは鼻血を吹いて気絶した。
「は!? 何で!?」
「ぷにー!」
倒れたシェリルを、プニガミの上に乗せ、教会に運び込み、看病する。
「えっと、まずは鼻血を拭いて、それから……わっ、熱もある! 濡れタオル用意しなきゃ!」
アイリスは井戸へと走って行く。
どうして自分がこんなことをしなければいけないのだろうとため息をつく。
シェリルは人間のくせに怖くないが、アホ過ぎて面倒だなぁと思うアイリスであった。