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ツボ士 伊蔵 闇手帖  作者: 美月 純
3/5

「貪られた男」

「ありがとう、マーくん」

ユキは帰り際の雅夫に言葉を発して、ほっぺたに軽くキスをした。


「あ、あぁ、こ、こちらこそ、あ、ありがとう」ぎこちなく雅夫が答えた。

「また、今週中に必ず来てね。待ってるから。」


「あ、う、うん。か、必ず来るよ。」

「じゃあね。」

そう言うとユキは雅夫の頬に手を合わせて軽く撫で上げ、そのまま振り返って店に入って行った。

その後ろ姿を呆然と見送る雅夫の顔は赤くタコのように上気していた。


「やれやれ、またあの小太りきたわよ。」

ため息と共に同僚のミサキにつぶやいた。


「いいじゃない。相当ユキに入れ込んでるし、いいカモじゃない。」

「そうなんだけど、ほとんどしゃべらないし、ひたすらあたしの顔を見てボーッとしてるだけなんだから、おまけに酒勧めてもほとんど飲まないし。」


「その分ユキが空けてんでしょ。」

「まあね。でも、かったるいんだよね。」


「ねぇ、なんかあの人かなり真面目そうだし、ユキが惚れてる風なこと言えば、その気になって貢ぐんじゃない?」

「えー、やだキモい。」


「なに言ってんのよ。ああいうのが使い道のない金を貯めてるものなのよ。」

「そうかな…。」


「そうよ。お金がかわいそう。早く解放してあげないと。」

「そうね。お金、解放してあげないとね。」



こうして焚き付けられたユキは早速雅夫に営業メールをした。

『大好きな雅夫さんへ 次の出勤日は金曜の7時からなんで、必ず来てくださいね。あー、週末まで待てない。早く会いたい…』


そのメールを受け取った雅夫はすでに家についていた。

来ていたワイシャツとズボンを脱ぎ、下着一枚とランニングシャツ姿になった雅夫は、そのメールに目を通した。途端に鼻息が荒くなり、顔が真っ赤に染まる。

「ユキたん…。」

一人の時はユキのことをこう呼んでいた。


『僕も早くユキさんに会いたいです。金曜日に必ず行きます。予約をお願いします。』

メールでは、焦らず言葉を発せられた。


「よっしゃー!」

メールの返信を受け取ったユキはガッツポーズを取り、同僚のミサキに見せた。




金曜日 午後7時ぴったりに店に入った雅夫は、出迎えたボーイに

「ユ、ユキさんを、お、お願いします。」

とやはり焦って言った。


「ユキさんをご指名の木月雅夫様ですね。どうぞ、こちらへ。」

ボーイの先導で、席に案内され、座って間も無くユキが姿を表した。


「あーん、マーくん。会いたかった〜。」

そういうと座っている雅夫に覆いかぶさるようにして、大げさにハグをした。

その瞬間雅夫の顔は例によって真っ赤になり、すでに酒で出来上がったかのようだった。


「ねぇ、マーくん。」

「……。」


「実はね。あたし、今月誕生日なんだ。」

「た、誕生日?」


「そう、17日、明後日なんだけど…でもね。今彼氏もいないし、誰も祝ってくれないから、その日はお店に来ようかって思ってるの。」

「……。」

「マーくん、お祝いしてくれる?」


「あ、お、お祝い…。」

「そう、マーくんにお祝いして欲しいの。」


「う、うん、ユキさんのお祝い、す、するよ。」

「うれしい!」

そういってユキはふっくらとした雅夫の腹回りに手を伸ばし、わざとらしく抱きついた。

再び真っ赤になった雅夫の顔をユキは表面上はニコニコと見ていた。


『このデブ、少しは奮発してこいよ。しょぼいプレゼントだったら承知しないからな。そうだ…。』

心の中でつぶやく。


「ねぇ、マーくん、実はね、ちょっとほしいバッグがあるの。」

そういうと、ユキはスマホを取り出して、

「これなんだけど。知ってるかな。プラダってところのカナバトートっていうバッグなの。」

そういいながらスマホで写真を見せる。


「お店のコもみんな持ってるんだけど、けっこう高くて…。」

「い、いくらなの?」

「正規で買うと7万5千円くらいかな。」


「な、7万5千円…。」

「そう、やっぱ高いよね、ごめんね。忘れて。」

寂しそうな顔を雅夫に見せる。


「え、あ、欲しいんだよね。」

「欲しいけど…ごめんなさい。頑張って自分で稼いで買うから。大丈夫!ごめんね。もう気にしないで。」


「あ、買うよ。ぼ、僕が買う。ユキさんにプレゼントする。」

「え?ほんと?!」


「う、うん、お誕生日の日に、も、持ってくるよ。」

「うれしい!ありがとう〜!」

そういうと再び抱きつき、頬にキスをした。


次の来店日、雅夫は約束通りユキの欲しがっていた真っ白なプラダのカナバトートを携えてやって来た。

そして、店の同僚が見ている前で「プレゼントをもらった!」と大げさに振る舞い、勢いでピンクのドンペリまで開けさせた。

雅夫はバッグ代7万5千円にその日の飲み代10万5千円も支払ったが、ユキの嬉しそうな顔をみると、支払った金の高さなど気にならなかった。



「ユキやったわね。まんまとバッグせしめたね。」

「ほんと、ちょろいもんだわ。楽勝!」


「ふふっ、やっぱ、お金持ってたでしょ四十も過ぎて、独身で、一応けっこう大きな会社の経理とかやってて、持ってないわけないよ。」

「だねー、まだあるねきっと。」


「あるある、家でタンス預金でもしてんじゃない。」

「あははは、やってそう。ジジイみたいにね。」


「きゃははは。ジジイはかわいそうだよ。まだ42とかでしょ?」

「じじいだよ。小太りのウスラハゲだし。」


「ひっどーい、ユキお誕生日プレゼントもらったんでしょ。」

「あ、そうでした。」

そういうとユキはペロッと舌を出した。




「伊蔵ちゃん、知ってる?」

「……。」

「なんか、歌舞伎町のキャバ嬢に熱を上げた中年のサラリーマンが、会社の金を使い込んで、それがばれて、自殺しちゃったらしいわよ。」

倫子がいつものようにマッサージを受けながら世間話を始めた。


「……。」

「なんで使い込んだの?」

麻痺路が尋ねた。


「なんでも、初めは誕生日プレゼントを渡すくらいで自分の貯金から出してたらしいんだけど、ある時そのキャバ嬢が『自分は不治の病で、治療費に金がかかる』とか言って、徐々に金を巻き上げて、ついには店をやめて行方をくらましたんだって。」

「ひっどいね、それ。そのサラリーマンのおじさんはそれで自殺しちゃったわけ?」


「そう、会社の経理をやってたらしいんだけど、最初は1万、2万て少額だったけど、治療費と言われ彼女を助けたい一心で、10万、20万とエスカレートしちゃったみたい。」

「でも、死ななくてもよかったのに。」


「真面目な人だったんじゃない?一途な男ってまだいるのね。」

「倫子さんには、そういう男はよりつなかないだろうけどね。」


「うるさいわよ小娘!」

「へへっ小娘でけっこうですよ。まだ、わっかいからね!」


「キーっ、伊蔵ちゃんこいつなんとかしてちょーだい!せっかく癒されに来てるのに逆効果だわ!」

伊蔵は麻痺路と倫子のかけあいをよそに、黙って考え込んでいた。




「伊蔵どうしたの?」

「この男の名前…見覚えがある。」

新聞に書かれた自殺した男の名前を見て伊蔵がつぶやいた。


「え?知り合い?」

「いや、確か…この男の姉が俺と同級生だった気がする。」


「気がするって…いつの同級生?」

「中学の…。」


「へぇ、伊蔵中学出なんだ。エリートだな。」

「ちょっと出かけてくる。」

そういうと伊蔵は取るものもとりあえず、店を後にした。


伊蔵は小さな一軒家の前に立つとその呼び鈴をならした。

「はい、どちら様?」

インターホンから、か細い女の声の返事があった。


黙って待っていると玄関がガチャリと開いた。

「え?まさか、不藤君?」

「……。木月…さん。」


「わ、その声、不藤くんに間違いないわね。なつかしい。30年ぶりくらい?」

「あぁ、そうなるな。」


「あ、もしよかったら、どうぞ、何もないけど入ってください。」

そういうと木月洋子は伊蔵を招き入れた。


玄関を抜けると六畳の居間があり、布団が掛かっていないコタツが、ちゃぶ台代わりに使われていた。

冷えた麦茶を出しながら洋子が言った。

「どうしたの?急に。よく覚えていたわね、この家。」

「あぁ、あの頃、一度だけ来たな。」


「そうね、私の弟が近所の悪ガキにいじめられたのを助けてくれて、家まで送ってくれたのよね。」

「……。」


「新聞…読んだ?あの子…」

そういうと、洋子は仏壇のほうに目をやった。

伊蔵もその目の向く方を追った。

そこには、小さな遺影があり、自殺した弟の笑顔が写し出されていた。


「いい子だったのよ。本当に姉思いだったし…。」

洋子の声は掠れ出し、一筋の涙が頬を伝った。


「なんで、自殺なんて…あの女に騙されたのよ。」

「……。」


「ある日、いつも以上に無口だったから、『どうしたの?』って雅夫に聞いたの?」

「……。」


「そうしたらあの子、突然涙ぐんで…、でも、『なんでもない』と言って部屋にこもってしまって、翌朝普通に起きて来たから安心して私は勤めに出たの。そうしたら、あの子の会社から連絡があって出勤してないって…、でも、私も仕事をほってはいけなかったから、定時になってすぐに帰ったの。そうしたら、…あの子…2階の自分の部屋で…。」


そこまでいうと洋子は堰を切ったように大声で泣き出して、伊蔵の胸に飛び込んできた。

しっかりと洋子の体を抱きとめた伊蔵は


「泣きたいだけ泣けばいい」


と言って洋子の体をその大柄な体で包み込んだ。





「伊蔵!」

帰ってきた伊蔵に麻痺路が駆け寄っていった。


「写真が…。」

「え?」

麻痺路が聞き直す。


「写真が言ったんだ。『うらみをはらしてほしい』と。」

「伊蔵…わかった。調べてくるね。」

そういうと麻痺路は表に駆け出した。




「伊蔵!居所わかったよ。」

「……。」


「灯台下暗し。歌舞伎町に舞い戻ってやがった。」

「……。」


「店は変わったけど、ここ。」

そういうと麻痺路は店の写真とユキの写真をテーブルに投げた。」


伊蔵はその写真をおもむろに拾うとジッとひとにらみして、再びテーブルに写真を投げて、そのまま外へ歩き出した。




「あー、飲んだー、さっきの客、派手に金使ってくれたねー。」

ユキが店の後輩のユウナに言った。


「ユキさんが上手なんですよ。また、前の男みたいに搾り取るだけ絞り取れそうですね。」

「ちょっとユウナちゃん、人聞きの悪いこと言わないで。搾り取ったわけじゃないのよ。相手から貢いでくれたの。」


「あ、そうでした。ごめんなさーい。」

「あははは、わかればよろしい!」

なんの屈託もなく、大声で笑い飛ばしていた。




「あー。つっかれたぁ。」

店を後にしたユキが、少し酔いながら、帰り道をフラフラと歩いていた。


「ちょっと飲みすぎたかな。また、貢くんを探さなきゃな。そろそろ雅夫くんから巻き上げたお金も少なくなってきたし。」

ぶつぶつと独り言を言いながら歩いていた。


大通りから一本入った路地に出ると、そこはあまり光もなく、夜中は目がなれるまで真っ暗に感じる。


「もう、金はなくなったのか?」

地の底から響くような突然の声に、ユキはビクリとして、その場に立ちすくんだ。


「誰?!」

周りを見渡すが誰もいない。

足を早めて歩き出す。


「お前が騙した男はおまえに惚れていたんだよ。」

「なに!誰!どこにいるの、出てらっしゃい!」

震える声で出せる限りの声を張り上げる。


「警察呼ぶわよ!」

そう言ってプラダのバッグから携帯を出した。

瞬間、携帯が手から滑り落ち、つかんでいた右手がちょうど背中を掻くような形にくっつき動かなくなる。


「いやぁ、何、これ?」

伊蔵がユキの前に現れる。しかし、暗くてその顔は見えない。


肩井けんせいというツボをついた。おまえの腕は元には戻らない。」

「なに?!ツボ?なにそれ?ちょっと戻しなさいよ。警察…」


そう言って落とした携帯を左手で拾おうとした瞬間、今度は左腕も背中にくっつき離れなくなり、バランスを崩したユキはそのまま顔面から地面に倒れこんだ。

鼻を折る鈍い音がして、地面が血に染まる。


「おまえが死に追いやった雅夫はもっと苦しかっただろうな。」

「ちょっとあんあ、ましゃおのなんらのよ。」

口からも出血があるせいでまともにしゃべれないが、その眼光だけは鋭く光っていた。


「なるほど、根性だけは座っているようだな。」

伊蔵はそう言うと倒れこんでいるユキの腰のところに両方の親指をめり込ませた。

「あ?あぁ??」

少しずつユキの足が後ろに浮かび上がり、腰の方にエビのように曲がり出す。


帯脈たいみゃくというツボをついた。もう、お前の身体は止まらない。」

「い、いや!やめれ……ギュア!」

声にならない断末魔の叫びが暗闇に吸い込まれた。




「不藤くん。」

「この花を弟さんに。」

玄関先に立つ伊蔵が慣れない手つきで洋子に花束を渡す。


「ありがとう、よかったら上がって。」

「いや、仕事の途中なので、今日は失礼する。」


「そう、また…来てくれる?」

「いや、たぶん、もう…。」


「そう…ありがとう。弟、喜ぶと思うわ、ありがとう。さようなら。」

「あぁ、さようなら。」


伊蔵は振り返ることなく歩き出す。

洋子は玄関先から伊蔵の姿が見えなくなるまで見送った。


路地に入ると麻痺路が駆け寄った。

「伊蔵、いいの?好きなんじゃないの?」

「……。」


「あの人、洋子さんもきっと伊蔵のこと…」

「いいんだよ。俺と彼女では住む世界が違う。」


「でも…。」

「いいんだ。俺には人を幸せにすることはできない。」


「伊蔵…。」


ツボ士伊蔵 闇手帖 第三話完。


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