「裏切られた女」
「伊蔵ちゃん!紹介するわ、みやびチャン。」
「・・・・・・。」
「あ、初めましてみやびです。倫子おねえさんにいいマッサージをしていただけるお店があるって聞いて・・・。」
「伊蔵ちゃん、愛想ないけど腕は確かよ。あ、それとマッサージじゃないの。ツボ士っていってね。みやびちゃん。」
「あ、すみません。ツボ士…ですね。」
「伊蔵ちゃん、この子まだ18歳なのよ。18歳!見て肌なんかピッチピチ!」
「倫子ねえさんのビヨンボヨンの肌とは違うね~」
麻痺路が横からチャチャを入れる。
「うるっさいわねぇ、この小娘が!」
「でね。この子偉いのよ~、今はオナクラに勤めてはいるけど、現役の大学生で、将来は保母さんとか幼稚園の先生になるんですって。しかも、その学費を自分で稼ぐために風俗に勤めてるのよ。」
「・・・・・・。」
「倫子ねえさん、オナクラってなに?」
「いいのよ。未成年がそんなこと知らなくて。」
「ちぇ!ケチ!教えてくれたっていいじゃん。」
麻痺路がむくれる。
「あ、まひろちゃん?ですか。あのね。オナクラって言うのは、男の人がオナニーをするところを見たり、手で手伝ったりする風俗なの。」
「へぇ?見てるだけ?」
「そう、人によっては見てるだけで…、それで興奮するらしいの。」
「え、お姉さんは裸になるの?」
「服を着たまま見てる場合もあるの。ほとんどのお客さんはトップレスまでは要求してくるけど。」
「へぇ、さわられたりなめられたりしないの?」
「さわるのはオプションになるから、さらにお金がかかるの。最近のサラリーマンは不景気だから、あまりオプションつけない人が多い。」
「ふ~ん。けっこう楽な風俗だね。麻痺路にもできそう」
「バカいってんじゃないわよ。18歳未満はお断り。」
「へ~ん、別に倫子さんに雇われるわけじゃねぇし。」
「ふん!あんたみたいなお転婆は、18歳になってもどの店も雇わないわよ。」
「うるさい、ばばぁ!じゃなくてじじぃ!」
「なんですっって!」
「あ、倫子ねえさん。私のマッサージは・・・。」
「あ、失礼、(おぼえてらっしゃい)じゃあ、伊蔵ちゃん、この子若いのに苦労人だから、念入りにツボお願いね。」
「あぁ。」
そういってみやびを預けて倫子は去っていった。
「あのぉ、私の体、痛んでますか?」
「ん?そうだな。18歳の体じゃないな。」
「やっぱり・・・、けっこうハンドでするから、同じ動きで腱鞘炎みたいになるんですよ。」
「・・・・・。」
「オナクラって実はもらえるお金もふつうの風俗に比べると安いんで、今悩んでるんです。でも、あんまり体力もないし、やっぱり学業優先したいんで。」
「大学の学費、自分でってことだけど、親は面倒見てくれないのかい?」
「うち、ちょっと複雑で・・・、母親しかいないのと、姉がいるんですけど、これが無職で家に入りびったって、母親の働いたお金は、ほとんど姉が食いつぶしてしまって。」
「・・・・・・。」
「なので、大学もがんばって国立に入ったんですけど、一人暮らしのお金と学費は全部自分で稼がないといけないんで、普通のバイトじゃ、ちょっと無理なんです。」
「今時の若いのに比べたら偉いもんだな。」
「そんなことないです。貧乏のくせして大学なんて高望みするからいけないんです。」
「・・・・・・。」
「でも、子どもが大好きなんで、なんとか保母さんか幼稚園の先生になって、ちゃんと就職もしたいんです。」
「夢か・・・、がんばんな。」
「はい、ありがとうございます。あ、本当に体が軽くなりました。おいくらですか?」
「今日は初回お試しコースだから、無料だ。」
「え!そんな、だめです。ちゃんと取ってください。」
「次回からはちゃんと取るよ。また、いつでも来な。」
「ありがとうございます。また、必ず来ます。」
みやびは優しい笑顔を残して帰っていった。
「伊蔵~、惚れたんじゃないよね~。」
麻痺路が冷やかす。
「かもな。」
「えぇ!!」
「ただいま。遅くなってごめんね。今ご飯の準備するから。」
「お帰り。うん、大丈夫だよ。居候の身だし。」
「瞬チャン、なに言ってんの。勉強は、はかどった?」
「やる気がいまいちで・・・。」
「そう、焦らないでね。来年の試験まで、まだ時間はあるんだから。」
みやびと暮らすこの男は、高校時代からみやびと付き合っている男で、いったん大学に入ったが中退し、税理士を目指すといって、勉強をしている。
はずだったが、実際は、みやびの稼いできた金でパチンコ通い、ネットでのギャンブルなど、まともに勉強などしていなかった。
みやびも自分の学費や家賃なども払わなければならないため、瞬には毎月1万の小遣いを与え、金の管理はみやびがしていた。
『いったい。どれくらいみやびは貯めてるんだ…』
瞬は、風俗に勤めているみやびがしこたま儲けていると勝手に思いこんでいた。
「ごはん、できたよ。今日は瞬ちゃんの好きな肉じゃが。どう?」
「うん、うまい!みやび、いつもありがとう。俺が税理士になったら、結婚して幸せにするからな。」
「うん、待ってる。瞬ちゃんを信じて待ってるからね。」
食事の後、ちょっとコンビニに行くと瞬は外へ出た。
プルルル
「あ、陽子、俺、うん、明後日な、11時に新宿駅の・・・。」
金をみやびからせしめているだけでなく、浮気までしていた。
「ちっ。金が、もうない。みやびのやつきっとため込んでるはずだ。」
「じゃあね。瞬ちゃん、行ってきます。」
「あー、気をつけて、今日は何時頃になりそう?」
「今日はラストまでだから、帰りは1時くらいになっちゃうかも。先にご飯食べて寝ててね。」
「うん、寂しいけど・・・頑張って勉強してるよ。」
「うん!じゃあ、行ってきます!」
軽くキスを交わす。
瞬は、みやびが遠ざかった頃を見計らって、部屋中の家捜しを始めた。
「ここにもない。こっちのタンスか・・・。ん?これは?」
みやびの化粧台についている引き出しにわずかに厚みがあるのを見つけた。
「これって二重底になってる。あ!あった!通帳と印鑑」
開けてみると、そこには300万ほど記録されていた。
「300万!これだけあれば結構な軍資金になるな。陽子とトンズラって手もあるし。」
そう言いながら、そっと元のところに通帳と印鑑を戻した。
「ただいま。もう寝てるかな?」
「あ、お帰り、勉強してた。待ってたよ。」
「うれしい。瞬ちゃん、頑張ってるんだね。」
「うん、あのさ、みやび。もうすぐ大学も休みに入るよね。」
「うん。」
「よかったらさぁ、気晴らしに旅行でもいかない?」
「え?旅行?でも、そんなお金の余裕ないし・・・。」
「あ、お金がかからない方法あるから。友達に車を借りて日帰りでちょっとドライブでもいいし。」
「うん、そうだね。たまには気晴らしも大事だよね。」
「そうそう、無理をしてばっかりだとかえって効率悪いし。」
「そっか、そうだよね。うん、じゃあ、いつ行く?」
こうして、瞬はみやびを旅行に誘い出した。
次の週末
「いい車借りれたね。」
「あー友達の友達ってやつだけど、金持ちのボンボンらしいから。ガスだけ満タンで返せばいいって。」
「運転大丈夫?久しぶりでしょ?」
「任せとけって。大事なみやびを乗せてんだから、安全運転で行くよ。」
「うん、じゃあ、出発進行!!」
こうして、瞬たちを乗せた車は伊豆方面へと向かった。
「あーお昼おいしかったね。やっぱこっちはお魚がおいしい。」
「悪かったね。昼飯代また出してもらっちゃって。」
「やだぁ、瞬ちゃん、そんなこと気にしないで。」
「いつか、倍にも3倍にもして返してやるからな。」
「うん、期待してる!」
「みやび、ちょっとこっちの方いってみようか?」
「この先って海見えるのかな?」
「たぶん、地図上では道が切れてるけど、きっと眺めいいんじゃないかな。」
「そうだね。行ってみよう。」
公園になっている敷地から、奥に入っていくと地図にはないが人が歩ける道はあった。
「こっち、こっち。」
「あん、瞬ちゃん早いよ。」
「わ!みやび、見てごらん。」
そこは、目前に断崖絶壁、その先に地球の形がわかる丸い水平線が180度に渡って見えていた。
「すっごーい、こんな景色初めて!」
「わぁ、この崖、迫力あるぅ」
「あぶないよ。瞬ちゃん、気をつけて。」
「大丈夫、ほら、みやびも覗いてごらんよ。押さえててあげるから。」
「う、うん。わぁ、ほんとすっごーい!こっから落ちたら浮かんでこれそうにないね。」
「だね。じゃあ、いってみようか。」
「え?」
みやびが振り返ろうとした瞬間、瞬はスッと手を離し、そのまま軽くみやびを押した。
凍り付いたように、目を見開いたみやびの顔が、瞬の脳裏にしばらく焼き付いて離れなかった。
部屋に戻ると早速預金通帳を持ち出し、その足で銀行に行き、あらかじめ用意しておいた偽の委任状を出して、まんまと300万の金を手に入れた。
そして、なに食わぬ顔で、駒込にある陽子の家に転がり込んだ。
「ちょっと伊蔵ちゃん!!」
倫子が蒼白な顔をして、店に転がり込んできた。
「これみて!」
そういうと新聞の社会面の小さな記事を指して、
「これ、みやびちゃんよ。」
伊蔵もさすがに驚いた顔を倫子に向けた。
「どういうことだ?」
「伊豆の海で、昨日みやびちゃんの遺体が発見されたの。一応お店のオーナーから私にも連絡があって・・・。今朝母親が確認したそうよ。みやびに間違いないって。」
「なんで?みやびおねえちゃん、あんなに生き生きしてたじゃない。自殺なんかじゃないよね?!」
麻痺路が倫子に食ってかかる。
「警察では、外傷もないし、事故か自殺のどちらかの線が濃厚だって」
「そんな。事故にしたって、なんでこんなところに行ってたんだよ。理由がないじゃん。」
「ひとつだけ、警察も知らないことだけど、みやびちゃん、男と同棲してたの。」
「同棲?」
「そう、一度だけ話を聞いたんだけど、なんでも高校の同級生で税理士目指して勉強しているらしいんだけど、バイトもしてないから、全部みやびちゃんが経済的面倒は見てたらしいの。その男が、一昨日から行方不明らしいの。」
「行方不明?あやしいじゃん。」
「それと、みやびちゃん、実はその男がまともに勉強をしていなくて、実はギャンブルにはまっていることを薄々感づいていたの。勉強をしている振りはしてるけど、女はわかるからね。それでも、いいって…あの子本当にその男のこと好きだったみたい。」
「調べてくる。」
そう言うと麻痺路は上着をひったくるようにして出ていった。
「わかった。この男、香田 瞬、19歳 半年前に大学を中退して、みやびのところに転がりこんでいたみたい。」
そう言って麻痺路は瞬の写真を伊蔵の前に放り投げた。
「事件の後、香田は自分の痕跡が残らないようにすべて自分のものはみやびの部屋から処分して、出ていっている。
それと・・・。」
「それと?」
「みやびが貯めていた預金が通帳ごと無くなっていて、みやびの遺体があがる2日前に何者かが全額引き出している。引き出したのは男性、若い男らしい。」
「・・・・・。」
「その額、300万だって。みやびが来年の学費と生活費のために稼いだ金だよ。」
「・・・・・・。」
「その金ごと香田は消えた。」
「・・・・・・。」
「許せない・・・伊蔵、いくよね。」
黙って伊蔵は頷いた。
「陽子~、これみろよ。」
「どうしたの?そのお金。」
「当たったんだよ。競馬で。」
「え、すごーい!万馬券ってやつ?」
「そうそう、万馬券も大万馬券が当たったんだよ。」
そう言って香田 瞬は、陽子の目の前に札束を投げた。
「じゃあ、瞬ちゃん、ちょっと買い出しに行ってくるね。」
「ああ、ビールとハイボール頼むな。」
「ふふふ、これだけあれば当分は遊んで暮らせる。それにこれを元手に賭ければ、さらに金を増やせる。だんだん運が廻ってきたな。ははは、あはははは!」
バチンッ
突然部屋の明かりがすべて消えた。
「おぉ、びっくりした!なんだ停電かよ。」
陽子の1Kの部屋が闇に包まれた。
カチャ
玄関のドアが開く音がした。
中扉越しに気配を感じた瞬は思わず声を発した。
「陽子、いきなり停電だよ。外も停電?」
「・・・・・・。」
「ったく、折角、気分良く飲もうと思ったのに、こんなんじゃ味気ねぇや。」
「・・・・・・。」
「おい!陽子、なにやってんだよ。早く入ってこいよ。」
ガチャ
中扉が開かれた。
その瞬間、瞬の身体の頭からつま先まで電気のような刺激が走り、全く身体が動かなくなった。
「え?えっ?」
後ろに人の気配を感じるが、身体が固まった瞬は振り返ることができない。
「おまえを信じていた女が、おまえに裏切られて、どうしても許せないと訴えてきたんだ。」
「だ、だれだ!」
「おまえの女の代理人だ。」
「俺の女?誰のこと言ってんだ?!俺の女は今買い物に出かけている。誰かと勘違いしてんじゃないか?」
「・・・・・・。」
「おい、なぁ、勘違いだよ。でも、いいや、金、金やるから。いくらほしい?その金やったら、俺の身体を自由にしてくれ。なっ、いいだろ。なっ。」
「じゃあ、300万くれ。」
「はぁ?300万?なに寝ぼけたこと言ってんだ。そんな金ある分けないだろ。なぁ、とりあえず10万やるから。結構な額だろ?」
「いや、300万だ。」
「無理だって。300万なんてない。」
「いや、あるはずだ。みやびが身体を売って稼いだ300万だ!」
「えっ?お、おまえみやびの何なんだ?!」
「言ったろ。代理人だ。」
「ふざけんな!」
「ふざけているのは、おまえのほうだ。」
伊蔵は経絡のひとつ腎兪をついた。
仰向けに座り込んでいた瞬の身体が、仰け反り始めた。
「お、おい、何した?身体が・・・、身体が勝手に・・・。」
「おまえの身体はもう、おまえの意思とは関係なく動く。」
「はぁ?何いってんだ。そんなバカな・・・う、うわぁぁ!」
瞬の身体はちょうど体操選手やアクロバットでブリッジをするように曲がり始め、両足と両手の間が徐々に近づいていく。
「やめ、た、助けてくれ!これ以上は無理・・・。」
「みやびはそんな命乞いをする間もなかったはずだ。」
「あ!うわわわわわ!うぎゅ!」
背骨が折れる音と共に瞬の命乞いの声も途絶えた。
「ただいま~、あれ?部屋の電気、瞬?どうかした?瞬?え、あ?きゃあぁぁぁ!」
「これで、みやびも浮かばれたかな?」
「・・・・・・。」
「・・・・・・。」
「少なくとも・・・。」
「?」
「あの男は地獄に行くから、みやびと会うことはないだろう。それがせめてもの救いだ。」
「そうだね。」
昼間は腕の立つ整体師、夜は人知れず悪を葬る恨み請負人
ツボ士伊蔵、闇手帳、第二話完。