第六話 『転校生、キター! 弐』
「むっすぅ~……」
「あ、あははは、は……」
僕の乾いた笑いが、生徒のいなくなった教室に響く。
いや、いなくなったと言うには流石に御幣がある。僕らいつもの面子四人と、転校してきた園音先輩と、興味本位で付いて来たという転校生の荒巻先輩がこの場に集っている。興味本位で付いて来たという割りには何だかつまらなそうな表情をしているような…いや、気にしないことにしよう。気にしたら負けだ。うん。
荒巻先輩よりももっとつまらなそうな顔してる人が真横に立っているわけだしね。まあ、お姉ちゃんなんだけど。
「この女狐……さっきはよくも私のエトを誘惑してくれたわねえ……」
「お姉ちゃんホント落ち着いて」
「これが落ち着いていられますかっ!」
ぷぅ~っと頬を膨らませるお姉ちゃん。いつものお姉ちゃんらしいお姉ちゃんじゃなく、少し子供っぽい部分を見せているのが何だか珍しくて、少し悪戯を仕掛けたくなる衝動に駆られた。
とりあえず膨らんでる頬に指を押し付けてみる。指に押された分の空気がぷしゅーっと抜けていくのを見て僕を含めた何人かが堪えきれずに笑い出す。
「ぷっ、あははははは」
「くくく……ロロ、お前……」
「何よ! 別にそんなに笑わなくたっていいじゃない!」
抗議の声を上げるお姉ちゃんを見て笑い続けていたら、半眼になり、顔を真っ赤にしたお姉ちゃんにこめかみを両手でグリグリされてしまった。痛い痛い流石にそれは痛い。
抵抗しようにも、僕は力でもお姉ちゃんより下なので無理です。
「他の奴はまだしもエトに笑われるのだけは我慢ならない~っ」
「痛い痛い痛い理不尽な理屈だけどそれについて文句言うどうこう以前にお姉ちゃん少しは力緩めてくれないと頭が割れちゃうから中身出ちゃうからぁ!」
小雨ちゃんと園音先輩がお姉ちゃんをなだめてくれたのでなんとか解放されたけれど、離してもらってからも暫くは、ズキズキとした痛みの余韻が残っていた。
お姉ちゃんって誰かを弄るのは好きだけど、弄られるのは嫌いなんだよね。そういえば。
なんとも自分本位過ぎる気はしなくもないけど。それをわざわざ口に出すほど僕も命知らずじゃありません。お姉ちゃんアレだから、弄り過ぎると暴力振らない代わりに僕の分のご飯を文字や言葉で形容出来ないような摩訶不思議なモノにして仕返ししてくるから(過去に一度経験しています)。
「ロロさん……すぐに手を出すのは、ダメだと思います」
小雨ちゃんに諌められたお姉ちゃんはバツが悪そうにそっぽを向いた。
それを見て、僕を含めた何人かがまた「やれやれ」と肩をすくめる。その"何人か"の中に園音先輩が入っていたことがお姉ちゃん的に気に食わなかったのか、再び威嚇している獣の如く先輩を睨みつける。教室の電灯の光に反射して光ってるように見えるプラチナブロンドの髪がまるで生きているかのようにぞわり、と逆立ったように見えた。いやいやお姉ちゃん、落ち着くとかどうこう以前にそれじゃ最早妖怪みたいだよ。
睨みつけられている園音先輩は困ったように僕や小雨ちゃんを見やっている。
これは、やはり助け舟を出すべきなのだろうか。しかしこの場合なんと言葉をかければ良いのか……僕は全く見当がつかない。
「ストップです。ロロさん」
頭を悩ませていると、小雨ちゃんがお姉ちゃんの袖を引っ張りながら少し強めの口調で言う。
「エト兄を想ってのことなのは分かりますけど、ちょっとやり過ぎです。エト兄が困ってる」
「うぐっ……」
「相手が女性だからといって毎回ロロさんがそんな威嚇してしまっては、エト兄が敬遠されてしまって孤立しちゃうじゃないですか」
「で……でも、それなら私たちがついてるから問題な」
「はい? 何ですか? よく聞こえませんでした。もう一回言っていただけますか?」
「うぅ~……」
痛いところを突かれたようで、少し俯いて視線を落とすお姉ちゃん。
基本的に誰かの言うことを素直に聞いたりはしないので(僕の言うことは偶に聞いてくれるが)小雨ちゃんの言葉に反論出来ずに言い負かされているのは、なんとも珍しい光景だ。
というか小雨ちゃんってそんなグイグイ言ってくるキャラだったっけ……?
あ、それも気にしちゃいけないんですね。すいません。
「す、すまん……エト。ちと、暴走し過ぎた……」
両手の人差し指をツンツンさせながらチラチラと視線をこちらに向けて謝罪の言葉を述べる。
凄い。小雨ちゃんが勝った。そして更に、お姉ちゃんが折れたのなんて初めて見た。この歴史的瞬間を是非カメラに収めたい。
収めた瞬間僕が棺に収められる未来が見えるのは、多分気のせいじゃないけど。
「う、ううん。大丈夫だよお姉ちゃん」
いつも通りの、今日一日で何度口にしてるかも分からない台詞を再度口にする僕。
ここはもうちょっと気の利いた言い回しが言えたりすれば良かったんだけど、生憎そこまで出来た人間ではないので無理でした。そのまま少しの間僕にチラチラと視線を向けていたお姉ちゃんが不意に先程グリグリされたこめかみの辺りをそっと撫でる。お姉ちゃんとしてもやはりどこか罪悪感なるものは感じていたのか、再度小さく「すまん」と付け加えた。
「なるなる。ロロちゃん先輩は弟であるエト君に心底ご執心ってなわけですか~」
園音先輩が顎に手を当ててうんうん頷く。
「まあ、そんな感じです。お姉ちゃんも悪気はなかったので、許してあげて下さい」
「いいよいいよ、私は全然気にしてないし。それに一々そんなこと気にするような質でもないしさ」
はっはっはと笑いながら「ねえ希沙那?」と園音先輩は後ろでずっと黙ったままだった荒巻先輩に話を振る。急に振られたことにビックリしたのか、一瞬肩をピクッと震わせてから素っ気無く「ああ」とだけ返してまた黙り込んでしまった。
「相も変わらずテンション低いねー、希沙那は」
「……あの、園音先輩と荒巻先輩って……」
「幼馴染だよっ☆」
僕の疑問を先回りして先輩が答えてくれた。
それはもう、語尾に星マークが付くような感じに。
「物心ついた頃からずっと一緒だったから、すっごく仲良いんだ~。私たち」
その言葉を聞いてお姉ちゃんの目がくわっと見開かれる。
「仲の良さなら私とエトだって!」
「お姉ちゃん、そこは別に張り合わなくていいから」
園音先輩の言葉に即座に反応し出すお姉ちゃんを落ち着かせる。おかしいな、この中で最年長(熊切もだけど)のはずなのにお姉ちゃんが一番子供っぽいってどういうことなんでしょう。
ああ、でも何だろう。いつものちょっとクールでSっ気のある時とは違う子供っぽいお姉ちゃん――見てて可愛い。和む。
これはこれでアリかなとも思う。いや、アリかなじゃない。全然アリです。
ちょっと思考回路が桃源郷の彼方に飛んで行きかけたけど、仕切り直すように園音先輩が両手をパンッと合わせた音を聞いてギリギリ現実世界に意識を引き戻した。
「何はともあれ! せっかくこうして知り合ったんだし、これからはよろしくね、皆さん♪」
「…………」
「いつまでも黙ってないで希沙那もホラ、挨拶しなさい」
「…………」
「ほら、希・沙・那!」
「……改めて……よろしく」
「というわけで! これから親睦会じゃないけどそれらしい意味を込めてみんなで一緒にファミレスとか行かないかな? かな?」
唐突な申し出ではあった、けど、僕としてはより仲良くなれるチャンスだったので二つ返事で了承。熊切や小雨ちゃんも似たようなことを思ったのか、同じように賛同してくれた。
お姉ちゃんに関してはもう案の定というか当たり前というか、「エトが行くなら私も行く」とのことで。
流石お姉ちゃん。そこは揺るがない。
ファミレスに行ったあともまた今のような楽しい会話が待っているのかと内心ウキウキしていたら、荒巻先輩が僕のことをジッと見据えていることに気がついた。
「あ、あの……何か……?」
「…………いい」
「え?」
「………可愛い」
そう言うなり荒巻先輩が僕に近付いて、嬉しそうに頭を撫ではじめた。
すごいクールな人だと思ってたんだけど……なんだろう、お姉ちゃんと同じタイプな人のような気がしてきた。いや、多分絶対そうだ。
無抵抗のまま撫でられ続ける僕のことを何か痛いものを見るかのような視線で見つめてくる小雨ちゃんと、人を殺せるんじゃないかと思うような鋭い視線で荒巻先輩(十中八九、というか九分九厘視線の先は先輩だろう)を睨みつけてるお姉ちゃん。お姉ちゃんはまだしも、何で小雨ちゃんにあんな冷めた目で見られるの? コレって僕が悪いわけじゃないよね? あれ? 違うの? コレ僕が悪いの? あれ?
「くそお……何で……いつもエトばかり良い思いをするんだ……!!」
熊切が何か言ってる。突っ込む所そこじゃないと思うんだけど。
それより早く僕をフォローして欲しい。
「コラァーーっ!! 私のエトに気安く引っ付かないで!」
お姉ちゃんが凄い剣幕で荒巻先輩を引っぺがしてから、僕に見せるいつもの優しい笑顔を浮かべて頬ずりし始めた。
表情の移り変わりにビックリしたけど、やってることはいつもと変わらないし要らない指摘をして僕の方からお姉ちゃんの機嫌を損ねる必要はないかなと思ったので、黙ってることにした。
「エトを撫で繰り回して良いのは私だけなの。私の許可が無い者はエトに触れることすら許しません。異論も認めません」
「……! ロロさん、エト兄の迷惑になるような行為は……」
「ああ、今取り込んでるの。私の愛する可愛い弟にちょっかいを出してくる羽虫からその弟を守るためにこうしてホールドするのに忙しくて仕方ないの。そんな私の一途な愛情を蔑ろにしてまで気にしなければならない事象が何かあるなら、遠慮なく言ってくれて構わないのよ? 小雨ちゃん」
「あぅ……ええと…その……」
「まあそんなヒドイことを言うような子じゃないと私は小雨ちゃんを信じているけ・ど・ね」
反撃する間もなくガックリと肩を落とす小雨ちゃん。
それを見て小声で「よしっ」と言いながら頬ずり再開。お姉ちゃん、どんだけ独占したいんだって突っ込みもあるだろうけど、それはそれで中々嬉しさを感じる僕には何も言う資格はありません。はい。
ただこのままでは収集がつかない状態になりそうなので、話題転換をして気を逸らそう。
「お姉ちゃん、ファミレス行くなら早く行かないと席なくなっちゃうよ?」
「え~……エト、もういっそファミレス行くよりお姉ちゃんと二人でゆっくりまったりとした食事を……」
「みんなで一緒に外食とか、偶にはしてみたいなー。ねえ、良いでしょ?」
「むむむ……エトがそこまで言うなら仕方ないわね。それじゃさっさと行きましょうか。熊切、確かあなた行きつけのお店があったわよね。先に電話で予約とっておいてくれない?」
お姉ちゃんによる完全にパシリ的な扱いにも笑顔で応じる。僕と同様にお姉ちゃんとの付き合いが長いだけあって、対応の仕方も大分慣れたものだった。
内心どう思ってるのかは定かではないが。
「はいよ」
「あと金ないから今日のところは熊切が払って」
「はいはい了解……って、はあ!?」
そんな熊切の予想すら越えた言動をするのが、僕の姉クオリティ。
「いやー、まさかファミレス行く流れになるとは思わなくて」
「お前ファミレスで飯食えるくらいの金は持ってろよ……くそっ、ロロに金を貸して一ヵ月以内に返ってきた例はないってのに……」
膝を着いてorzの体勢になる熊切。
ワックスにより念入りに立たせていた金色の髪が枯れた葉っぱのようにしおれている。
ついでを言うと僕も今持ち合わせが無いんだけど……それを今の熊切に言うわけにもいかないよね。さて、どうしたものか。
何か手はないかと周りに視線を送っていると、羨ましそうにお姉ちゃんを見ていた荒巻先輩と目が合った。流石に知り合ったばかりの先輩転入生に「お金ないから貸してください」なんて言えないなと考えていたら、荒巻先輩がいそいそと僕の傍に駆け寄ってきた。
「どうした? 何か困っているようだったが」
「え、何で分かるんですか?」
「何やら困っているような目をしていた」
どんな目ですかそれは。
「お前が良かったらだが……力にならせてくれ」
「そんな、悪いですよ……」
「一応これでも先輩なんだ。先輩が後輩を助けるのはおかしいことじゃないだろ?」
やっぱり気は進まなかったけど、ここで先輩のことを頼らないというのもそれはそれで失礼だろうと思い、正直に話すことにした。
その直後、先輩が自分の財布の中身を確認したあと物凄く難しい顔をしたあとで、「出来るだけ早く返してくれればそれでいい」と言って千円貸してくれました。
ごめんなさい先輩。明日絶対返します。