第一話 『仲良し姉弟、エトとロロ』
この世の中、姉と仲の良い弟ってどれくらいいるのだろう。
僕は世間一般の普遍的な姉弟というモノを知っている訳ではないけれど。
「あぁ~……今日もウチの弟は可愛いなー! チューしたい!」
こんな姉は、滅多にいるものじゃないだろうっていうのだけは分かる。
◇◇◇ ◇◇◇
僕には歳が二つ上の姉がいる。
しかし、実を言うと血の繋がった姉ではない。僕のお母さんと現在の父親が再婚して出来た、所謂義理の姉だ。
そういった関係の場合、よく聞く話では気まずい雰囲気になったり、どちらかの親が相手方の子に対し嫌悪感に近い感情を抱いたり、逆に子が相手方の親に嫌悪の感情を向けたり……なんてことがままあるらしいが、幸運なことに我が家ではそういったことは全く起こらなかった。
それどころか逆に、新しくできた姉から溺愛されるという稀有な事態に。
いや本当に、何よりもお姉ちゃんからの愛が凄まじい。下手な恋人でもこんなにくっ付かないんじゃないかと思うくらい、べったりと僕にくっ付いて来る。外では多少鳴りを潜めてるが、その分家では一切遠慮も躊躇もなく、四六時中僕を抱き締めながら髪を触ったり頬擦りしたりとやりたい放題。何がそんなに気に入ったのだろうかと疑問に思ってしまうくらい好かれている。
両親が再婚する前までは地元で名の知れた不良生徒で、周囲の大人たちが手を焼く程の暴れっぷりだったなんてことをお父さんから聞いたこともあるのだが……今のお姉ちゃんを見てる限りでは、とてもそんな話、信じる気になれない。
正直その辺りの事の真相や、何で僕を溺愛してるのか等は、本人に直接訊いてしまうのが一番手っ取り早いだろう。でも僕は訊かない。今のこの心地良い関係が、余計な一言のせいで壊れるかもしれない……と考えてしまうから。
世の中何が藪蛇になるか分からない。
だから僕は敢えて何も訊かない。
何も変わって欲しくないから。お姉ちゃんに愛されてる今の状態が、ずっと――このままずっと、続いてて欲しいから。
とある平日の午後。
学校から帰宅後、これといってやることもない僕はひたすらベッドの上をゴロゴロとしていた。
人はこれを暇と言う。暇を持て余している時ほど「時間の無駄」だと思う事はない。
さてどうしたものか……と虚空を睨みつけていると、トタトタと軽快な足音と共に近付いて来る人の気配。
「エト~、入るよ~?」
姉さんだ。僕は慌てて飛び起きると姿勢を正してベッドに座り直す。
「いいよー」
「じゃーん、お姉ちゃん登場ー♪」
僕の返答を聞くや否や、義理の姉――藤咲ロロが、自慢の長いプラチナブロンドの髪を大きく揺らしながらテンション高めにドアを開け放つ。制服姿のままな僕と違い、姉さんは既に普段着に着替えていた。
丈の長いセーターを着ている影響で下に何も穿いていない様に見えてしまう。そして、大胆に露出した太ももにどうしても目が行く。これが男の性なのか。
「エト、今の今までゴロゴロしてたでしょ」
「……何で分かるの」
「ふふん。姉の勘よ」
「まあ……何もやることがなくてね。さっきまで何しようか考えながらダラダラ過ごしてた」
「あぁ良いわねー。社会人になる頃には絶対に感じることのないであろう感情。学生時代特有のこの意味のない堕落した時間の過ごし方。もう最高」
「今の言い回しのどこに最高と感じる余地が!?」
「いいのいいの。学生はそんな細かい事は気にしない。今この瞬間を、刹那的にでも何でも楽しく過ごせればそれで良いのよ。という訳で――とうっ!」
姉さんが小走りで助走しながら僕のベッド目掛けてダイブしてきた。驚く暇すらなく、瞬きしてる間に背後に回り込んだ姉さんに後から抱き寄せられ、すっかり体をホールドされてしまった。あ、なんか良い匂いがする。
「まあそんなこと全部建前で、単純にお姉ちゃんはこの無駄に暇な時間を、可愛い弟を愛でに愛でまくる時間にしようと思った訳よ」
「あの、それはいいんだけど……胸が、後頭部に押し付けられて色々と大変なことになりそうなんですけど」
「え? 何? お姉ちゃんのおっぱい触りたいって?」
「そんなこと言ってません!」
「え? お姉ちゃんのおっぱい吸いたい? いやんもうエッチ」
「言ってません!!!!」
姉さんは愉快そうに笑うと、そのまま毛繕いでもするかのように僕の髪を手櫛で梳かし始めた。
揶揄ってるんだってのは分かるんだけど、これでもかってレベルで体が密着してるから妙に意識してしまう。
「エトって髪ちょい長めだから絡まってる部分とかあるのかなと思ったけど、全然そんなことないね。羨ましいくらいサラッサラ」
「事ある毎に姉さんに髪弄られてるからじゃないかな」
学校でも何度か髪を梳かされた記憶がある。
姉さんは僕の髪を弄るのが好きなのか、暇を見つけてはちょいちょい教室にやってくるのだ。
「いやー、エトって髪触られても全然嫌そうにしないからさ。サラサラで手触り良いからついつい弄りたくなっちゃうのよねー。普通他人には頭触られたくないって人の方が多いから」
「ああ……そうだね。赤の他人だと嫌だけど、姉さんに触られるのは何て言うか、落ち着くと言うか」
「あらやだ。何この子ったら、そんな風にゴマ擦っても何も出ないわよ? あ、今日の晩御飯何が良い? それともおっぱい飲む?」
「だから! そういうネタで揶揄うのは無しだってば!」
「ふふふ。もう、耳まで真っ赤にしちゃって本当可愛い。もうやらないから、機嫌直してエト」
目に見えて上機嫌になる姉さん。
僕が何かしら好意的なことを言うと、姉さんは毎度こうして上機嫌になる。
「そういえばついこないだ年が変わったと思ってたのに、気がついたら早くも五月が終わるね」
いつの間にか髪を梳かす行為から撫でる行為にシフトチェンジしていたお姉ちゃんがボソッと呟く。
「早いよね。僕が入学してからもう半年以上経つ訳だし」
「入学式のエト可愛かったわ~。父さんに無理言ってそこそこ高いカメラ買ってもらった甲斐はあったわね。これでもかと言うくらい激写しまくってやったんだから」
「姉さん、あの場にいた誰よりも張り切ってたもんね」
「いやもう張り切るしかないでしょ。今回を逃せばもう一生高校生のエトの入学式なんて見られないんだから、一世一代のチャンスと思って張り切るしかなかったわ。義母さんに至っては『息子の入学式より大事なものがどこにある!』って言って会議すっぽかして来てもん。格好良かくて憧れちゃった」
「僕としては若干申し訳なさもあったけどね」
「そんなのいいのよ。申し訳なさなんて感じる必要なんてないない。義母さんはちゃんと事前に入学式の日程は伝えてたのにさ、それを知った上で勝手に仕事なんて振ってる会社の人が無能なのよ」
そういうものなのだろうか。
うーん……今の僕では上手く判断出来ない。
「でさでさ、入学の話ついでに訊くけど、友達出来た? 一人で教室の隅でボッチになったりしてない?」
「してないよ! まあ特別沢山友達が出来たとかって訳ではないけど……暇があればよく話す間柄の人ならちらほら」
「何人くらい?」
「……二人くらい?」
「少ない! ねえそれ少ないよ! 入学して初めましての状態からもう大分経つよ! もっとがっついて!」
「人見知りな僕には難易度高いんだよ!」
「某美少女ゲームの主人公のコミュ力を少しは見習って! クラス全員と友達になった上で親友と呼び合える十人程の仲間たちと一緒にファミリーの一つくらい作って!」
「ごめん何を例えてのことなのかさっぱり分からないんですけど!?」
美少女ゲームと言った辺り、最近姉さんが好きでやってるPCゲームのことだろう。美少女ゲームやノベルゲームと呼ばれる作品を姉さんは兎に角愛しており、部屋には何作品分かも分からない程の量の箱が積み上げられているのを時々見掛ける。
「エトもプレイすれば分かるようになるわ。あ、何なら貸してあげようか? 『本気でわたくしに恋しなさい!』ってゲーム」
「え、いや、僕の部屋パソコン無いから無理じゃない?」
「じゃあお姉ちゃんの部屋で一緒にやろっか」
「何故かは分からないけど無性に嫌な予感がするから遠慮しておきます」
あははっと笑った後、姉さんは少しだけ真面目なトーンで呟くように言う。
「エトももう少し――臆することなく他人にぶつかっていけるようになってくれたら嬉しいな」
……姉さんの言いたい事は分からないでもない。
僕は極度の人見知りだから、友達を作ろうと思ったところで話し掛けることすらままならない。
それは間違いなく褒められることではないだろう。
でも、それと同時に僕はこうも思ってしまう。
「……無理に他人と付き合う必要ってあるのかな」
周りに誰もいない独りぼっち状態なら流石に僕でも焦ったと思うけど、母さんと父さんがいて、姉さんがいて、昔馴染みの友達が何人かいる。今のそういう状態で、もう十分なんじゃないかって。何も問題はないんじゃないかなって。
無理して知り合いの数を増やしても、意味無いんじゃないかって……思ってしまう。
「エト――」
殆ど言葉には出さなかった。でも姉さんはさっきの発言で何かを察したのか、それ以上は何も言うことなく、ただ黙って――僕の身体を優しく抱きしめた。