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妥協作を書く時ってある?

作者: 竹仲法順

     *

 普段からずっとパソコンに向かっている。今から十年前の二〇〇三年に恋愛モノ系統の公募新人賞を獲り、作家デビューを果たしてから、途切れることなく書き続けてきた。別に変わりはなく、淡々とマシーンに向かい、キーを叩いてストーリーを作っていく。

「先生……小笠原先生!」

「あ、ごめん。気付かなかった。……何?」

「あたしの書いた作品、読んでもらえてます?」 

「ええ、もちろんよ。あたしもよく他作家から言われるの。『ちゃんと後輩作家たちを育てなさい』って」

 実は自宅マンション近くにあるあたしのオフィスに、小説のハウツーを教え込むカルチャースクールが併設されている。そこの講座は皆、原則ノートパソコンかタブレット端末持参だ。講師はあたしか、今声を掛けてきた井川(いがわ)有美(ゆみ)が担当する。新人賞を獲るにはどうしたらいいのか、徹底して教え込んでいるのだった。

     *

「先生、失礼ですが、今雑誌連載しておられる作品、前回のと少しテイストが違いますよね?」

「そうよ。前回の文芸雑誌の長期連載が出来過ぎてたから、今は逆でライトタッチなもの書いてるわ。作家友達に『妥協作書く時ってある?』って訊いてみたの。そしたら、そんな時もあるって」

 軽く笑い、その後手元にあったカップに口を付け、冷めてしまったコーヒーを飲む。それから、

「まあ、そうかもなって思う。前の連載原稿もいずれ単行本化されるけどね。今の連載は軽めだから、正直、読者からの反動が怖いわ」

 と言葉を重ねる。

「先生もずっとお仕事なさっててお疲れでしょう?あたしも原稿書いてますが、自分の作品より、生徒さんたちの書いた課題の添削とかが返って忙しくて」

 有美がそう言って愚痴をこぼした。

「あたしもあなたの作品に目通してるけど、作家なんかそんなにいつもいいものばかり書けるわけないでしょ?新人賞経由でデビューしたあたしだって思い悩むんだから」

「そうですよね。考え過ぎかもしれません」

 彼女が長い髪に軽く指を通し、掻き揚げてから、息をつく。いかにも若い女性らしく、シャンプーとコンディショナーの残り香が地肌のそれと混じり合い、漂ってきた。立ち上がって、フロア隅にあるコーヒーメーカーへと行き、淹れ直す。熱々の舌を焼くようなコーヒーに口を付けて、飲みながら、

「有美ちゃん、気にし過ぎちゃダメよ。作家だったら誰でも、スランプあるんだから」

 と言った。有美が笑顔を見せ、

「ええ。今は生徒さんたちの書いた作品読みますから。教壇に立って教えることもありますし」

 と言って、自分のデスクへと舞い戻る。プリンターで印字した原稿は一週間で優に百作を超える。これだけ膨大な数の表現欲求があり、生徒たちは日々作品を書き続けているのだ。まだプロデビューしていなくて、あたしのアシスタントをやっているに過ぎない有美がそれらを読んでチェックするのである。本当に下書きレベルの作品から、プロと対等に渡り合えるぐらいの書き手の作品まで、実に玉石混交のようだ。

     *

 翌朝の午前九時前に、若干冷え込むオフィスに入っていくと、先に有美が来ていて、

「先生、おはようございます」

 と言った。

「ああ、おはよう。……昨夜はよく眠れた?」

「ええ、まあ。夜間に二度ぐらいトイレ行きましたけどね」

「それって膀胱炎とか?」

「大丈夫ですよ。放っておいても治りますから」

 彼女がそう言って、プリントアウトした生徒の作品を添削し終わったようで、カバンから取り出し、デスクの隅に積んだ。そして口を開く。

「皆、結構レベル上がってきましたよ。『ちょっとこれ凄いんじゃない』って思える作品がいくつかありましたから」

「そう。あなただって教えがいがあるんじゃない?」

「ええ。皆、技量は着実に上がってます」

 本当なら甘いのだった。作家の経営する創作学校で創作を教えてもらっても、よほどのことがない限り、伸びない。大成する創作家は、ほとんどが独学である。それに今のあたしだって、雑誌の連載では妥協作に近いものを書き綴っているから、本来なら前作以上のものを書いた方がいいのだ。だけど、今は余力がない。

     *

「先生、お昼行ってきます」

「ああ、いいわよ。……午後一時までには戻ってきてね」

「ええ、そのつもりです」

 有美は若い。ずっとあたしのアシスタントをやっていて、合間に自作をブログなどで発表している。あたしも書かれた作品を具に読んでいた。この子もいずれ本物に――、そう思える。今はまだ出版歴がないのだけれど、それでも彼女は実に有望な書き手だった。

 朝、コンビニで買ったお弁当はすっかり冷えてしまっていたのだけれど、食べるのに支障はない。コーヒーを淹れ直し、デスクで食事を取り始めた。午後からは教壇に立つ。ここの事務所は本来ならあたしのオフィスなのだけれど、創作も教えるカルチャースクールも副業としてやっていた。

 食事し終わり、コーヒーを飲みながら一息ついていると、午後一時になる。有美はつい今しがた、戻ってきていた。

「先生、授業の時間です。もうレジュメ作ってセットしてありますから、手順通りに教えてください」

「分かったわ」

 そう言って彼女から紙に印字された、講義の手順の載っているA4用紙三枚分ぐらいの文書を受け取る。そして教室へ歩き出す。講義室はオフィスと隣接しているのだった。生徒たちは皆、待っている。あたしのする講義を。作家らしく、元々対人関係は苦手なのだ。大勢の人の前で話すのは得意じゃない。だけど授業だから仕方なかった。

 今頃、有美はデスクで自分の作品を書き続けているだろう。あの子は伸びるわと思っていた。元来骨のあるものを書く若手小説家だ。アシスタントにしておくのにはもったいないぐらいである。本人が希望しているのだから、ここのオフィスに在籍させているのだけれど……。

     *

「はい、じゃあ授業始めます。力抜いていいですよ。あたしもあまり喋りませんから」

 そう言って近くに置いてあったペットボトルを手に取り、中に入っていた水を一口含んだ。そしてボードにマジックで書く代わりに、置いてあったパソコンから情報を発信した。

 その日も六十分間話をし、次の講義は有美が引き受けたのである。いつも通り、プリント代わりにネットを通じて各自のパソコンに授業の概要の載ったレジュメを配信した。それに沿って講義を進める。今は手書きでノートを取る人間などいない。それにここはカルチャースクールで、全員がパソコンかタブレット端末を持っていることが授業参加の前提条件だ。

 有美が一コマ教え、午後三時を少し回った頃、授業が終わる。特定の課題が出され、それを元手に三日後、また講義が開かれる手筈だ。全部の作品の添削は有美が担当していた。百作ぐらい読み込む。大変なのだけれど、それも彼女の仕事の一つだ。

 いずれ出版社の編集者に駆け合い、有美の作品を商業出版してもらう手筈である。それぐらいしてあげてもいいと思っていた。ある程度の年数、彼女の仕事ぶりを見てきてそう感じていたのである。

 確かに人気作家になるには大変だ。継続して原稿を書かないといけない。一度失敗したら、もう後がないような職業だからである。だけど、お互い物書きだ。同じフィールドにいることに変わりはない。今はお手伝いさんだけれど、もしここのオフィスから独立して世に受け入れられる作品を執筆すれば、大化けする可能性もある。文壇というのは実にそういった世界なのだ。

 今は雑誌連載に軽妙な妥協作を書いているのだけれど、次からはまた、力作を書くつもりでいた。それだけ気構えがある。作家が軽めのものを書くのは、若干スランプを感じている時だ。それでずっと満足するほど、悠長じゃない。現に他のプロ作家たちは芸術の秋に相応しく、力のこもった作品を書いているのだし……。

     *

 その日も夕方以降、学校が終わり、オフィスで有美と二人だけになる。お互いパソコンのキーを叩いていた。ずっと執筆が続く。時折フロア隅のコーヒーメーカーでコーヒーを淹れて飲みながら……。

「有美ちゃん、もう帰っていいわよ。あたしは残るけど」

 午後八時半過ぎに声を掛けると、彼女がマシーンから目を上げ、

「お疲れ様でした。お先します」

 と言って、持ってきていたノートパソコンや、データを落としたフラッシュメモリなどをカバンに詰め込み、帰宅の準備をし始める。そしてフロアを出、歩き出す。あたしの方はそのまま居残り、作業し続けた。ずっと、だ。自宅に帰り着いたら、入浴して寝るだけである。だけど、そういったことも板に付いていた。別に気にしてないのである。日常自体、淡々としているのだから……。

 夕食を自宅マンション近くのラーメン屋のチャーシュー麺で済ませて帰宅した。秋風に吹かれながら、街を歩く。もう夏も終わり、涼しい季節に入っている。歩いて自宅へと帰り着き、部屋に入って思わず「フウー」と吐息を漏らした。

 ベッドサイドに置いてある時計を見ると、午後十時半を過ぎている。明日も早いので着替えを用意し、バスルームへと向かった。そして入浴する。夜中に一人きりで。シーンと静まり返っている。夏の終わりで、秋の虫の音が鳴くのを聞きながら、ゆっくりと温めのシャワーを浴びた。昼間の疲れを落とし、快適な眠りに就くため。

                           (了)


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