その1 季節外れの転入生
この世界へ来てから、俺は『緊張』とは無縁だった気がする。
のどかな村の中でほとんどの時間を過ごしてきたし、すぐ傍にはやたらと騒がしいペルルがいたし、俺の精神年齢は見た目プラス十六年だし。
俺は何事にも動じない、ふてぶてしい無能者キャラとして生きてきた。
しかし今、俺は確かに緊張している。
ここは皇国唯一の国立魔法学校――リュミエール魔法騎士学校。かの有名なミストラル宰相閣下が半世紀ほど前に立ち上げた、由緒正しき学校だ。
目の前にそびえ立つのは、『研究学部一年・特別クラス』というプレートの貼られた分厚い扉。
そして俺の背後には、髭のおっさんこと“学部長”がいて、そわそわと落ち着かない様子で俺を見つめている。
……結局俺は、あの誘いを断り切れなかった。
そもそも、この学校では三番目くらいに偉い立場である学部長が、不確かな噂話につられてド田舎へ足を運ぶような変人だったという時点で、俺の運命は決まっていたのかもしれない。
良く言えば研究熱心、悪く言えばマッドサイエンティストな彼は、不思議な術で銀色狼を操った……と信じている俺のことを手元に置きたくて仕方なかった。そのために美味しい餌を惜しげもなくばら撒いた。
学校の近くに井戸と窯付きの一軒家を用意して、学費も生活費も全て払ってくれると言われた時点で、俺の心はグラリと傾いた。
さらに、ボロくなった村の教会をリフォームすると言われた時点で、神父様が転んだ。
ついでに、ボロくなった村の柵も作りかえると言われた時点で、村長までもが折れた。
唯一抵抗したのが、ペルルだ。
「ジローを入学させるなら、半年後にしてよ!」
「イヤだ、今すぐ連れていく!」
「だったら私も一緒に連れてって!」
「ペルル君はダメ!」
「なんでよ!」
「ヒーローは後から登場する方がカッコイイから!」
と、良く分からない子どものケンカを繰り広げた結果、ペルルにとって唯一逆らえない相手――麗しい母君が登場。容赦なく首根っこを掴まれたペルルは「キャン!」と鳴いて強制退場させられた。
そして俺の身柄は、勝者であるおっさんのモノに。
荷作りどころか風呂にも入れず、まさに着の身着のままで馬車へ乗せられ、病みあがりの身体で二週間という長旅をこなし……三日ほどの休息を経て、今に至る。
しかし、未だに信じられない。
まさか無能者であるこの俺が、魔法学校の生徒になるなんて……。
「おや、緊張しているのかね? なんなら私の方からジロー君についてビシッと紹介を」
「いえけっこうです、自分でできますから」
隙あらば前へしゃしゃり出ようとする学部長を、鋭い三白眼で制する。
「俺は必要以上に目立ちたくないんです。まあ、学部長に援助を受けてることは事実ですし、隠すつもりはありませんけど……間違っても俺のこと“勇者”なんて呼ばないでくださいね?」
「うむ、分かっておるぞ、勇者殿」
……ダメだこの人、全然分かってねぇ。
ズキズキと痛むこめかみを抑え、俺は心の中で再確認した。
やはり頼れるのは己のみ。
俺のスペックはどう考えてもマトモじゃないんだ。せめて中身くらいはマトモな常識人として印象付けたい……。
扉の向こうでは生徒たちの点呼が行われている。それが終わりしだい、俺の名前が呼ばれるはず。
緊張を少しでも和らげるべく、伸び放題の前髪をかきあげ、若干やつれたままの頬を持ち上げて、慣れない笑顔の練習をしてみる。
新居の居心地が良かったせいか、体調は万全。
真新しい制服――紺色のブレザーにスラックス、臙脂のネクタイという、前世で通っていた学校と瓜二つなそれもしっくり肌に馴染む。
不安なんて何一つない。
……と、言いたいところだけれど。
「では、今日から皆さんに新しいお友達が加わります。ジロー君、入ってくださーい」
「はい」
漏れかけたため息をグッと呑み込んで、俺は重たい引き戸を開いた。
身長百七十五センチと、この世界では小柄な部類に入る身体が少しでも大きく見えるように胸を張り、下ろしたての革靴で床を踏みしめて、いざ出陣。
颯爽と歩く俺を見て、三十六名の生徒たちは大きく息を呑んだ。
彼らはすでに知っているのだろう。俺が制服の上から羽織った黒いローブの意味を。
「ジロー・リッツです。東の辺境の村から出てきたばかりで、この学校や王都のことは何も知りません。いろいろ教えてください。よろしくお願いします」
ご覧の通り『無能者』ですが……と、口に出すべきか迷ったものの、結局何も言わずに頭を下げた。
リッツという名字は、生まれ故郷であるリッツ村から貰ったものだ。出身地を詳しく尋ねられれば、俺が孤児だってことはすぐバレる。そして彼らより一つ年下だってことも。
突然紛れ込んだ異物に、静かだった教室が一気にどよめいた。
「先生、質問があります」
皆の声を代表するかのように、一人の男子生徒が立ち上がった。
身長は俺より十センチ以上高く、目鼻立ちの整った、まるで王子様のようにキラキラした容姿をしている。陽光を映して輝く波がかった金髪と、吸い込まれるようなエメラルドの瞳をもつ、いわゆる金髪碧眼の美少年。
しかし、どうやら彼は機嫌が悪いらしい。形良い眉を寄せ、あからさまに俺を睨みつけてくる。担任の若い女教師も困惑しているようだ。
「えぇと、何かしら、アンドレ君?」
「そいつ、本当にうちの学校の生徒なんですか? そのローブを着てるってことは『無能者』ですよね。隣の神官学校と間違ってませんか」
と、誰もが思いつく素朴な疑問が、かなり嫌味な口調で投げかけられた直後。
「よくぞ訊いてくれた! その理由は私から説明し」
「――おっさんは黙ってろ!」
さっきから廊下でうずうずしていた学部長が飛び込んでくるも、俺の一声で撃沈。しょんぼりと肩を落として引き下がる。
全く、余計なことをしてくれやがって……。
せっかく華麗な地味キャラデビューを目論んでいたのに、これで全部台無しだ。
「なんだよアイツ……」
「あの学部長先生のことを……」
「おっさん呼ばわりしやがった……」
止まらないざわめき。教卓の隣に佇む担任の先生も、立ち上がったままのアンドレも、ヒクヒクと口元をひきつらせている。
騒ぎを収束させるべく、俺は重たい口を開いた。
「えーと……俺がこの学校に編入することになったのは、そこのおっさ……学部長先生の推薦があったからです。どうやら俺は、普通の無能者とは違って特殊な力があるらしくて」
淡々と語りながら、俺は頭の中で「どこまでオープンにするべきか?」と計算した。
ひとまず『ほら話』と小馬鹿にされそうなネタ――前世の記憶のことと、ペルルに魔力を譲渡したことは、誰にも言うつもりはない。銀色狼の件はいわずもがな。
逆に言うと、その他のことは別に知られても構わない。
むしろいちいち猫を被る方が面倒くさい。
「特殊な力っていうのは、口で言うより直接見てもらった方が早いかと」
俺は担任教師の脇をすり抜けて窓際へ。横にスライドするタイプの窓を大きく開け放つ。
途端に吹き抜ける、秋の気配をはらんだ涼しい北風。王都は村より北西の位置にあるから、秋の訪れは一歩早いようだ。
雲一つない青空を、一羽の渡り鳥が飛んで行く。俺は窓の向こうへ右手を伸ばした。
「おいで」
呟いた俺の声が、風に乗って空高く舞い上がる。そして勝手気ままな渡り鳥のもとへ。
すうっと、渡り鳥が高度を下げた。そして飼い慣らされた伝書鳩のごとく一直線に飛んできて、俺の右腕にピタリと止まった。
つぶらな瞳が俺に『遊んで?』と語りかけてくる。
愛くるしいその鳥に微笑みかけ、背中を一撫でしてやった後、俺は上機嫌でクラスメイトたちに向き直った。
「まあこんな感じで、俺は動物を飼い慣らせるわけです」
キリッ。
と語尾にくっつく感じで、俺は堂々と言い放った。