最終話 真の黒幕と、勇者の決意
「うん、コレは美味いな。どうやら毒も入ってなさそうだし。ペルルは良い奥さんになりそうだ」
ペルルにこっぴどく振られてしまったというのに、皇子にとっては痛くも痒くもないらしい。むしろ、傍目にも分かるくらいハイテンションだ。
はちみつレモンを食べ終えると、俺の手にしていたへなちょこボールをかすめ取り、軽く空へ放り投げては器用にキャッチを繰り返す。
「今の試合、すごく面白かったよ。次回は僕もプレイヤーで参加させてくれ」
「気に入ってもらえて良かったです」
「きっと初代皇帝も、こうやって遊んで欲しくてこの道具を創られたんだろうな。政争の道具にしたかったわけじゃなく」
「そうでしょう、初代皇帝も……って、え……?」
適当に相槌を打とうとした俺は、ピキッと固まった。
なんだかものすごく嫌な予感がする。皇子の猫被り仮面がチラッと脱げかけたような……。
ニコニコと上機嫌な皇子に、俺はちょっとビビりながら尋ねた。己の直感に従って。
「あのー、一つ質問なんですけど……皇位継承に必要な『三種の神器』って何なんですか?」
「宝剣、宝盾、宝珠、かな」
「それって、白くてデカイ布にくるまってませんでしたか?」
「うん、そんな気がしないでもないね」
「皇子の家の倉庫って、ちょっと東にあったりしません?」
「うん、民には“宝物殿”とか呼ばれているね」
……ヤバい。頭が割れるように痛い。胃もキリキリする。
だけどここで折れるわけにはいかない。
俺は勇気を振り絞って、最後のカマをかけてみた。
「でも例の事件のとき、第一皇子がそのこと言ってて……皇子は『やってない』って」
「僕はやってないとは言ってないよ。ただ『箱が空っぽだ』と気づいた兄上を糾弾しただけさ」
……怖い、この人怖いよ!
笑顔で言われても背筋ゾゾッてするよ! ニコポじゃなくてニコゾだよ!
ジリジリと後ずさる俺の背中が、ドンッと壁にぶつかった。皇子が『小結界』を張ったのだ。
まさしく袋のネズミとなった俺に、皇子がそっと耳打ちしてくる。
「全ては皇位を兄上に奪われないための、苦肉の策だったんだ。譲位の日までには元通りにするから、気にしない気にしない」
くしゃり、と頭を撫でられてまたもや背筋がゾゾッと。
なんとなく、背中に取り憑いた英霊たちが騒いでる気がする……。
『大事なお宝を、クラスの親睦に使うとは何事じゃー』
とか言ってる気がする……。
しかし、ペルルがお宝を銀色狼レベルの強度に進化させたのは、怪我の功名というか女神の導きというか……。
もしかしたら、この先『凶器』として活用される、とか……?
俺の直感を裏付けるかのように、皇子がポツリと呟いた。
「ここだけの話、僕は一刻も早くこの国を立て直したいんだよ。そのためには譲位が必要だと思ってる」
「皇子……?」
「残念ながら、今の陛下には民を率いるだけの求心力が無いからね……ただ、もし陛下が退いて新たな指導者が生まれたとしても、隣国との戦いに勝てるかは五分五分ってとこかな。例え勇者が銀色狼を従えて立ち向かったとしても、ね」
常に自信満々だった皇子の横顔に、ふっと暗い影が差す。逃げ腰だった俺も思わず食いついてしまう。
「隣国って、そんなに強いんですか?」
「うん、僕は実際にあの国を見てきたからね。あそこには恐ろしいヤツがいるんだ。人々を狂わせる“悪い魔法使い”が」
脳裏をよぎったのは、一千年前のおとぎ話だ。
銀色狼を狂わせ、魔獣に堕とした悪い魔法使い――それは挿絵もなく、記述もあいまいな、物語を動かすためのキャラクターでしかない人物。
ソイツが実在するなんて、今までは考えたこともなかったけれど……。
俺の心の中に『魔王』というキーワードが浮かぶ。勇者と呼ばれる存在にとって最大の宿敵が。
「残念ながら僕も君も、ヤツにとっては赤子同然なんだよ。特に君はヤツの……っと、なんでもない」
「ん、今何か大事なこと言いかけませんでしたか?」
「いや、気にしないでくれ。僕は確証の無いことは口にしない主義だからね」
「そう言われても、めっさ気になるんですけど。皇子はソイツが何者か知ってるんじゃないですか?」
俺がズイッと詰め寄ると、皇子はあからさまな苦笑を浮かべて。
「そうだなぁ。ハッキリと言えることは一つだけ……ヤツは“影の者”を従えることができる」
「――ッ!」
ゾワリ、と全身が粟立った。
あのニンジャは、古の昔から王家に仕えてきたという一族。彼らを操れるということは、つまり……。
「なるほど、“悪い魔法使い”はこの国の王族ってことですか。となると、北へ逃れたソレイユ皇帝の、行方知れずになった嫡流の一人……?」
「まあ君がそう思うなら、それでいいんじゃないかな」
「そういう言い方されると、めっさ気になるんですけど」
しつこく食い下がる俺の頭に、大きな手のひらが乗せられた。「お前はまだ知らなくていい」というようにポンポンと軽く叩かれる。
それはたぶん皇子の心の声であり、女神の声なんだろう。
この先には、俺が想像するよりもっと過酷な現実が待ち構えている……そんな気がする。
湧き上がる不安を和らげるかのように、皇子は俺の頭をくしゃくしゃと乱暴に撫でた。
「勇者が現れるときには、七人の守護者も同時に現れる……僕は自分をその一人だと思ってる。だから、ややこしいことは全部僕に任せておけばいい」
「確証のないことは、口にしない主義じゃなかったんですか?」
俺が投げた皮肉にも、皇子は全く動じない。
女子たちをコロリと転ばせる魅力的な笑みを浮かべ、「これは単なる愚痴だけどね」と前置きして。
「本当にライバルが多くて大変だよ。特に君は、女の子には特別甘いだろう? 僕やビザール先生を省いて、七人全員を可愛い女の子で固めるんじゃないかと心配でさ。だからわざわざこの学校へ乗り込んで、軽く“露払い”させてもらったけど、さほど効果は無かったみたいだ」
「露払いって……じゃあ、ペルルたちにプロポーズしたのは……」
「僕ごときの甘言になびくとしたら、七賢人どころか『勇者の花嫁』になる資格はないからね。まあ、今のところあの三人は大丈夫かな?」
――なんという小舅!
ていうか、うちの学校に来たのは俺のためだったのかよ!
初対面のときは、俺なんて一ミリも興味ないって顔してたくせに!
つーか皇子に俺の情報流したの、絶対あの狸オヤジだろ!
「ああ、学部長先生には感謝してるよ。僕もまさか勇者が“無能者”に擬態してるとは思わなかったからね」
「ちょ! 俺の心読まないでください!」
「国内を隅々探しまわって、最後は北の隣国にまで行ったのに見つからなかったから、しょうがなく学部長――我が国の“フィクサー”に頼んだんだよ。『勇者を探し出してくれたら、なんでも一つ言うことをきく』って条件でね。そしたら彼は『三種の神器が見たい』って言うから、ちょうどいいと思って預けることにしたんだ」
「黒幕じゃん! アイツ全部の黒幕!」
「昔から彼はそういう仕事をしていたらしいよ? 一説によると、半世紀前の革命も、宰相ミストラルに依頼されて彼が立案したとか。その後暴走した宰相を止めたのも彼だし、魔法学校を設立させたのも、歴史書の編集も、全て彼が指示したらしい」
「それ何歳の話だよ! つーかオッサンが王様になれよ!」
「いや、実際そういう声は何度もあがったんだ。でも彼は裏方が好きだからと断って……ああ、そうか。たぶん彼も“七賢人”の一人なんじゃないかな」
「もう無理ッス! キャパオーバーです!」
追い詰められた俺が本気の泣きを入れたタイミングで、常識人の筆頭であるアンドレが声をかけてきた。
「おーい、ジロー! ちょっとこっち来てくれ、すごいお宝が出たぞ!」
「おおッ、今行く!」
狭く息苦しい結界から、ピンポンダッシュの勢いで逃げだした……はずが、足がもつれてふらりとよろめく。
「ジロー、だいじょぶ?」
「ジロー、わたしの肩に掴まれ」
気づけば俺の両脇に、ペルルとクレールが寄り添っていた。
動物的な直感で、俺がヒットポイントゼロだってことに気づいたんだろうか。ありがたい……。
二人に支えられながら、アンデッドモンスターのようにずるずると進んでいると。
「ジロー様! 早くご覧になってください! ペルル様が再生させたこの“野球道具”に、初代皇帝のお言葉が浮き上がってきたのです!」
三種の神器を兄の手から奪い取ったアンジュが、興奮しきりで駆け寄ってきた。クラスメイトたちも何事かとぞろぞろ集まってくる。
アンジュは俺の前に、お宝バットをズイッと差し出して。
「東の宝物殿で一度だけ拝見した、あの辞世の句がここにも記されていたなんて! これは歴史的発見ですわ!」
「はぁ……」
と生返事をしながら、バットの柄を覗き込んだ瞬間。
俺の口から飛び出しかけていた魂が、しゅるんと体内に戻った。両手でごしごしと目を擦り、記された文字を何度もガン見する。
「あの、アンジュ……これは本当に、初代皇帝の『辞世の句』なのか?」
「間違いありません。わたくしが最初に覚えた古代語が、この“ハーレム”ですから!」
傍にいたペルルとクレールが、軽く小首を傾げる。
「ハーレムってなに?」
「ハーレムか、不思議な響きの言葉だな」
ハーレム、ハーレム、ハーレム……クラスメイトたちがその単語を口々に呟く中、俺は一人バットを抱えて項垂れていた。
そのとき俺は、初代皇帝という人物の本音に触れた気がした。
偉大な勇者で、建国者で、発明家で、野球が好きで……だけど彼は、ごく普通の男でもあったらしい。
彼の残したその一言を、俺はしっかりと胸に刻んだ。
立派な“反面教師”として。
『我が人生に悔いなし。ハーレム王に俺はなった!』
※これにて本編完結です。読んでいただいた皆様に感謝!(書きかけの番外編は取り下げました。申し訳ありません。いずれ第二部としてきちんと公開できればと思います)




