その7 女神の思惑
『お兄さん、しっかり掴まっててね!』
『おう!』
『お父さんの背中に足ついちゃダメだよ! たぶんグサッて刺さって血が出ちゃうから!』
『お、おう……』
凶雲は未だに王都全体を覆っているものの、そのピークは過ぎていた。大粒の雨はパラパラ降り続く小雨へと変わり、空も少しだけ明るさを取り戻している。
そんな中、俺は親子亀ならぬ親子狼のさらに上へ乗っかっていた。特別大きな“荷物”を抱えて。
その荷物とは――ペルルだ。
声をかけても揺さぶってもプロポーズしても起きてくれなかったので、仕方なくお姫様抱っこで運ぶことにしたのだが。
「くっそ重い……」
見た目は小柄な子ども体型のくせに恐ろしい重量だった。意識がなくてぐんにゃりしているから、なおさら重く感じる。
それはペルルの中に、膨大な魔力が詰まっているせいだ。
さっきの“奇跡”ごときでは使い果たせない大量の魔力――これは確実にペルルを護る力であり、それがある限り俺も安心できるとは思うものの、こういうときはちょっと不便だ。
「もっと簡単に貸し借りできりゃいいんだけど……まあ、無理だよな」
軽くぼやきつつも、ペルルを落とさないようしっかり抱きかかえ、子狼の胴体に足を絡ませる。俺が転げ落ちないよう父狼が結界を張ってくれて、ようやく準備完了。
『では、行くぞ』
校舎の窓際に張りついているクラスメイトたちに、手を振る暇もなかった。
ぬかるんだグラウンドに倒れた兵士やヒキガエルを横目に、凛々しく美しい銀色狼が軽々と校門の塀を飛び越える。
「おお……速えぇ……!」
ペルルの大鷲とタメを張る、まさしくジェットコースター並のスピードだ。
見慣れた王都の景色が残像になって消えて行く。ついさっき全力ダッシュした石畳の道が狼の足跡でボコボコになり、街路樹もバッサバッサとなぎ倒される。
凶雲のせいで通行人は全くいないから良いものの……かなりド派手な行軍だ。
『つーか、よくこんなんで王都まで来られたなぁ。マジで目立ち過ぎじゃね?』
『だいじょぶだよ! お父さん、この雲が無い時はちっちゃくなれるから!』
『へー、そうなんだ。どのくらい?』
『豆粒くらいかな!』
『へー……そりゃスゲーな……』
と、銀色狼のマメ知識を一つ教わる間に、俺たちは神官学校へ到着。
そこにはなぜか、ほぼ全員と思われる警備兵たちがズラリと勢ぞろいしていた。
よもやテロリストにでも襲撃されたのか……と思いきや。
「来たぞッ」
「本当だ!」
「預言書の通りだ!」
「「「勇者様と聖獣がキタ――ッ!!」」」
……。
……。
……あの書状にいったい何を書いたんですか、ビザール先生。
なんて、げんなりしてる場合じゃない。
俺はペルルがまだ眠っていることを確認した後、父狼に声をかけた。
『悪い、結界を越えるときだけは、人が歩くくらいのスピードに減速してくれないか? もし結界に変化があったらすぐ止まって欲しいんだ』
『うむ、分かった』
目の前に迫りくる分厚い壁を見据えながら、俺は思い出す。
前回ペルルが俺を迎えに来たとき、この結界はペルルの魔力に対してあきらかに反発していた。
だけど今、ペルルは眠っている。
この状態で結界を通れるかどうか……それはペルルに対する一つの試金石。
俺の直感は「大丈夫」と告げているけれど、その一方で脳みそは不安を訴える。
万が一にもペルルを傷つけないよう腕の中に強く抱きしめ、俺はドキドキしながらその瞬間を待ったのだが。
――スカッ!
なんら抵抗を感じることも無く、俺たちは半透明の膜を通過してしまった。
それを目撃した警備兵たちから「おおッ!」というどよめきが起こる。やはり彼らもちょっと不安だったようだ。
すぐさまリーダーの兵士が指示を出し、ほぼ全員が腕輪を装着し始める。どうやらこの先も俺たちを『警護』してくれるらしい。ちょっと鬱陶しいけれど、まあ「お仕事ご苦労様」という感じだ。
無事尻尾の先まで敷地内に入った後、父狼が鼻をヒクヒクさせながら尋ねた。
『その娘、いったい何者だ? 以前森で対峙した時とは匂いが異なるようだが……』
『ああ、今は眠ってるからな。目が覚めたら同じ匂いになると思う』
『どういうことだ?』
『うーん……ちょっと事情が複雑なんだけどさ、ペルルは俺が魔力を譲った相手なんだよ』
周囲に気を使い、正門へ向けてゆっくりと歩みを進めながら、俺は解説する。
ペルルは元々無能者であり、巫女になるべき人物だった。
なのに赤ん坊の俺は、自分の魔力を丸ごと譲り渡してしまった。だからペルルは“後天的能力者”になった、と。
『ほぅ、面白い。ではこうして眠りにつけば無能者に戻ると?』
『無能者っていうか、巫女に戻るんだろうな』
天使のような寝顔を見つめながら、俺は考える。
ペルルの魔力そのものに邪さはない。この結界をすり抜けた『鳥の羽』がそれを証明している。
つまりペルル本人がその気になれば――邪な欲望さえ抱かなければ、この結界を通れるんだ。
『ふむ、そうとは知らずあの時は悪いことをした。単なる人間と見誤り、危うく“女神の愛娘”の命を奪うところであった……否、単なる人間ではないと感じたゆえ、我も真の力を出さざるを得なかったのだが』
『まあ、俺がペルルに譲った力は、普通の魔力じゃないからな。女神に託された“神国の魔力”だから』
『なんと、神国の魔力を持つ者――すなわち“勇者”ということか!』
直球な問いかけに、俺は覚悟を決めて頷いた。
千年前の勇者も、たぶん同じ力を持っていたんだろう。
魔法式なんて一切関係なく、イメージしたことを具現化してしまうというめちゃくちゃな能力を……。
『しかしこの娘、勇者にしては拙い攻撃であったぞ? 我が祖先より口伝されている先代勇者とは比べものにならぬ』
『あー……うん、ペルルの本質は巫女様だから、他人を傷つけることができないんだ』
ペルルは昔から「魔法騎士としては優し過ぎる」と言われていた。怒りに任せなければ攻撃魔術を発動できなかった。
いや、怒りに任せても――大事な友達を人質に取られても、テロリストに立ち向かうことができなかった。優しさが仇となり、腕輪を嵌めることを許してしまった。
このまま魔法学校に通い続けても、その欠陥はきっと直らない。
それにペルルは、この世界で生まれ育った人間だ。
娯楽が少ない中で慎ましい生活をしてきたペルルと、テレビや漫画などでファンタジー系のコンテンツに触れてきた俺とは、根本的な発想力が異なる。
だから千年前の勇者は、この世界の人々に新たな魔法を伝授するために――“イメージ”を呼び起こすための『呪文』を考えたんだろう。
もし飛行魔法なら「我が身体よ風となりてうんぬん……」みたいな感じだろうか。かなりの文章力が試されそうだ。
『人を傷つけることができぬ勇者か。面白い存在だが、儚いな。一度命を奪いかけた我が言うのも妙な話だが、その程度の覚悟で“不浄の輩”に対抗できるとは思えぬ』
『うん、分かってる。俺は魔力を譲るべきじゃなかったんだ。本当に余計なことをした……しかも俺は、ペルルの大事なモノを奪っちまった。コイツが女神から授かった“特別な神力”を』
その神力とは――女神を降臨させること。
女神の声を聴き、人々に慈愛を与え、笑顔と手のひらで世界を平和に導く力……。
ペルルがこの力を得ていたら、たぶん“聖女”とでも呼ばれていたんだろう。
実際ペルルが魔獣に祈りを捧げていたとき――神力を取り戻した瞬間の姿は、まさしく女神そのものだった。
あの姿こそが、本来のペルルだったんだ。
なのに、俺がその力を貰ってしまった。
『では今のそなたには、女神の魂が宿っていると?』
『ああ、自覚したのはついさっきだけど、昔からずっと女神の声は聴こえてたんだ。でも俺はそれを単なる“直感”だと思ってた』
冷静に振り返ると、いろいろ違和感はあった。過度な平和主義だとか、女子にムラッとしなかったりとか。
ただ『聖人』だとか『賢者』なのかと言われると、そんなことは全くない。
人間らしい煩悩もまだまだ残っていて、脳みそは常にノイズをまき散らす。残念ながら女神の声は、電波の悪いド田舎のラジオくらいにしか聴こえない。
ニコポナデポだって、つい個人的な欲が混じりそうになるから、なるべく封印しているくらいだ。ピュアな研究者モードの時か、よっぽど切羽詰まった神頼みモードの時くらいしか使えない。
女神としては、ガッカリもいいところだろう。
本当なら、最強魔法でやりたい放題の勇者と、それを優しく制してくれる聖女様、そして聖女様のペットになった聖獣というパーティで、世界を救う旅でもさせたかっただろうに……。
『なるほど、欲に塗れた聖者とは、これまた面白い……が、やはり不完全な存在だな。なんとかならぬのか?』
『それが、すぐ元に戻すってわけにもいかないんだよ。力が魂に固着してる感じだから。これから少しずつ調整していきたいとは思ってるけど……』
既にペルルは『ちょっとアホな最強魔法使い』としてアイデンティティを確立している。そこから『賢く清らかな聖女』にキャラチェンジするなんて……考えただけで気が遠くなる。
俺だって今さら『強く逞しい勇者』になれる気がしない。
だけど、いずれまた敵が現れる。今の俺たちじゃ立ち向かえないような強敵が。
そのときまでになんとかしろと俺の中の女神が言っているし、俺だってあんな思いは二度としたくないから、絶対にやらなきゃいけない……。
『随分と面倒なことになったものだな。未だどちらが勇者でどちらが聖者か決まっておらぬということか』
『まあ現状だとペルルが“勇者”で、俺が“聖獣使い”って感じかな。二人とも半人前だけど、よろしくな』
そんな風に締めくくると、親子狼は揃って頷いた。尻尾をパタパタとせわしなく振りながら。
俺の心に、女神がヒソヒソと何かを囁く。
ここまで親身になって相談に乗ってくれた上、こうも嬉しそうにするってことは。
『なあ……やっぱアンタらって、魔獣じゃなくて聖』
『わ、我らは魔獣だ。女神の加護など、とうの昔に失われておる!』
『って、お父さんはいうけど、たぶん女神様はもう怒ってないと思うんだよねー。怒ってるのはお母さんだけで』
『グウッ……』
その会話だけで、だいたいの事情が分かってしまった。俺は父狼に『ドンマイ』と呪文を唱えた。
※ラストになる予定でしたが、エピローグの一部(主人公とペルルの能力関連)をこちらへ移動させました、スミマセン。次回が本章最終話です。
※一部単語を修正しました。
※一部モノローグを加筆しました。




