その4 渾身の一撃
俺の落とした爆弾発言――実際はカマをかけただけの台詞に、第一皇子は言葉を失った。分厚い唇がわななき、脂ぎった額には玉の汗が浮かぶ。
内心舌を出しつつも、俺はにっこりと微笑んだままフォローを入れる。
「もちろん、この件は誰にも言うつもりはありませんし、俺を生かすも殺すもお好きなようにどうぞ。ただ、もし俺を生かしてくれるなら……“所長”よりもっと面白い研究ができると思いますよ?」
俺には詐欺師の能力もあるのかもしれない。
何も計算せずとも口が回った。俺が言葉を発するたびに、第一皇子が食いついてくるのが分かる。
――まずはコイツに俺を認めさせる。使える『人材』であり、味方であると思わせる。
そうすれば縄が解かれて、この手で触れるチャンスが巡ってくる……。
その作戦は成功した。
第一皇子は小結界を消すと、俺の背後に立っていたニンジャに命じた。
「こやつの縄を切れ」
「皇子ッ?」
途端にロドルフが噛みつく。アンドレの時と同じように、主の寵愛を奪われるんじゃないかと警戒して。
「そう吠えるな、鬱陶しい」
指輪をいくつもつけた分厚い手が、詰め寄ろうとしたロドルフをすげなく振り払った。さほど力を入れたようには見えなかったのに、ロドルフは床へ尻もちをついてしまう。
さすがは腐っても王族、かなりの魔力量だ……なんて感心している場合じゃない。
今のロドルフの行動は、第一皇子に余計な危機感を抱かせたようだ。「飼い犬に手を噛まれてはかなわん」とばかりに、慌てて小結界を自身の周囲へと張り直す。
……この手が届くまで、あと一歩だった。
作戦のラストで起こった致命的なアクシデントに、頭からサーッと血の気が引いていく。パニック状態に陥りかけながらも、急遽作戦を組み直す。
――大丈夫、まだチャンスはある。ヤツに触れるのはひとまず後回しだ。
俺は背後に立ったニンジャへと意識を切り替えた。笑みを向けることはできなくとも、この手で触れることは充分可能。
獲物を狙う鷹の気分で、俺はその時を待った。
そして、はらりと縄が落ちた刹那――ニンジャの手を強く掴んだ、はずが。
「え……ッ?」
思わず驚愕の声が漏れるも、ニンジャはノーリアクション。俺の手を軽々と振り切って、霧のように消えてしまった。
俺は呆然として、自分の右手を見つめる。縄の跡がくっきり残った手首の先を。
ニンジャの手は氷のように冷たかった。全くといっていいほど“人間”の気配がしなかった。
それどころか、あの『ヤバい感じ』がした。魔獣の瘴気に満ちた地下室で、黒い短剣に触れたときのような……。
つまり――ヤツらは人間じゃない。
俺とは相容れない、魔獣と同じ領域にいる。
そして、このハンドパワーも万能じゃない。女神の支配下から抜けてしまった相手には効果が無いんだ……。
「さて、これから一つ余興をしようと思うのだが」
第一皇子がこっちへチラリと流し目を送るも、おべんちゃらを言う余裕などなかった。
作戦は白紙になり、『最強の武器』として頼りにしていた力も通じなかった。頭の中はぐちゃぐちゃだ。
それでも時間は止まらない。俺を置き去りに動いていく。
つれない反応に興を削がれたのか、ヤツの視線はへたり込んだままの負け犬へと向かった。
「ロドルフ、この“聖獣使い”と戦うがよい。勝った方を真の勇者と認めてやろう」
「はい!」
途端にロドルフが忠犬へ戻る。無駄に闘志を燃やし、ご主人様に尻尾を振るかのように勢いよく立ち上がる。
ただし……第一皇子はアンドレのように高潔な人物じゃなかった。
ロドルフは仕える相手を間違えたのだ。
「それで、勝負の方法とは何ですか?」
「うむ。ここにいる反逆者どもを、より多く“粛清”した者を勝者としよう」
「――ッ?」
思わず息を呑むロドルフに、第一皇子は「何か問題があるかね?」とうそぶいてみせる。
俺はかろうじてポーカーフェイスを維持しつつも、心の中でヤツに唾を吐きかけた。
……最悪だ。最悪過ぎる。
最初からヤツはそうするつもりだったんだ。
クラスの皆を隔離せずこの場に立ち会わせたのは、人質にするためじゃなく皆殺しにするため。
なぜそんなことをするのか……それはこのクラスの生徒が“宰相派”の貴族子弟だからだろう。彼らは宰相の力を削ぐための生贄にされるのだ。
だけど、この計画はどう考えても穴があり過ぎる。
この国の貴族たちだって馬鹿じゃない。いくら王族であろうとも、これだけ多数の貴族たちから恨みを買えば土台が揺らぐ。三日天下になるのは目に見えている。
コイツはいったい何を考えてるんだ?
どうすればこの暴挙を止められる……?
俺が必死で頭を働かせる間、ようやく放心状態から抜け出したロドルフが、怯えながらも主に詰め寄った。
「そ、それは、全員殺せってことですか? あの三人だけじゃなく……?」
「『革命』に血はつきもの。歴史の目撃者は我らの仲間だけでよい」
さも当たり前のように言い放ち、グフグフと不気味な笑い声を立てる第一皇子。
――何も考えてない。
俺はそうジャッジした。
コイツは目先の欲望に踊らされるだけの小物だ。頭が悪過ぎて、駆け引きどころか言葉すら通じない……。
だけど俺は抵抗しなきゃいけない。最後の最後まで。
「ちょっと待ってください、一方的な勝負じゃ面白くありません。ロドルフにも腕輪をお願いします」
「おお、確かにその通りだ。条件は揃えてやらねばな」
ささやかな抵抗作戦は功を奏した。ロドルフはニンジャにより拘束され、手首に銀の腕輪が嵌められた。そして俺たちの足元に二本の短剣が転がされる。
ガシャン、という金属音が響き渡ると同時に、止まっていた時が動き出す。
パニックに陥った女子が金切り声をあげ、身動きできる全員が教室のドアへと殺到した。
しかしドアは固く閉ざされ微動だにしない。ドアだけじゃなく、雨粒が激しく打ちつける窓にも結界が張られている。小さなネズミ一匹逃げ出すのがやっとだ。
大柄な男子生徒が体当たりを繰り返しては弾き返される。女子は腕輪を外そうと手首を掻き毟る。
無駄な悪あがきをしていた生徒たちが、しだいに動きを止める。教室には、諦め混じりの啜り泣きが漏れ始める。
たぶん彼らはこう考えていたはずだ。
『自分たちは弱者であり第三者だ、隅っこで震えていれば命を奪われることはない』
そんな甘えは、非情なテロリストに踏み潰された。自らの手を汚すことなく、目的を達成しようとする冷酷な支配者に。
「さあ、早く始めなさい」
狂犬と化したロドルフが、ゆるりと頷いた。主の命令に従って腰を屈め、その手に短剣を握り締める。
当然、俺ももう一本を取らざるを得ない。
第一皇子が腰にぶら下げている華美な宝剣とは違う、安っぽいブロンズの剣だ。刃渡りは五十センチほどで、殺傷能力は充分にある。
迷いを見透かされないよう双眸に力を込めながら、俺はゆっくりと剣を掲げた。
……いったいどうすればいいんだ?
もはや第一皇子に手を触れるような隙は見当たらない。自身への結界を強めた上、傍らに例のニンジャを侍らせている。
ロドルフに触れるのも無理だ。完全に目がおかしくなっている。うかつに近づけば確実に斬りつけられる。
――ひとまずロドルフと戦うしかない。皆を守りながら少しでも時間稼ぎするしか……。
覚悟を決めて敵を見据える。剣なんて握ったこともなさそうな、ひょろっとしたお坊ちゃんを。
「ま、まずはお前を殺す……その後、全員殺ってやる……一人残らず、全員だ……!」
情けなく震える声が、ロドルフの本音を如実に物語っていた。
ヤツも内心では「こんなはずじゃなかった」と思っていることだろう。
恨みを抱いていたアンドレやクレールを傷めつけられる、そしてあわよくば『下剋上』が狙えるとそそのかされ、稚拙な計画に飛びついた。
その結果が、大量殺戮者への道だ。女神の加護は確実に失われる。
だけど、もう後戻りはできない……。
「――うぁぁぁあああああッ!」
目を血走らせ、よだれを垂らしながら、ロドルフが剣を振り下ろした。
単純な太刀筋と分かっていながら、俺は避け切ることができなかった。頭を殴られたせいで足元がふらつく上に、手にした剣は鉛のように重い。
それでも――斬られる気は全くしない。
ガキンッ!
打ち鳴らされた音が、この地獄につかの間の静寂を運んだ。
クロスする剣の向こうで、ロドルフが大きく息を呑む。
「貴様……ッ!」
「剣の鍛錬は十年以上続けてきたんだ。同じ“無能者”が相手なら負ける気はしねぇ」
挑発したのはわざとだ。
無能者と侮っていた男に、自分の方が殺されるかもしれない……そう考えて、少しでも正気を取り戻してくれればいい。
そんな俺の期待は、ヒキガエルの声であえなく潰された。
「――何をしておる! 早く殺せ!」
まるでパブロフの犬のようだ。反射的によだれを垂らしたロドルフが、奇声をあげながら俺へ踊りかかる。
ブォンッ!
再び振り下ろされた剣を受けとめた俺の右腕が、ミシッと嫌な音を立てた。
魔法を封じられているとはいえ、内包された魔力は筋肉に作用する。まともに打ち合ってはこっちの身体がもたない……。
俺は自分の剣を真横に構え、左右へ重心を移動させながら、相手の剣を受け流し続ける。
後方へ飛び退きたいところだけれど、背後にはクラスメイトたちがいる。しかも崩れた机や椅子が足場を危うくする。
明確な殺意を持った人間と、誰かを庇いながら逃げようとする人間。
どちらが強いかは明白だった。
逆転の手を考える余裕は一秒も与えられない。次々と繰り出される本気の太刀に、俺は追い詰められていく。
体中の血が沸騰する程に熱を持ち、塞がりかけていた額の傷が開く。流れ出た新たな血が視界を遮る。
潰れた片目の代わりに、俺は耳を研ぎ澄ませた。
はぁはぁという荒い息は、自分の口からだけじゃなくロドルフからも放たれている。
これほどめちゃくちゃに剣を振り回せば、体力を失うのは当然。それでも瞳に宿った殺意は消えない。ヒキガエルの笑い声が聴こえる限り、ヤツが膝を屈することはない。
逃げ回るだけじゃダメだ。攻撃に転じなければ。
命を奪わない程度に怪我をさせるだけなら、きっと女神も赦してくれるはず……。
「――うぉぉぉぉおおおおッ!」
「ぐぅ……ッ!」
一瞬の迷いを突いた、渾身の一撃だった。
正眼の構えから実直に振り下ろされた剣を、俺はかろうじて受けとめた、はずが。
汗でじっとりと濡れた手のひらから、俺の剣がするりと滑り落ちていた。とっさに半身を横へずらし、身体への直撃を避ける。ヤツの剣は俺のローブの裾をかすめて床を打った。
しかしそれは一時の延命でしかない。
「へへッ、手こずらせやがって……これで終わりだ」
ロドルフが再び剣を掲げるも、周囲からは物音一つしなかった。悲鳴をあげるようなか弱い女子たちは、すでに気を失ってしまっている。
俺は後退ることを諦めた。
落とした剣の位置はかなり遠い。そこらの椅子や机を盾にしようにも、視線を逸らした時点で致命的な隙となり、無残に斬り裂かれるだろう。
両手をあげ、降参することも考えた。情けなく命乞いをする道化を演じようとした。
だけど、乾き切った喉がひりついて声が出ない。
もう俺にできることは、何もない……。
絶望に支配された心は、ふわふわとした甘い空想を描き出す。
……そうだ、もう一つだけあるじゃないか。俺だけの特別な力が。俺は無垢な鳥を呼ぶことができるんだ。
あの窓へ向かって「おいで」と声をかければ……。
「死ねぇぇぇぇぇッ!」
「――ダメッ!」
狂気に満ちたロドルフの叫びに、幼い少女の悲鳴が重なった。
※一部描写を加筆しました。(作戦の解説、ニンジャへの評価、対ロドルフ戦など、主人公のモノローグ中心に)
※一部描写を修正しました。




