その8 魔石の秘密
――革命。
その単語に、ビザール先生の肩がぴくんと跳ねた。
「元々所長は、民俗学――特に聖獣に関する優秀な研究者でした。ボクは所長の論文に感銘を受けて、同じ道へ進もうと思ったんです。でも当時の神殿には、そんな『道楽』へ人材を注ぎこむ余裕はなかった。所長とボクは上から強制的に命じられました……魔石の開発をしろと」
人工魔石の欠片で生み出した光球が、火の玉みたいにふわふわと俺たちに付いてくる。
薄明かりに照らされた灰色の階段に、室長の低い声がこだまする。
「もちろん、与えられた仕事には真摯に取り組んできたつもりです。魔石の研究も全く興味が無いわけじゃなかったですしね。ただ……さまざまな事象を聖獣と結び付けて考えてしまう癖だけは、どうしてもやめられなかった」
うんうんと、大げさなくらいに頷いてみせるビザール先生。
やっぱり神国学も『道楽』ジャンルなんだろうな……なんてことを考えつつ、俺は室長の告白に耳を傾ける。
「そんなとき、所長がボクに言ったんです。あの有名なおとぎ話――銀色狼の伝説を密かに研究してみないかって。元々聖獣だったはずの存在が、魔獣と呼ばれるようになってしまったのは、魂である心臓に変化があったからじゃないか……その変化は、実際に魔石を分析すれば分かるんじゃないかって。ただ銀色狼の心臓は、人の手で砕けるような強度じゃないし、そもそもそんなことをしようとすれば女神に厭われる。ボクらはあれの代わりになるような、なるべく魔力量の多い天然魔石を集めて……結果、一つの仮説を立てました」
「ほぅ、どのような?」
「意外と単純な話なんですが……天然魔石のもつ魔力量は、魔獣を倒した人物の“志”に左右される、というものです」
「ほほぅ、それは面白い!」
気づけばビザール先生と俺は、室長を両脇から挟み込むポジションに立っていた。室長は俺たちを交互に眺めた後、軽く苦笑して。
「この仮説に辿りついたのは、本当に偶然なんです。ある日、ほぼ同じ大きさの灰色狼の魔石を二つ入手できまして。一つは報奨金目当てに討伐した冒険者の持ちこんだもので、もう一つは市民の命を守るために戦った魔法騎士のものでした。その二つを比較すると、魔法騎士の魔石の方が圧倒的に色鮮やかで、魔力量も高かったんです」
「でもそれは、単に各個体の魔力差じゃないんですか?」
知的好奇心をチクチク刺激され、俺もつい首を突っ込んでしまう。
一時だけ、おぞましい獣臭を忘れさせてくれるような熱気が生まれる。
「ボクたちも最初はそう思っていました。でも冒険者と魔法騎士、それぞれが具体的にどうやって灰色狼を倒したのかを調査した結果、決定的な違いに気づいたんです。魔獣の肉体が朽ちてから魔石が生まれるまでの僅かな時間、魔法騎士は失われる命を悼み、女神に祈りを捧げていた……その祈りが女神に届き、魔獣の魂がより強く浄化されたのではないかと」
そう言われて、俺はピンと来た。
村の周囲でペルルが討伐した魔獣の魔石は、やたらと良質なものが多かった。それは魔獣が魔力を消費する前に瞬殺したせいだと思っていたけれど、そうじゃなかったのかもしれない。
ペルルが魔獣へ祈りを捧げている姿は、何度か見たことがある。
そのときのペルルはどこか近寄りがたかった。すごく神々しくて、まるで本物の女神が乗り移ったみたいに思えた。
もしあれが、俺の見間違いじゃないのなら……。
「ビザール先生、ちょっと思いついたことがあるんですけど」
「何じゃね?」
「この話には“神力”が関わってるんじゃないでしょうか?」
「ふむ……しかし神力とは、魔力を持たぬ者に対する女神の加護であり、魔法騎士とは相容れない力のはずじゃが」
「女神に祈りを捧げているときは、魔法騎士であっても『無能者』と同じように無防備な状態になりますよね。その瞬間だけ女神の加護を受けるんです。すると“神力”が生まれて、その神力が魔石の純度に影響を与える、とか……?」
俺の仮説に、ビザール先生も室長も目を見張った。
もちろん俺だって、普通ならこんな発想には至らない。これは皇子が『後天的無能者』というヒントをくれたからだ。
「もしかしたら、魔力と神力は相反するんじゃなく、光と影みたいな関係なのかもしれません。魔力が強ければ神力は消えるけれど、完全に無くなってしまうわけじゃない。本人の志しだいでは、神力を高めることもできる。そして高まった神力は――穢れた魂を浄化する」
自然と俺は、両手を強く握り締めていた。さっきの自分自身を思い出して。
慈愛に満ちた女神とシンクロしたとき、俺の神力は爆発的に高まる。そしてこの手で触れた相手の心を浄化できる……。
「――なるほど、その発想は無かった!」
興奮しまくったビザール先生が、隣に立つ室長の背中をバシバシと叩く。さすがにちょっと痛そうだ。
「魔獣の魂には、対峙した人間の志が影響を及ぼす。その志とはすなわち神力である……つまり銀色狼が、邪悪な魔法使いのせいで魔獣に堕ち、後に清廉な勇者に救われたという物語は、単なる訓話ではなく実話だったということじゃな! しかも高品質な魔石という実利をもたらす話でもある! これは一刻も早く論文にし、世に広めるべきではないかねッ?」
ふさふさした白眉をクワッと持ち上げたビザール先生が、噛みつかんばかりの勢いで室長に迫る。
しかし室長は、いたって冷静で。
「ハイ、そうなんです。ただボクらは根っからの研究者ですから、理屈だけでは満足できなかった。その仮説の証拠となる物質が、魔石の中に存在するんじゃないかと思ったんです。それを見つけ出してからこの話を公にしようと」
「さすがじゃ」
「さすがですねぇ」
左右からそっくりな賞賛を寄せられ、室長は軽く照れ笑いした。まるで少年のように純粋な笑みだ。
なのに、話はそこから大きくねじ曲がっていく。
純粋な研究者ならではの、危うさを孕んで……。
「ボクたちは上をどうにか説得して、この研究所を立ち上げました。そして、天然魔石の中の純度が高い部分のみを取り出す研究を進め、それに成功しました。銀色狼の魔石とかなり近い、ほぼ曇りの無い深紅の結晶が作れたんです。その結晶を、所長は『聖獣の心臓』と名付けました」
俺とビザール先生は、思わず顔を見合わせた。
間に挟まれた室長は俺たちの反応に気づかない。当時に想いを馳せているのか、まさに夢心地といった表情を浮かべている。
重苦しい沈黙の後、ビザール先生が口を開いた。
「ようやっと分かった。お前さんのように真面目な若者が、なぜこんな馬鹿げたことをしでかしたのかと思ったが……新たな仮説を立てたわけじゃな? 『聖獣の心臓』を普通の獣に埋め込めば、『聖獣』が造れるんじゃないか、と」
その指摘は、楽しい夢の世界を容赦なくぶち壊した。
室長は慌てて言い訳を始める。
「いや、所長もボクも、最初は躊躇してたんです。そんなの簡単に成功するなんて思えないし、実験を繰り返せば無垢な動物の命を弄ぶことになるって。なのに所長は突然方針を変えて……『革命』のためには聖獣が必要だって言い始めました。だからボクは――っと、そろそろ着きます」
空気が暗く澱んできたのは、話題が重くなったせいだけじゃなかった。
俺が潜入した隠し通路の真裏にあたる場所へ、ようやく辿りついたのだ。




