その7 罪人の懺悔
「……で、具体的にはどうしますか、勇者様?」
「キキッ?」
俺とネズミがジーッと見つめる中、勇ましく宣言したはずのビザール先生は……斜め上へと視線を泳がせた。
俺はため息まじりに提案する。
「ひとまず歩きながら話しましょうか」
「お、おお、そうじゃな。急がねばなッ」
思い出したようにそう言って、ビザール先生はそそくさと歩き出した。
どうやらテンションが平常運転に戻ってきたようだ。というより、一気に上がった分だけ急降下の勢いも半端無いというか。
横目に見やると、ふさふさした白い眉がみるみるうちに下がって行く。ピンと張っていた背筋もやや猫背ぎみになる。
「どうしました、勇者様?」
「キキッ?」
「えぇと、ジロー君。やはりその呼び方は……少々おこがましいというか、その……」
まあ、こうなるのも分かっていた。
ビザール先生が、自分を鼓舞するためにあえて『勇者宣言』をしたってこと。
そうしなきゃ理性を保てないくらい、本気で追い詰められてるってこと……。
ビザール先生にとってこの場所は、それくらい大事なんだ。俺にとっては命と比べるまでも無い、あっさり「捨ててしまえばいい」と思えるものでも。
だったら――“勇者”がそれを望むなら、俺は願いを叶えるために全力で頑張らなきゃいけない。
「ビザール先生、ちょっと聞いてもらえますか? 今から俺がやろうとしてること。あと、誰にも言ってない俺の秘密を……」
◆
「またアナタですか! 今は相手をしている余裕はないとあれほど言ったでしょう、今すぐ出て行ってください!」
秘密の地下研究所は、人工魔石研究棟の隠し階段を下りた先にあった。
強固な結界に守られた鉄扉の前には、黒いローブ姿の大柄な男が一人。俺たちを威圧するように声を荒げ、悪鬼のごとき形相で睨みつけてくる。
年は三十代後半くらいで、ダークブラウンの髪をやや伸ばし気味にした、端正な面立ちの男だ。しかし心労のせいか顔色は悪く、目の下にはくっきりとクマが浮き出ている。
たぶん彼が室長――現時点での責任者なのだろう。
室長の後ろには、白衣を羽織り腕輪をつけた三人の若者が佇んでいる。年は二十歳そこそこで、ひょろっとした体躯に眼鏡をかけた、いかにもなもやし系キャラだ。
怯えを隠そうともせず寄り添い合う彼らの姿に、思わず呆れ笑いが漏れる。
まるで被害者のような顔をしているけれど、あいつらだって立派な加害者なんだ。しかもやらかしたことの責任も取らず、逃げ出そうとした卑怯者……。
「まあまあ、そう年寄りを邪険に扱うものではない。今回はワシの愛弟子を連れてきたんじゃ。彼のためにも、ちょっとばかし中を見せてもらえんかのぅ?」
ビザール先生が、俺の背中をポンと押した。
ここまでの流れは打ち合わせ通り。この先は完全に、俺の独壇場だ。
「初めまして、お忙しいところすみません」
室長の前へ歩み出た俺は、無垢な学生を装ってペコリと頭を下げた。そして、怪訝そうに眉根を寄せる彼に握手を求めながら、ニコッと微笑む。
その笑みを間近に見ただけで、相手はもう逃げられなくなる。
強力な磁石に吸い寄せられるように、すうっと右手を差し出してしまう。
「初めまして、ジローです。こちらで特別な研究をされていると伺いました。詳しく教えていただけませんか?」
「あ、ああ。分かった、案内しよう……」
「――室長ッ?」
「どうしたんですか!」
「いったい何を考えてッ」
あー、うっせぇ。
俺はポーッと呆けてしまった室長の手を離し、三人の研究員たちにも次々と握手を求めた。道を踏み外してしまった者への憐れみで心を満たして。
まるで赦しを与える女神みたいな気分だった。
風紀委員たちとのやり取りでもそうだった。一時的な怒りや激情がおさまった後は、いつもこんな感覚になる。
実際、人間なら誰しも邪な欲望を抱えているし、誰だって道を踏み外す可能性はある。俺自身も『合成魔獣』という発想には、つい好奇心を刺激されてしまったし。
ただし、それを実行に移すかどうかは話が別だ。やっていいことといけないことの区別くらいつけろって話だ。
……たぶん彼らは賢すぎたんだろう。
普通の研究では満足できなくなり、魔獣の合成という禁忌に手を出した。そしてまんまと成功し、自分を過信してしまったんだ。それこそ『勇者』にでもなった気分で。
その気持ちは理解できる。
それでも罪は罪だ。
ここから逃げ出したところで“女神”は許しちゃくれない。安寧なんてどこにもなく、いつまでも罪悪感で苦しみ続けることになる。
だから、もし後悔する気持ちが少しでもあるなら……俺の『仲間』になって欲しい。
そんなことを考えながら、彼らの手を強く握りしめた。
握手を終えると、彼らは青白い頬をほのかに赤らめて。
「さっきの態度は悪かったな」
「我々もできることがあれば協力しよう」
「質問があれば何でも答えるぞ」
なんて……。
俺はあらためて、自分の右手をジッと見つめた。
想定内の結果とはいえ、我ながら恐ろしい。四人もの“敵”をこうも簡単に転ばせられるとは。
チラッと背後を見やると……ビザール先生は、生ける屍と化していた。
この“神力”についてはあらかじめ説明していたはずなのに、口を半開きにし、虚ろな目で俺を見つめている。
「先生、大丈夫ですか?」
「あ、ああ……これは催眠術などというチャチなものでは断じてない……もっと恐ろしいものの片鱗を味わった気がする……」
と、どこかで聞いたような台詞をぶつぶつと呟くビザール先生。俺は華麗にスルー。
「時間もないことですし行きましょう。室長、よろしくお願いします」
すっかり板についた営業スマイルを浮かべてみせると、室長はローブの奥から『カードキー』を取り出した。そこには小さな魔石の欠片がはまっている。
これは結界をつくるときに併せて用意するものだ。強固な結界も、そのプレートをかざすだけですんなりと通過できる。
秘密のベールに包まれた研究所内に入ると、そこは意外にも明るく快適な空間だった。
入口付近にはちょっとしたロビーがあり、花や絵画や大粒の“天然魔石”が飾られている。その奥にはデスクと資料が整然と並び、当然のように掃除も行き届いていて清潔感抜群。いくつかあるドアの先は、ラボや仮眠室になっているようだ。
……と、視覚だけでみれば何ら問題は無い。
なのに、どうして室長たちが通路にいたのか――それはこの“臭い”のせいだ。
地下へと続くであろう扉の奥から漂ってくる、獰猛な獣の臭い。
口には出さずとも、ここにいる全員がそれを敏感に感じ取っている。特に『無能者』である室長には、とうてい耐えられないものだったのだろう。
ピリピリとした緊張感に包まれる中、俺は淡々とミッションを遂行していく。
同じカードキーをもう二枚求め、ビザール先生と一枚ずつ持っておく。万が一彼らの“洗脳”が解けて逃げられてしまったとしても、これで最低限の対応はできる。
「じゃあ、さっそくですけど『所長』のところへ案内して欲しいんですが」
「……ッ、わ、分かった」
苦しげに顔を歪めつつも、しっかり頷いてくれる室長。
下っ端研究員たちには、魔石集めを頼んでみた。それも彼らはすんなりと受け入れる。
慌てて走り出した白衣の三人を見送りながら、俺は思った。
洗脳状態、という表現はやはり的確じゃない。
彼らは自我を失ったわけでも、俺の意のままに動くロボットになっているわけでもない。
彼らも最初から分かっていたんだ。どうすれば『延命処置』ができるかなんて。
やるべきことはただ一つ――魔石を掻き集めて、全力で魔獣を閉じ込めること。
なのに糾弾されるのが怖くて逃げようとしていた。日本で例えるなら、彼らはひき逃げ犯になろうとしていたわけだ。
俺の手は、彼らの背中を軽く押しただけ。「進むべきはそっちの道じゃない」と。
それだけで充分だった。
この先も彼らは最善の手を尽くそうとするだろう。女神に懺悔するために、それこそ死に物狂いで。
そんな部下たちの姿を見て、室長も覚悟を決めたようだ。揺らいでいた瞳に理知の輝きが灯る。
「……では、こちらへどうぞ」
地下へと続く高速エレベーターなんて便利なものはなかった。室長、ビザール先生、俺の順で一列になり、深淵へと続く長い階段を下りて行く。
一歩進むごとに、獣の臭いが濃度を増していく。発狂しそうになるほど強烈な臭いだ。
ついに耐えきれなくなったのか、先頭に立つ室長がぽつりと漏らした。
「ボクは、本当に知らなかったんです……まさかこんなことになるなんて……」
「知らなかったとは、どういうことじゃ?」
授業中となんら変わらないトーンで、ビザール先生が穏やかに問いかける。
室長は声を震わせながら、涙混じりに懺悔した。
「全ては――『革命』のためだったんです」
※一部描写を修正しました。




