その3 神官学校の闇
俺は一旦ソファに戻り、ポケットに収まっていたネズミを取り出した。そして、ルビーみたいな赤い瞳をジーッと見つめながら問いかける。
『あのさ、もしかしてお前、俺の他に“好き”なヤツがいるのか?』
あたかも恋人の浮気を疑う彼氏のような言い回しに、ネズミはぷるぷると尻尾を横に振って。
『イマセン』
『ニコッとされたり撫でられたら好きになっちゃうとかは?』
『アリエマセン』
尻尾を千切れんばかりにぶんぶんと振った結果、バランスを崩したネズミが手の中でころんと転げる。俺は指先でその身体を起こしてやりながら、ホッと一息。
『だよなぁ……あービビった。さすがにこんな力持ってるヤツが、何人もいるのはマズイよな』
『デモ、キライナヒトハイマス』
『……え?』
『メイレイスルノデ、ニゲマシタ』
『命令って、そいつ何者だよ』
『チチデス、ワタシヲウミダシタヒト』
その瞬間、脳内に一つの仮説が生まれた。
俺は「ありがとな」と言ってネズミの頭を撫で、再び先生に向き直る。
「先生、地下で行われてる研究って、“魔石の合成”なんですよね?」
「うむ、そうじゃ」
「たぶんそれは表向きのことです。彼らは女神の教えに反する研究をしてますよ。命を弄ぶようなことを……普通の獣に魔石を埋め込んで、“魔獣の合成”を」
確信を持って告げたその台詞に、先生はふらりとよろめいた。額に手のひらを強く押しあてて俯いてしまう。
合成魔石の研究なら、神官が力を入れるのは分かる。確実に人々の役に立つし、女神の教えにもなんら反していない。何より恩恵を受けるのは彼ら自身だし。
だけど、まさか魔石じゃなく魔獣を創りだすなんて……一歩間違えば自らを滅ぼしかねない、信じがたい行為だ。
はたしてこれは、一部研究員の暴走で済まされるようなことなんだろうか……?
「ありえん……そんなことはありえんぞ……」
ビザール先生の拒絶反応は俺以上に強かった。虚ろな眼差しで空を見つめながら、独り言のように呟く。
「ワシら無能者にとって、魔獣とは最も恐れ忌むべきもの。我が学園の優秀な研究員が、そのような発想を持つなど……いや、これはまだ仮説じゃ。真実と決まったわけではない。全てはワシらの杞憂ということもある……」
明らかに『現実逃避モード』へ陥っていくビザール先生に対し、俺の心はスッと冷めていく。冷静な第三者のポジションに戻る。
俺はちょっとした意趣返しを兼ねて、さっきまで言われ続けていた台詞を言ってみた。
「でも実際、こうして言うことをきく魔獣がいるんですよ? それが動かぬ証拠じゃないですか」
「うッ……確かに……」
「あと、このネズミが教えてくれたんです。自分には“父親”がいて、命令されたから逃げてきたって。結界を通り抜けた記憶もないみたいですし、外部から迷い込んだわけじゃなさそうです。つまり、コイツはこの場所で産まれたって考えた方がしっくりきますよ」
「うぐぐぐぐ……」
苦しげな呻き声をあげ、ビザール先生はがっくりとうなだれてしまった。
俺は抗いがたい好奇心に突き動かされ、分析を続ける。
「だからこのネズミ、やたら素直なんですね。野生の魔獣と違って、飢えてないし獣臭も全然しない。魔力はあるみたいだけど『邪さ』は感じないし……もしかしたら、この学園の結界も普通に越えられるかもしれません」
その分析に学者魂を刺激されたのか、ビザール先生がそろりと顔を上げた。そして立派なあごヒゲをしゃくりながら身を乗り出し、興味深そうにネズミを見つめて。
「ふむ……例えるなら、野犬と飼い慣らされた室内犬といった違いかね?」
「いや、リアルな犬とロボット……人形の犬くらいの差はありそうですね。もちろん魔力もあるし危険っちゃ危険なんですけど、人間側できちんとコントロールできる限り、従順なペットとして飼える気が」
なんとなく、俺はそこで話を止めた。この先を口にしたらマズイ気がした。
というか、ようやくビザール先生の感じた焦りの意味が理解できた。
人間の言うことを素直にきく、合成魔獣。
もしそんなものが世の中に広まったら……?
「先生、なんかこれってそーとーヤバい話のような気がするんですけど……」
「うむ、もし事実ならばゆゆしき事態じゃな」
「えっと……とにかく、もっとハッキリした証拠を見つけましょう。このネズミ一匹じゃなんとも言えないんで。もちろん俺も協力します」
そう言って立ち上がりかけた俺を、ビザール先生は鋭い眼差しで制した。そして真っ直ぐに俺を見つめたまま、重々しい口調で告げる。
「ジロー君、ここはひとまずワシに任せてくれんか。これ以上部外者の君を巻き込むわけにはいかん」
「だけどこの話、かなり危険な臭いがしますよ。一握りの研究員の暴走じゃすまない、裏に誰かいる可能性があります」
そもそも研究とは金がかかるものだ。実験台になる動物を秘密裏に確保するだけでも、そうとうな資金が必要なはず。
例えば、そこらじゅうに転がっている魔石やらお宝をこっそりくすねて売りさばくとか、資金稼ぎの方法はあるのかもしれないけれど……いずれにせよ、学外に協力者がいなければ成り立たない。
俺がそんな懸念を伝えると。
「……ジロー君の言う通りじゃ。公的な予算だけでは限界がある。たぶんどこかの貴族あたりがパトロンになっているんじゃろう」
「だったら、手分けしてリサーチした方がいいんじゃないですか? 最悪トカゲのしっぽ切りで、現場の研究員だけが捕まって終わる気がしますし、他にも信頼できる人に協力を仰いだ方が」
「しかし魔獣は危険じゃ。根回しなどと悠長なことを言っている間に、万が一誰かが襲われるようなことが起きたら――」
その瞬間、俺とビザール先生は思わず顔を見合わせた。
たぶん同じ“事件”をイメージして。
※主人公の台詞を一部修正しました。




