その2 苦しい仮説
俺は手のひらを目の高さまで持ち上げ、ちんまいネズミをまじまじと見つめた。
そして一言。
「何を言ってるんですか先生。コレはただのネズミですよ?」
「何を言っておるんじゃジロー君! コレは立派な魔獣じゃよ! 赤い瞳がその証拠!」
「えッ、まさか……」
だってハツカネズミは目が赤いものだし、そもそも魔獣っぽいニオイも全然しないし……。
だけど、そう言われてみると確かに魔力を感じる気が……。
俺はあらためてネズミをジーッと観察してみる。今度は『お前何者?』とテレパシーを飛ばす感じで。
すると。
『スキデス』
「うぉッ!」
テレパシーの返事きた!
しかもいきなり好きって言われた! お前はペルルか!
『待て待て待て、つーかお前、本当に魔獣なのか?』
『ハイ、ソウデス』
『じゃあ、なんか魔法とか使えんの?』
『ケッカイカラ、ニゲルコトガデキマス』
『他には?』
『ケッカイニ、カクレルコトガデキマス』
『人を攻撃したりとかは?』
『……スコシ、カジレマス』
『……分かった、ありがとう』
なるほど、RPGでときどき見かける、逃げ足だけは速いモンスターか。『ニゲネズミ』とでも名づけるか。
なんて、のんきなことを考えている場合じゃなかった。
常に穏やかな笑みを湛えていたビザール先生が、苦しげに眉根を寄せて唸り声をあげる。そして何かを決意したかのように立ち上がり、法衣の上に黒いローブを羽織る。
「ジロー君、ワシは大変なことに気づいてしまった。今から『地下』へ行ってくる」
「地下って、人工魔石を造ってるっていう?」
「いや、工場とは別の施設じゃ。ごく少数の研究員により、魔石の合成実験が行われておる。しかしワシの立場をもってしても、すんなり乗り込めるかどうか……本来なら許可が下りるまで一月は待たなければならんところじゃが、そんな悠長なことをしていては証拠を隠滅されてしまうかもしれん。やはりここは強行突破を……」
「ちょっと待ってください、なんかヤバい感じがします。一旦お茶でも飲んで落ちつきましょう。俺やりますんで先生は座っててください」
冷静な第三者である俺のアドバイスに、ビザール先生も多少落ちつきを取り戻したようだ。切羽詰まった雰囲気が少しだけ和らぎ、代わりに重たいため息が漏れる。
俺はネズミをブレザーのポケットに隠して、フロアに備えつけの給湯スペースへ。
給湯といっても、日本のように水道があるわけじゃない。井戸も引かれていないし竈も無い。ただ食器やティーセットが並んでいるだけ。
全てを補うのが『魔石』だ。
籐カゴの中にうず高く積まれた魔石の中から、爪の先ほどの小さな欠片を選ぶ。それを右手で握り締め、左手には茶葉を入れたティーポットを持つ。そして『お湯』がその中に溜まるのをイメージし――パキンと微かな音がして魔石が砕けたとき、俺の願いは実現している。
その間、僅か十秒といったところか。
「魔石ってホント便利だよなぁ……っていうかこの学校、マジで贅沢だよな」
ポットの中の茶葉を蒸らしつつ、俺はあらためて考える。
魔石の主な用途は魔力の増幅だ。魔法騎士ならば、魔石の組み込まれた杖を必ず一本は持っている。
一般の人にとっても魔石は貴重なエネルギー源。特に無能者にとっては、魔力代わりになる強い味方だ。
そして魔石には『天然』と『人工』の二種類がある。
天然魔石は、自然発生した魔獣が肉体を失うときにドロップする。だから高価だしなかなか手に入らない。
人工魔石は、安価な分もろくて効果が弱い。地球で例えるなら乾電池といったところか。
もちろん安いとはいっても、庶民には気軽に手が出せない値段だ。こうしてお湯を沸かしたり、ましてや“掃除”に使うなんて、魔石の製造拠点であるこの学園ならではだろう。
しかし、大きな力と利益を生み出す魔石の存在は、清廉な神官たちの心を蝕む『諸刃の剣』なのかもしれない……。
そんなことを考えかけ、俺はぶるぶると頭を振った。勝手な先入観を振り払い、気持ちをクリアにしてから先生の元へ戻る。
「先生、お茶どうぞ」
「おお、ありがとう」
穏やかな笑みを取り戻したビザール先生は、美味しそうにお茶を飲み干した後、ポツポツと語り出した。
「今から話すことは、くれぐれも他言無用でお願いしたいのじゃが……実は最近、生徒たちの間に奇妙な噂が流れておってな。それはこの学園内で『魔獣』を目撃したというものじゃ。ほら話だと笑い飛ばしておったが、地下研究所ならばあり得るかもしれん。怪しい物を隠すにはうってつけの場所じゃからな。狂った研究員が、密かに魔獣を運び込んだに違いない」
「えっと、魔獣を運び込むって、いったい何のために」
「より高品質な人工魔石――“合成魔石”を開発するためじゃ。そもそもこの研究は『緋水晶の加工には限界がある』と主張する一部の研究者によって、半ば強引に始められた。その頃からワシは、行きすぎではないかと懸念していたのじゃが……彼らは天然魔石の分析では飽き足らず、本物の魔獣にまで手を伸ばしたのじゃろう」
「でも魔獣って、結界に弾かれるんですよね? どうやって運び込んだんですか?」
「う……それは」
言葉に詰まり、頭を抱えて苦悩するビザール先生。
俺は当事者であるネズミに「どうやってこの中に入ったんだ?」と問いかけてみた。しかしネズミは『ワカリマセン』と尻尾を横に振るばかり。
こんなときはブレインストーミング。俺は心に浮かんだことをそのまま声にしてみる。
「そもそも魔獣を人の手で運ぶって時点で無茶ですよ。うかつに近づけばこっちの命が危ういです。俺も以前、魔獣を操れるんじゃないかってうちの学部長に言われて、生け捕りにしようとしたことがあったんですけど、ヤツらものすごく凶暴で、そんな余裕全然なくて、結局すぐ倒して“魔石”にしちゃいましたし」
「だが、今ジロー君はその手に魔獣を乗せておる。それが動かぬ証拠ではないか!」
「うッ……確かに」
形勢逆転。
ビザール先生に突きつけられた矛盾は、まるでミステリのようだ。
結界に守られた『密室』に、魔獣が入りこむ。ではいったいどうやって?
「例えば魔獣を倒したとき、肉体が消滅して魔石をドロップするまで少し時間差がありますよね。その魔石になりかけの魔獣を氷漬けかなんかにして、学園内に運び込んでから治癒する……って方法はどうでしょう」
「うーむ……分からん。ワシにとって魔獣の生態は専門外じゃ。しかしそれ以前に、魔獣を治癒するなど聞いたこともない。人間の持つ魔力は、魔獣にとっては苦痛を与えるものでしかないはず……いや、無能者ならば可能なのか? ワシは把握しておらんが、そのような“神力”を持つ者が存在するという仮説は立てられなくもない……」
「いや、その仮説はちょっと苦しい気がしますよ。相手が聖獣ならまだしも、魔獣はさすがに無理です。あんな獰猛な生き物を半殺しにして、傷を治して、ましてや自分を襲わないように都合良くコントロールするなんて、できるわけがない」
「だが、今ジロー君はその手で魔獣を操っておる。それが動かぬ証拠ではないか!」
「うッ……確かに」
さっきと全く同じ切り返しに、思考停止させられる。
俺は手のひらに乗せたネズミに、直球な質問をぶつけてみた。
『なんでお前、俺の言うこときいてくれんだ?』
『スキダカラデス』
『……分かった、ありがとう』
ひとまずネズミを床に戻そうとすると、「キキッ」と鳴いてブレザーのポケットへ逃げてしまった。どうやら本気で懐かれてしまったらしい。
俺は温くなったお茶で喉を潤し、再び窓を開け放った。流れ込んでくる新鮮な空気をめいっぱい吸い込んで、気分をリフレッシュさせる。
――なるべく頭を柔らかくして、まずは目の前の事実を受け入れよう。
犯人は何らかの方法で魔獣を校内に持ち込んだ。そして都合良くコントロールもできている。
つまり、そんな恐ろしい“神力”を持つヤツがいるってことで……。
……。
……。
まさか、ニコポナデポ……?
※誤字修正しました。
※主人公のモノローグを一部修正しました。




