その7 花嫁探しの裏事情
「え、アレクの魔力って……」
「ペルル様、いったい何をおっしゃって……」
百パーセント騙されていたアンドレとアンジュが、ペルルを見つめたまま彫像のごとくフリーズする。
しかし猫被りが板についている皇子は、ピクッと片眉を動かすのみ。どうやらシラを切り通すつもりのようだ。
そんなぎくしゃくした雰囲気を、ペルル以上に天然キャラなクレールがぶち壊す。
「だがペルルは、皇子が魔獣に襲われているのを助けたのだろう? もし皇子にペルルほどの魔力があるのなら、そこらの魔獣など瞬殺しているはずではないか?」
「でもあのときは凶雲が出てたから。あんな日に外を出歩くなんて、どう考えても自殺行為だわ」
己のことは棚の上にあげ、珍しく常識的なことを語るペルル。
全員の視線が、今度は皇子に集中する。
三秒後、皇子は「参った」と言うように両手を上げてみせた。そして、アンドレの淹れてくれたハーブティを優雅に飲み干して。
「確かに凶雲の件は、僕にとっても想定外だった。ただ僕も焦っていたからね。宝物殿へ向かうのは、本来であれば第一皇子である兄上の役目だったはずが、急に体調を崩されて僕が代役になったんだ」
「そう、アナタお兄さんに舐められてるのね。あの護衛たちも、アナタのこと守る気なんてちっとも無さそうだし、油断してるとホントに死んじゃうわよ」
ビキッ!
今度は皇子も含め、全員が固まった。
そしてクレールにより、さらなる爆弾が投下される。
「……そうか。皇子も苦労しているのだな。ひとまず料理長は代えた方がいいぞ。この肉にまぶすための調味料に毒物が仕込まれていたからな。北方の香辛料は舌を痺れさせるし、上手くごまかせると考えたのだろう」
……マジかよ。
俺は取り皿へ乗せた自分の肉をジッと見つめた。そしてクレールの手元にある、小ぶりなガラス瓶を見やる。その中には、胡椒っぽい黒い粒が大量に詰まったままだ。
その肉をもりもり食べていたペルルも、そのときばかりは怒りに肩を震わせて。
「ひどいわ! こんなの絶対許せない!」
さすがは熱心な女神信者だ。他人の悪意にはことさら厳しい。
と思いきや。
「このお肉、一味足りないと思ったらそんな理由だったなんて! これはお肉に対する冒涜よ!」
……いや、まずは人命を優先しよう、ペルル。
もしクレールが毒見してくれなかったら、俺たち全員死んでたかもしれないし。
つーか、その前に俺たちと合流しなきゃ皇子が死んでたかも……。
ぐわり。
突然膨れ上がった魔力の殺気とともに、皇子が地を這うような低い声で語った。
「申し訳なかった。政治的な思惑に巻き込み、皆を命の危険に晒すとは……この借りは必ず返そう」
真摯に頭を下げる皇子の身体からは、隠しきれない怒りが魔力のオーラになって溢れ出す。もしニンジャが傍にいたら、慌てて飛び出すほどの殺気だ。
全員がビビってフリーズする中、なんら動じていないのはペルルのみ。ぴょんっと跳ね起きるや、のんきにコバエを追い払い始める。
「アレク……貴方は本当に、魔力を隠していたのか」
茫然としながらもツッコミを入れるアンドレに、皇子は皮肉げな笑みを返した。波がかった黒髪を乱暴にかきあげ、漆黒の瞳を不敵に煌めかせて。
「僕は生まれつき命を狙われやすい立場でね。『無能者』のフリでもしなければ、あの王宮では生きていけなかったんだよ」
それから皇子は、「他の人には内緒だよ」と前置きし、事情を知らない俺たちに秘密を打ち明けてくれた。
皇子が命を狙われる原因は、母親の地位が低かったことにある。
王宮で侍女をしていた下級貴族の娘から生まれた皇子は、あたかも『無能者』のように見目麗しく、母子ともども皇帝陛下の寵愛を受けていた。
しかし、正妃たちの激しい嫉妬を受けた母親は、突然失踪してしまった。もちろん自ら逃げたのか、何者かに攫われたのかは分からない。
結果、王宮で独りぼっちになった皇子は『無能者』を演じることにした。自分を害する者は女神に厭われると思わせるために。
そのとき、皇子はわずか三歳。
まずは自分の魔力を外へ漏らさないよう、体内に封じ込める修行を重ねた。そして近衛兵に混じって剣を学び、力をつけた後は『うつけキャラ』へとチェンジ。庶民に変装し、お忍びという名のプチ家出を繰り返した。
十代半ばになると、見識を深めるという名目で近隣諸国を漫遊。長く敵対している北の隣国へ足を踏み入れたこともあるという。
それらの行動の集大成が、『花嫁探し』なわけだが。
「僕はずっと好き勝手に生きてきたから、『自分の妻は自分で見つける』と言っても、別に反対されたりはしなかった。できれば一緒に世界を旅してくれるような、面白い子と出会えたらいいなと思ってた……いや、こんな僕のことを叱ってくれるような、賢くて真面目な子でもいい。逆に僕が叱りたくなるような、天然で可愛い子もいいなぁ……」
と、どこかの誰かを彷彿とさせるような“理想”を並べた後、皇子は深いため息を吐いて。
「なのに皇帝陛下が、今さら僕に期待をし始めたんだよ。僕は皇位なんて面倒だと思っているけれど、とにかく国民には人気があるからね。ソレイユ皇帝の“直系”と競わせるにはちょうどいいと思われたんだろう」
「――ちょっと待て、競わせるとはどういう意味だ? 次の皇帝がソレイユ朝から出るのは両朝合意で決められたこと。その合意があったからこそ、我がイヴェール家も膝を折ったのだぞ!」
どこまでも真っ直ぐなクレールの視線が、皇子を射抜く。
対する皇子の瞳は、新鮮な驚きに満ちていた。『まさか、本当に知らないのか?』と。
事情を知る俺とアンジュ、アンドレの三人は、そっと目配せしあう。
『どうする?』
『どうします?』
『どうしよう?』
落としどころの見えない無言のキャッチボールが続く間、せっせとコバエを追い払っていたペルルが、シュタタッと戻ってきて。
「あーお腹減った! ねぇアンジュ、こっちのお弁当も開けていい? クレールも食べるよね?」
「あの、ペルル様、今少々真面目な話をしておりまして……この国の未来がかかっているような……」
「そんなのどうでもいいわ。次の王様になるのはジローだから」
バシャリ。
熱くなりかけていた政治トークに、絶妙な感じの冷水が浴びせかけられた。
緊張が緩んだのか、皇子とクレールが同じタイミングでため息を吐く。アンドレとアンジュは苦笑い。
そして俺は。
「ったく、めんどくせーな。いっそ民主主義の議員内閣制にでもしちまえよ」
「なんだそれは?」
ポロリと漏らした本音に、未来の政治家であるアンドレと、未来の王様になるかもしれない皇子が食いついた。
男三人による暑苦しい政治トークが続く中、女子三人は「やっぱりミストラル家の料理の方が美味しいねー」とか言いながら、ガールズトークに花を咲かせていた。
◆
「ジロー君、ちょっとお手洗いに付き合ってくれないか?」
屋上から撤収するタイミングで、皇子が声をかけてきた。
思わぬご指名に、俺は一瞬躊躇する。
目の前には、大荷物を抱えているアンドレと、だいぶ打ち解けたものの完全には警戒を解いていない女子たち。主の命令に忠実なニンジャは、まだ教室で待機しているはず。
確かに手が空いているのは俺だけで、トイレに案内するくらい大した手間じゃない。
なのに……なんだか嫌な予感がした。また面倒なことに巻き込まれるような。
チラリ、と斜め下を見やる。右腕に絡みついていたペルルと視線が交わる。
ペルルはビー玉みたいに真ん丸い瞳で俺を見つめた後、何も言わずにスッと離れた。そして当たり前のようにアンジュとクレールにしがみつく。てっきり「イヤ!」とわがままを言うかと思ったのに。
ペルルはときどきこういう行動を取る。さりげなく俺の背中を押してくる……。
俺は迷いを振り切り、皇子に頷いてみせた。
「――分かりました、行きましょう」




