その6 踏まれた地雷
翌日も、皇子は朝一番で教室にやってきた。
俺はニンジャたちの不気味な視線を感じつつも、何食わぬ顔で皇子に接近。「授業にはあまり口を出さないで欲しい」と頼んでみる。
皇子は気を悪くするような素振りも見せず、にこやかに承諾。教室の後ろの壁に寄りかかる授業参観スタイルを貫いた。
結果、昨日はキャンキャンうるさかったペルルも、一人で「ぐぬぬぬぬ……」と唸るばかりになり、教師陣もクラスメイトたちもホッと一安心。
そうして何事もなく午前中の授業が終わった直後、俺は後ろからポンと肩を叩かれた。
このタイミングで俺の背後に立てる人物は、一人しかいない。
「ジロー君、今日は僕と一緒に昼食をとらないか? 五人前ほどの重箱を用意したんだが」
無駄にキラキラした皇子スマイルを向けられ、俺はげんなり。
この誘いは下心ミエミエの作戦だ。将を射んと欲すれば先ず馬を射よ……コーンの俺を握れば、必ず三つのアイスが付いてくる、と。
「いえ、遠慮しときます。昼飯はアンドレに作ってもらってますし」
「ミストラル家より、我がリュンヌ家の料理長の方が腕が立つはずだよ。なんせ宮廷料理人だからね」
ぴくん。
ペルルの肩が跳ね上がった。
「それに今日は、北方の珍しい食材を用意した。イヴェール家が『霊薬』として重宝していた、ピリッと痺れる香辛料だ」
ぴくん。
クレールの肩が跳ね上がった。
まあ二人とも獣系だし、食べ物には釣られやすい。
しかし自分ちの料理長を貶められたアンジュが黙っちゃいない……と思いきや。
「重箱を包んだ風呂敷は、先日我が家の倉庫で見つけたのだが、たいそう古いものだったな……三種類の古代語と思わしき文字が記されていた」
ぴくん。
アンジュの肩が跳ね上がった。
……さすが皇子、たった一日で女子たちの心を掴む魔法をマスターするとは。
三人の女子は、無言のままプルプルと肩を震わせる。昨日考えた『皇子追い出し作戦』との間で葛藤しているのだろう。
その作戦とは――何を言われてもサラッとスルー。
これを考えたのは、もちろんアンジュだ。
「皇子の言動は、幼い男児が好きな女の子をいじめる心理に近い気がします。いちいち反応するから、向こうも面白がって絡んでくるのです。……つまりこちらが大人の対応をすれば、皇子も興を削がれるはず。そうしているうちに公務が忙しくなって、この学校にも来られなくなるでしょう」
話を小耳に挟んだ俺も、なるほどと納得してしまった。確かに爽やか且つ冷酷なプランだな、と。
しかし今回は、皇子の方が一枚上手だったようだ。
「分かりました、今日は皆で一緒にお昼を食べましょう。皆もいいよな?」
「美味しいものに罪はないもんね……」
「霊薬のためならば仕方あるまい……」
「貴重な研究資料のためでしたら……」
餌をぶら下げて貰えなかったアンドレは、一人渋い顔をしたものの、文句を言わず全ての荷物を抱えてくれた。
俺は「ぐるるるるる……」と警戒しまくるペルルを右腕にぶら下げて歩く。アンジュとクレールも、今日は俺とペルルにぴったり寄り添っている。
皇子はニンジャたちに「教室で待機せよ」と命じた後、重たげな風呂敷包みを小脇に抱え、優雅な足取りで付いてくる。
そうして、恐ろしく危険な六人組で校内を練り歩き、無事屋上へ到達。
広げた絨毯の中央に、まず皇子の荷物が置かれた。
純白の布に包まれた、四十センチ四方の重箱を食い入るように見つめるメンバー。あたかも国宝が鎮座しているかのように厳かな雰囲気だ。
「では僭越ながら、わたくしが包みを開けせていただきます」
欲望を抑えきれなくなったアンジュが、しゅるんと結び目を解く。
両手をワキワキさせていたペルルが、すかさず弁当箱の蓋をとる。
その瞬間、箸に魔力ブーストをかけたクレールが、ガガガッと一口ずつを取り皿へ。
見事な連携プレーをみせる三人の奥では、せっせとお茶を淹れるアンドレ。
そんな彼らを、爽やかな笑みとともに見守る皇子。
当然俺の視線は、アンジュの方へ。
「そこまで古いものには見えないな。むしろ織り立てのシルクみたいだ」
「ええ、よほど保存状態が良かったのでしょう」
神国学の授業のときのように、真剣な眼差しで布を手元へと引き寄せるアンジュ。
すると、弁当箱の底に隠れていた部分から、薄灰色の『古代語』が現れた。
「これはもしや、初代皇帝直筆の『筆文字』……失われた勇者時代の……?」
アンジュの呟きが、俺の期待感を煽りまくる。
ドキドキしながらそこを覗き込むと――書道を習っていた人物の流麗な文字で、こんな一文が記されていた。
『魔法による防汚加工のテスト布』
「テスト……」
「テスト……」
同時にその呪文を読み上げ、俺たちははぁっとため息を吐いた。
アンジュは恍惚とした甘い吐息だけど、俺はちょっとがっかり。もう少し情緒のある文言を期待していたのに、かなりクールな一文だ。
でも、いくつかの収穫はあった。
確かにこの風呂敷は、俺たちのローブの素材に近い。初代皇帝自身がこのマジックアイテムを開発したとしたら、一つの歴史的発見になりそうだ。
そして記された文章は、戦国時代とかじゃなく現代のもの。
つまり召喚や転生に時間軸は関係なく、俺と同じ時代に生きていた日本人が、千年以上前に飛ばされたということになる。
知識欲を刺激された俺がウキウキと仮説検証する間、アンジュは風呂敷を丁寧に畳みながら、ちょっとツンな感じで皇子に問いかけた。
「もしよろしければ、この布を譲ってくださいませんか? これほどまでに価値あるものを、単なる風呂敷にしてしまうなど、貴方の品性を疑わざるをえません。もちろん貴方に借りを作るつもりは一切ありませんので、早急に代わりの品を見繕いましょう」
「もちろん譲っても構わないよ。我が家には同じ布がもう二枚あるからね。あと礼をするというなら、僕を神官学校に連れて行ってくれないかな。ついでに案内係をしてくれるとありがたい」
ニコッ。
眩いばかりの皇子のスマイルだが、ニコポの魔法は効かなかったようだ。アンジュは形良い眉を寄せ「ぐむむむむむ……」と小さな唸り声をあげている。
すると、巨大な肉塊と格闘していたペルルが「私も行きたい!」とカットイン。毒見を終えたクレールも、仲間になりたそうにこっちを見ている。
そして、このメンバーで唯一の常識人キャラであるアンドレが、皆にお茶を配りながら一言。
「なぜ我が妹に頼むのです? うちの学校と同じように『視察』と言えばいいのでは?」
「それは、アンジュとお忍びデートがしたいからさ。神官学校はなかなか雰囲気が良いと聞いているからね」
どう考えても嘘臭かった。
基本騙されやすいアンドレも、今回ばかりはそれを察したようだ。凛々しい眉をクッと上げて、アンジュとよく似たエメラルドの瞳で皇子を睨みつける。
「神殿が視察の許可を出さなかったからでしょう。貴方は『リュンヌ派』として彼らを引っかき回したいのかもしれませんが……ただでさえ今は微妙な時期なんです。政治的な思惑に妹を巻き込むのはやめていただきたい」
穏やかな秋の空に、突然の暗雲。
ピリピリとした空気に包まれる屋上に、ペルルがもしゃもしゃと肉を頬張る音だけが響く。
なんとなく、全員がその姿に注目してしまう。
もしゃもしゃもしゃもしゃ……ごくん。
リスの頬袋みたいなほっぺがしゅるんとすぼまり、ペルルは満足げに口元を拭ってから、一言。
「なんで皇子が見学しちゃいけないの? やっぱり腕輪がないとダメなの?」
どこまでも純粋なブルーの瞳を向けられたアンドレが、若干キョドりながら返す。
「えぇと、なぜそこで、腕輪の話が出てくるんだ?」
「だって皇子、私やクレールと同じくらい魔力あるし。たぶん普通の腕輪じゃ壊れちゃうよ?」
……思いっ切り地雷を踏んだ。




