その5 ペルルの告白
日が暮れた後の王都は、なかなか幻想的な雰囲気だ。
ひんやりとした夜風が吹き抜け、街路樹が葉ずれの音を立てる石畳の道。宿屋を兼ねる飲食店の軒先には、赤提灯ならぬランタンが灯され、都会的な街並みを温かみのある光景に変える。
しかし、通り過ぎる人は皆、周囲を警戒しながら足早に去って行く。
もし魔獣さえいなければ、人々は笑顔で夜の散歩を楽しむことだろう。
……まあ、『聖獣』のペルルにとっては、魔獣が出ようが一切関係ない。
あちこち動きまわって危なっかしいペルルの手を引きながら歩くこと五分。家のドアを開けると、いつも通りクールなお手伝いさんが待っていた。
「お帰りなさいませ、ジロー様、ペルル様」
「ただいまー。お腹減ったよ!」
「温かい食事とお風呂の準備はできております。ではこれで」
愛想笑いの一つもせず、お手伝いさんはサクッと帰って行った。
今までは朝晩の二回来て、朝食、弁当、夜食と三食用意してくれていたのが、ペルルが転がり込んできてからは夜食分だけになった。
ただ、仕事が楽になったかといえば……微妙。食事のボリュームが増えたし、ペルルは散らかすのが得意だから掃除も大変になった。
とはいえ、それくらいなら俺とペルルにもできることだ。
今までは無能者の俺が一人暮らしだったから仕事を頼んでいたけれど、火も水も出せるペルルと一緒ならお手伝いさんを呼ぶ必要は無い。
余計なお金を使わせるのは心苦しいし、いっそ解約して欲しいと伝えてみたものの、学部長は頑として譲らなかった。
「三年契約しちゃったから。それに、君たちには学業に専念してもらいたいし」
そう説明されたときは、すんなり納得したけれど……本当はそうじゃない気がする。
あのお手伝いさんは、俺たちの暮らしぶりを逐一『報告』しているのかも。
まあ報告されて困るようなこともないし、別にいいけど。俺がペルルに手を出すなんてあり得ないし、ベッドの下に薄い本を隠すようなこともない……。
そこまで考えて、ハタと気づいた。
「なんか俺、こっちの世界来てから欲が薄いっつーか、枯れてる気がする。これだけ美少女に囲まれてるのに、多少ドキッとするくらいでムラッと来ないのは、さすがに青少年として問題があるんじゃ……」
「ジロー、お風呂出たよー」
俺が斜め下を見ながらぶつぶつ独りごちていると、早風呂なペルルが湯上がりホカホカの姿で現れた。寝間着がわりの木綿のTシャツに半パン、首にはタオルを引っ掛けて。
他人が見れば、たぶんムラッとするような濡れ髪の美少女だというのに、俺は別の方に気持ちが行ってしまう。
いわゆる『おかん』な方向に。
「ほら、ちゃんと髪を拭けって。床にポタポタ垂らしてる」
「じゃあ外行ってくるね。風の魔法で一気に乾かしちゃう」
「やめとけ。田舎ならともかく、隣近所の家に暴風被害が出る」
「むぅ……都会って面倒くさいなぁ」
唇を尖らせるばかりで濡れ髪を放置するペルル。本当にコイツはわがままな“お姫様”だ。
俺はため息を吐きつつ、ペルルに指示した。
「しょうがねぇな、ほら、拭いてやるからここに座れ」
「うん」
椅子にちょこんと腰かけたペルルの背後に立ち、美容師さんみたいに髪をタオルで挟んでトントンと叩いてやる。細くて絡まりやすい銀糸の髪を手櫛で整えながら。
するとペルルは、ほぅっと吐息を漏らして。
「……やっぱり都会っていいなぁ」
「何だよ、宗旨替えか?」
「だってジローと一緒に暮らせるし、口うるさいお母さんもいないし……それに面白いことがいっぱいあるし」
「ふーん、何が一番面白い?」
「景色とか食べ物も良いけど、やっぱり人かな。魔法学校の人たちって、村の皆とは全然違うわ。特にクレールは本当にすごい」
「そうなのか?」
基本的に唯我独尊なペルルが、こんな風に他人を褒めるなんて珍しい。
さらりと続きを促してやると、ペルルは喉を撫でられた仔猫のように上機嫌で答えた。
「今日の午後、一緒に魔法で遊んだんだけどね、クレールは私と同じくらい魔力があるみたい。それに、クレールの魔力ってすごくキラキラしてて心地いいの。女神様に愛されてるんだなぁって感じ」
「そっか」
……クレールの魔力がすごいのは、きっと彼女が『王族』だからだろう。
そう言いたかったけれど、俺は我慢した。
アンジュから「他言無用」と言われた訳じゃないのに、どうしても躊躇してしまう。
もちろんペルルのことは信頼してるし、話しても問題ないとは思う。相手が王族だろうが態度を変えたりしないのは皇子の件で実証済みだし。
それでも、知らない方がいいような気がする。知ってしまえば、無垢な子どものままではいられなくなるから。
俺だってそうだ。何も知らなければクレールのことを――
「ジローは、クレールのこと好き?」
ビシッ。
と、一瞬フリーズしかけたものの、すかさず文脈を読んでナチュラルに切り返す。
「お、おう、好きだぞ。クレールの魔法は綺麗だしな」
「もー、そうじゃないよ。ジローは鈍感なんだから。私、クレールならいいよ? あとアンジュも」
「何の話だ?」
「ジローの結婚相手」
ボタッ。
動揺のあまり、床にタオルを落としてしまった。そいつをバサバサと振って風を起こしながら、自分の頭にも冷風を送り込む。
……ダメだ、やっぱり俺には無理だ。
いくら精神年齢二倍とはいえ、俺は本物の三十歳じゃない。子ども時代を二度繰り返しただけ。
だから恋をしたこともないし、『結婚』だなんて夢のまた夢っていうか、そもそも枯れてるっていうか……。
俺が斜め下を見つめながら、悶々と葛藤していると。
「あのね、ジロー。本当は今日クレールと決闘したんだ」
「決闘?」
「クレールに『ジローのこと好き?』って訊いたら、いきなり泣いちゃってさー。『本当は好きだけど、アンジュと決闘で負けたから身を引いた』っていうの。面白いよね」
……マジすか。
いや、ペルルの言うことだし確実に誇張されてるとは思うけど、でもまるっきり嘘でもないだろうし、でもクレールの『好き』は友情と同義語だから俺の考える『好き』とは違うっつーか……。
という俺の葛藤など完全にスルーし、ペルルは楽しそうに語り出す。
「アンジュと決闘したときの話聞いたら、私もなんかウズウズしちゃって。『私とも決闘して、ジローの嫁の座を賭ける!』って言ったの。そしたらやる気になってくれたんだけど、ホントに強くてびっくりしちゃった。いきなり地面から尖った氷がにょきにょき生えて、危うくグサグサに刺されちゃうとこだったよ。まあ空飛んで逃げたけどね」
「そ、そうか……すげーな」
背筋が凍るような恐ろしい絵が浮かんだおかげで、沸騰しかけていた俺の脳みそも一気に氷温へ。
「その後、河原に座ってクレールと話してたら、『わたしはジローの彼女にも嫁にもなれない』ってまた泣いちゃって。なんか可愛かったし、私つい言っちゃったんだ。『そんなにジローが好きなら結婚してもいいよ』って」
「……ちょっと待て、何でそーなる」
「だってジローは王様になるから、奥さんいっぱいいても平気でしょ? 私が第一夫人で、アンジュが二番目で、クレールが三番目。そう言ったらクレールもすごい喜んでたよ。だから卒業したら四人で一緒に暮らそうね」
「あのな、ペルル」
「そーだ、あともう一人、あの子の部屋も空けとかなきゃ。第四夫人用に」
「あの子?」
「村の寺子屋で、ジローが一番可愛がってたちっちゃい女の子。『君が大人になったら迎えに来るよ、キリッ!』とかプロポーズしてたし」
「いや、それプロポーズじゃねーし」
「たぶんその頃ジローは今よりもっと枯れちゃってるから、若い子が来れば良い刺激に」
「俺風呂入ってくるわ。お前は先に寝とけよ。あと俺のベッドで寝てたら容赦なく叩き出す」
俺はペルルの髪をグチャグチャにかき回し、もつれまくりの毛玉状態にしてやった。
※一部単語を修正しました。




