その3 ニコポナデポ?
美術館のような広いホールを抜けた先、花が咲き乱れる中庭に忽然と現れた、巨大な水晶玉を彷彿とさせるガラス張りのドーム。そこがアンジュの目的地だった。
自動ドアのように音もなく開かれた扉の中には、清涼な空気が満ちていた。
直系二十メートルほどの円形スペースの中央に、古代魔法と思われる複雑な魔法式が刻まれた祭壇が置かれ、その周囲に見目麗しい若者たち約二十名が集結。
彼らは何やら興奮した様子で、奇妙な呪文を口ずさんでいた。
「ニコポナデポ」
「ニコポナデポ」
「ニコポナデポ」
生徒たちと一緒になって呪文を詠唱していた、頭がつるりと輝く白髭のおじいちゃん先生が、アンジュを見つけて嬉しそうに声をあげる。
「おお、アンジュ君じゃないか! もうここには来てくれないかと思ったぞ!」
「いいえ、いくら『暴風の破壊者』という二つ名で疎んじられようとも、この授業だけは絶対外せませんわ! どうやら新たな聖遺物を得られたようですわねッ?」
エメラルドの瞳をキラキラさせたアンジュが、いつになくハイテンションで叫んだ。
そしてふわふわした長い金髪を革ひもでひとくくりに結わえた後、俺の手をむんずと掴み、人垣を強引にかきわけて祭壇へと突き進む。
その暴風に乗っかった俺は、すんなりと先生の前へ。
「ビザール先生、こちらジロー様です。わたくしの彼氏……いえ、主?」
「ただの友人です。今日は魔法学校から見学に伺いました。よろしくお願いします」
俺が礼儀正しく頭を下げると、先生はいかにも好々爺然とした笑みを浮かべて。
「ほほぅ……あの狸めがワシにさんざん自慢しおった“秘蔵っ子”じゃな? 『絶対に神官学校の土は踏ません!』と豪語しておったが……まあよかろう、ここに座りなさい」
何やら引っかかる前置きをしつつ、ビザール先生は祭壇の奥にある丸椅子に腰かけた。そしてこの授業の内容をざっくりと教えてくれる。
「ワシの右手は『神の国』と繋がっておるのじゃ。毎朝、夜が明ける瞬間にこの祭壇の前で女神に祈りを捧げておると、右手の手首から先だけが神の国へ飛び、何かを掴み取ることができる……まあ、単なる石ころを掴むばかりじゃが、数年に一度ほど価値ある宝を手に入れられる。それらの宝は『聖遺物』と呼ばれ、神の国を知るための貴重な研究資料になるのじゃ」
「へー、面白い能力ですね」
一日一回限定ガチャで、レアアイテムが出るみたいなもんか。
と、元ゲームっ子の俺が独自の解釈をしていると、ビザール先生はふさふさした眉をぴくんと動かして。
「ふむ……ジロー君はなかなか大物じゃのう。ちっとも驚いてくれんとは」
「えっと、先生の力についてですか? まあ俺は、この世界ってけっこう何でもアリだと思ってますし、先にアンジュの力も見てるし」
俺自身のハンドパワーもあるし……と、ついカミングアウトしたくなってしまった。
それくらい、俺は目の前の人物に心惹かれていた。ビザール先生の瞳は、俺の魂ごと包み込むような優しさに満ち溢れている。まさしく聖職者といった感じだ。
先生の方も、俺に何かを感じたのだろうか。まるで自分の孫を見るかのように目を細め、柔らかな口調で語り出した。
「ワシやアンジュ君の持つ力――魔力とは質の異なるこの力を、ワシは『神力』と名付けておる」
「神力……ですか。初めて聞きました」
「うむ。世間一般には『女神の加護』やら『奇跡』やらと、得体のしれないもののように呼ばれておるが、無能者ならば誰もが当たり前に持っている力じゃ。この神力の大きな特徴は、『暴力』とは無縁ということじゃな。女神は、人が人を傷つけることを望んでおらん……我ら無能者は女神の声の代弁者であり、平和の象徴でなければならない。ワシはそう思っておる」
「はい、俺もそう思います」
両手をグッと握り締め、俺は力強く頷いた。
ビザール先生の教えは、元日本人である俺の心にスッと沁み渡った。例えそれが耳に心地の良い理想論であっても、俺にとっては確かな羅針盤となる言葉だ。
――このハンドパワーは反則なくらい強力だけど、絶対に悪用したりしない。
あらためて俺は、女神にそんなことを誓った。
「さて、この『神力』じゃが、魔力との相違点は他にもある。魔力は体内に留まり身体能力を向上させるが、神力は頭脳に作用する。よって無能者は知力に長けた者が多くなり――」
と、俺が真面目に授業を受けている間。
アンジュは他の生徒たちとともに、ガラスケースに納められた今回の『聖遺物』をジーッと眺めていた。
そして、やはり興奮を隠しきれないといった感じで、不思議な呪文を呟いた。
「ニコポナデポ……モテ……ニコッ……ポッ……アリエナイ……」
……。
……。
……何となく耳に心地の良いイントネーションのような気がする。
「悪い、俺にもそれ見せて」
嫌な予感に苛まれつつ、人垣を押し退けて覗き込んだガラスケースの中には、ビリッと破られてしわくちゃになった二十センチ弱の紙切れが置かれていた。
そこにはカッチリ印字されたフォントで、見覚えのある文字が。
「――まさしく“ニコポナデポ”ね!」
そう言って友里子は、僕の鼻先に人差し指をびしっと突きつけた。
「何だよ、ニコポナデポって……」
「ニコポナデポっていうのは、高谷君みたいに原因不明でモテる人のことよ。ニコッと笑いかけたり撫でたりするだけで、相手がポッとなる特殊能力なの」
「べ、別に俺は、そんなつもりじゃ」
「だったら何であやちゃんほどの美少女が、高谷君を好きになるのよ? それほど顔が良いわけでもないし、成績はそこそこ、運動はいまいち、優しさだけが取り得なのに……ほんとアリエナイわ!」
……ラノベだった。
ゴシゴシと何度も目をこすって、もう一度じっくり見てみても……やはりラノベだった。他愛もない掛け合いの一シーン。
しかし、俺に与えたショックは計り知れない。
顔面蒼白になる俺のすぐ脇では、アンジュと先生が熱心な考察を始める。
「先生、この紙片の中には三種類の文字が記されていますね。従来の古代語と、より複雑な文字と、よりなだらかな文字と。これらの組み合わせは、初代皇帝が『辞世の句』として東の宝物殿に書き残された一文と良く似ているようですが」
「おお、よくそこに気づいたの、アンジュ君。ワシもそうではないかと睨んでおった。この聖遺物は、初代皇帝が神の国から降りてきたことを証明する鍵になるじゃろう」
「すごいです! 先生のお力、素晴らしいです!」
「しかし記された内容が分からないのでは片手落ちじゃ。この文言の解読は、ワシが生涯を賭けるに値する」
……いや、それする価値ないと思います。
俺はそう言いたかった。
めちゃめちゃ言いたかった。
だけど、もう一人のクールな自分がそれを止めた。今の俺はテンパってる、ここは冷静に考えた方がいいと。
大きく深呼吸し、脳みそに酸素を送り込みながら仮説を立てる。
――この世界は、日本と繋がっている。
しかも初代皇帝は日本人で、召喚されたか、もしくは俺みたいに転生した人物だった。
もしそうだとしたら、科学が魔法に置き換わったような生活スタイルもしっくりくる。文字とか言葉は違うけど、たぶんそれは日本語が小難しくて定着しなかってことで。
それで……俺はいったいどうするべきなんだ?
今すぐこのアホくさいテキストを“古代語”とやらで読み上げて、『ニコポナデポ』の意味を解説して、先生の余生をより有意義なものにしてやるべきなのか?
つーか、この『ニコポナデポ』って、まさしく俺の特殊能力じゃね?
「ぐぬぬぬぬぬ……」
「どうされました、ジロー様?」
「ニコポナデポが俺の……いや、何でもない」
危うく心の声を漏らしかけ、俺はブンブンと首を振る。
するとアンジュは「変なジロー様」と囁いて、クスッと微笑んだ。途端に周囲の学生たちがポッと赤くなる。
……アンジュの笑顔も充分『ニコポ』だな、と言いたかったけれど、ひとまず自重しておいた。
※誤字修正しました。




