その2 外れた推理
「……まさか、それって」
俺の脳裏に、一人の美少女が描かれた。
イヴェールの血を受け継いだ証である、浅黒い肌。
そして艶やかな黒髪に黒い瞳は、『王家』にゆかりのある者の証……。
「じゃあ、ソレイユ朝の後継者は……次の皇帝は、クレールだっていうのか?」
直球過ぎる俺の問いかけに、アンジュは小さく頷いた。桜色の唇は青褪め、すっかり色を無くしている。
「昨夜そのことを聞かされたとき、わたくしはどこか納得いたしました。『イヴェール』などという厄介な存在を、父があえて魔法学校で匿うようなことを――いえ、飼い殺しにするような真似をしていたことも」
飼い殺し。
クレールの立場を表すのに、それほど的確な言葉はないだろう。
宰相はクレールを魔法学校という檻に閉じ込めていた。そして理不尽なルールで手足を縛りつけた。クレールの心を弱らせ、傀儡の皇帝にするために。
そのことを、クレール本人は知らない……。
俺が呆然とする間にも、アンジュの説明は続く。
「父が目を光らせている限り、リュンヌ皇帝はクレール様に直接手を出せません。そのため、国内にリュンヌ派の市民を増やそうと躍起になっています。瓦版を使い、皇子たちを使って。アレクサンドル皇子はその筆頭です。病弱な第一皇子に変わり、彼が皇位を継承するという説が貴族たちの間では定説になっております。ただし、そのためには邪魔なものが二つ」
「二つ?」
「一つは当然クレール様、そしてもう一つは神殿です」
俺はあらためて、窓の向こうを見やった。
血なまぐさい話にまったくそぐわない、光と緑に溢れる楽園。ここに暮らす人たちは、全員が熱心な女神信徒だ。
彼らは正義感が強く、嘘や偽りを厭う。
「つまり神殿は、女神の名において誓った約束を――『両朝合意』を破ろうとしているリュンヌ皇帝を許さないってことか? だからクレール側に付くと?」
「はい、その通りです。両朝合意が成されるまでは、神殿も不干渉という立ち位置でしたが……ここに来て彼らも危機感を募らせてきたようです。初代勇者の血筋を守るという建前を掲げて、積極的に政治へ介入しようという動きが出ています」
なるほど、それはクレールにとってデカい支援者だ。
女神の教えを国内隅々まで広め、各地に立派な教会を建て、そこを孤児院や宿屋として市民にも解放している……それだけの力を持つ組織が、クレールを守ろうとしてくれるならひとまず安心。
と思いかけたものの。
「ですから、本当に焦っているのはリュンヌ皇帝の方なのです」
「どういうことだ?」
「全ては女神の教え通り。善意には善意を、悪意には悪意を返すのがこの国の理。一部の神官はソレイユ皇帝の恨みを晴らすべく、水面下で動き始めているようです」
「……恐ろしい話だな。もしかして、皇子が魔獣に襲われたってのもガチだったのか? 宝物殿へ行くのに、わざと魔獣の出るルートを通らせたとか。そこにたまたまペルルが通りかかって、命の恩人になって、本気で感謝してうちの学校に来て……クレールがいて驚いた、とか?」
「まあ、後半は十中八九『演技』でしょうね。魔獣に襲われ、ペルル様と出会われたところまでは女神の導きだとしても、うちの学校に乗り込んできたのは彼の策略です。クレール様に接近できる好機と考えられたのでしょう」
「じゃあ皇子は、マジでクレールの命を狙ってるってことか……?」
教室で握手を交わした瞬間の、あの怖気が蘇る。
膨大な魔力を完璧に封じ込め、無能者を装った猫被り皇子。もしヤツの狙いがそんなことだったとしたら――
「いえ、違います」
ザバッ。
沸騰しかけた心に、アンジュがほどよい冷水を浴びせかけた。俺はしょぼい推理を棚上げし、アンジュの言葉に耳を傾ける。
「あくまでわたくしの想像ですが……今回、皇子は嘘をついていないと思います。クレール様を殺めてしまうより、生かして伴侶にして、二人の子どもを次期皇帝にする方が合理的ですから。それなら神殿の恨みを買うこともありませんし」
「でも皇子は、本気で『花嫁探し』をしてるようには見えなかったぞ? あんな風にふざけた態度で、ペルルやアンジュにもプロポーズして……」
「それは……わたくしにも計りかねるところはありますが、たぶん“保険”のようなものではないかと。皇子にとって相手は誰でも良いのです。『聖獣』でも『宰相の娘』でも、王の隣に立つのに相応しい肩書きがあるのなら。もちろん王族にとって結婚とは政治の一部ですから、肩書きで相手を選ぶことを責めるつもりはありません……ただわたくしは、そういうやり方ではなく」
と、そこでアンジュは一旦言葉を切った。青白い頬をふわりと赤らめて、軽く咳払いを一つ。
「すみません、話が逸れてしまいました……とにかく、皇子の花嫁候補としましては、クレール様が筆頭にくるはずです」
的確な解説に、俺は頷くしかなかった。
このままソレイユ派とリュンヌ派の対立が深まれば、再び内乱に陥りかねない。でも二人が結ばれれば、国内の情勢は安定するだろう。
何より、クレールは過去の汚名をそそげる。もう茨の道を歩まなくてすむ。
そう思ったのに。
チクン、と胸に棘が刺さった。
「ああ……客観的に見ても悪くない、互いにメリットのあるプランだな」
痛みを押し殺し、俺はあえて明るい声で告げた。しかしアンジュは目を伏せたまま、首を横に振る。
「ですが、物事はそう簡単にはいきません」
「というと?」
「皇子の掲げる“理想”に対しては、賛否両論があるのです。特にイヴェールを弾圧してきたリュンヌ派貴族の動きは素早く……すでに皇子は“傾国”の毒牙にかかったという誹謗中傷も流れ始めています」
「なんだよそれ……皇子がクレールに言い寄ったら、とばっちりでクレールが攻撃されるってことか? ふざけやがって……」
それじゃ『革命』のときと同じだ。
ソレイユ皇帝に反旗を翻す口実として、側近の魔法騎士イヴェールが使われた。彼女は完全にスケープゴートだった。
あの純粋で優しいクレールを、そんな立場に追い込んじゃいけない……。
「彼らもそれだけ焦りを感じているのでしょう。皇子は攻撃されるような隙を見せない方ですから。あと皮肉な話ですが、皇子が『聖獣』の加護を受けたことも大きかったようです。表立って皇子への批判ができなくなったため、矛先がクレール様の方へ」
「ペルルのせいか……まあアイツに罪はないよな」
むしろ思い切り褒めてやるべきかもしれない。
この国のキーマンである皇子が、もし命を落としていたら……泥沼の報復合戦になっていた可能性もある。
つーか……これって既に泥沼じゃね?
「いずれにせよ、ペルル様が傍にいてくださることは非常に心強いです。それにクレール様のことは父が守ると言っていますし、しばらくは平穏に暮らせるでしょう」
「平穏、ね……俺らの心労はデカそうだけどな」
自虐混じりのツッコミに、アンジュは困ったような笑みで応えた。本気でシャレにならないといった感じで。
もし本当にクレールを狙う暗殺者が来たら、そのときはペルルの出番だ。自ずと俺も巻き込まれることになるだろう。
ただ、一番キツイのは俺たちじゃない。国の舵取りを担う宰相と、彼の駒として使われているアンドレとアンジュだ。
はたして宰相は、この泥沼展開にどうやって決着をつけるつもりなのか……。
最も無難なプラン――皇子とクレールの結婚による融和政策を望んでいるのか?
「あ、もしかして皇子がうちの学校に来たのも、宰相の意向だったとか? この際クレールも皇子も全員まとめて守ろうって。ついでに『花嫁探し』にも協力しようと思ったとか」
「いえ、違います」
また推理外れた。一応知力には自信あったのに。
やはり本物の無能者には敵わないのか、それとも俺がアホなだけなのか……。
勝手に凹む俺をよそに、アンジュは淡々と語る。
「皇子が魔法学校に乗り込んできたことは、父にとっても想定外だったようです。彼も彼なりに、この現状を打破すべく動いているのだとは思いますが……過激な行動は周囲にひずみを生みます。特に神殿は警戒を強めていて、今すぐクレール様を神官学校へ『編入』させたい、その準備はすでに整っているからと、父の方へ圧力をかけているようです」
「そのプランも悪くないんじゃないのか? こっちに来れば、クレールの身の安全は確実に保障されるんだし」
「ですが、それではクレール様が神殿の傀儡となってしまいます」
「でも魔法学校にいたって同じだろ? 宰相はクレールを傀儡にしたいんだから。あんな陰険なルールを作って……」
白熱した議論は、いつの間にか俺とアンジュの距離を近づけていた。
吐息がかかるほど近くにアンジュがいる。その形良い眉が苦しげに寄せられ、エメラルドの瞳には薄らと涙が浮かぶ。
クレールを案ずるあまり、つい宰相を――アンジュの父親を責めるようなことを言ってしまった。
バツが悪くなり目を逸らした俺に、アンジュはきっぱりと言い放った。
「もちろん、そのように受け取られても仕方がありません。ただわたくしも兄も、父の想いは理解しているのです。――臣下に護られるだけでは皇帝とは言えない、心から仕えたいと思えるような強い力を見せて欲しい、と」
その言葉で、ようやく俺は納得した。
宰相は、魔法学校という箱庭を使って、クレールの力を試していたのだ。
押しつけられた理不尽な『ルール』に縮こまり、自分を殺してしまうならそれだけの器。
でもクレールは変わった。今やその力の片鱗を見せつつある……。
俺は、確信を持って結論を述べた。
「アンジュは、クレールを『仕えるべき相手』と見極めたから、うちの学校へ来たんだな。昨日クレールと戦って、その実力を知って」
「違います」
「えッ」
ズバリ言い放った答えが外れるのは、かなりショックだ。
俺が「ヘボ探偵……」と凹みまくっていると。
「確かにわたくしは、仕えるべき相手を決めました。でもそれはクレール様ではありません、ジロー様です」
「――俺ッ?」
「一目見たときから、ジロー様は普通の方ではないと思っていたのです。お兄様やわたくしを前にしても、まるで物怖じしない堂々たる態度。クレール様とも運命的に出会われ、すぐさまそのお心を捉え、しかも聖獣のペルル様までもを従える……そんなジロー様にわたくしは付いて行きます。わたくしを魔法学校へ誘ってくださった学部長先生も、ジロー様のことを『勇者』とおっしゃっていましたしね」
あの狸オヤジ……と恨み言をいう気力もなかった。
何だかズシンと肩に重みを感じる。肩っていうか、背中全体に。
これはイヴェールの英霊だけじゃなく、ソレイユ皇帝はじめ歴代の王様たちの亡霊なのか?
平凡な無能者の俺に、この面倒くさい後継者争いを解決しろって……?
「とにかく、わたくしはジロー様に仕えようと決めました。ですから何かご命令があれば遠慮なくおっしゃってください。わたくしもこの学校で長年『間諜』を務めてきましたので、ある程度の隠密行動は可能ですし」
「……またぶっちゃけたなオイ。だからこんなに事情通なのか。あと身のこなしもやたら軽いし」
つい白い目を向けてしまう俺に、アンジュはクスッと笑い返す。
「でも、誤解なさらないでくださいね? わたくしはこの学校が好きなんです。特に『神国学』はとても興味深く……無能者にも拘わらず、女神から不思議な力を授かった方が講師をされていて、毎回素晴らしい奇跡を見せてくださいます。今日もその授業に出たいと思って来たのですが……話が長くなってしまいましたね」
「へー、それ面白そうだな。俺も見学したい」
ようやく血なまぐさい話から脱出できる。
重たすぎる後継者ネタを棚の上にあげ、俺は未知なる学問にガブリと食いついた。
その選択が、俺の運命を変えることになる――




