その1 アンジュの相談
魔法学校に隣接する、皇国唯一の国立神官学校――リュミエール神官学校。
この学校の歴史は古く、千年を超える。
建国者であり『勇者』でもある初代皇帝が、個人的なラボとして開いたのがその始まりとされている。魔法学校の方が「何かあったとき神官たちを護れるように」と後付けで建てられたのだ。
しかし、歴史の古い組織というものは、そうとう頑固だ。
未だに一部の神官たちは、魔法騎士のことを『野蛮な軍人』だと思っているし、魔法騎士は神官のことを『非力な無能者』だと思っている。互いにどこか見下そうとする空気がある。
そうやってけん制し合いながら、国の主導権争いを繰り広げてきた彼らを、『学校』という中立的な施設を建てることでとりなそうとした宰相ミストラル閣下は、さすがの手腕と言えるだろう。
魔法学校の設立から、すでに半世紀。
ようやく編入制度が整い、生徒どうしの交流が始まった……とはいうものの、両校の間には高くて分厚い壁がある。こうして自由に行き来するのはアンジュくらいのもので、魔法学校側からはまだ一人も授業を受けに行っていない。
つまり、この俺が歴史的な第一歩を踏み出すのだ!
「おいお前、見かけない顔だな!」
敷地を囲む霧状の結界に触れた途端、剣を手にした物々しい警備兵たちが飛んできた。
ビビって一歩引いた俺の代わりに、アンジュが一歩前へ出る。
「この方はわたくしの友人です。今は魔法学校に通っておりますが、神官学校へも興味を持たれているとのことで、わたくしが案内役を申し出ました。……ご覧の通り『無能者』ですからご安心ください」
しっかり手袋を嵌めた手を振りながら、つるつると立て板に水のごとく解説するアンジュ。その笑顔にコロッと転がされた警備兵たちは、軽めのボディチェックをした後、あっさりと俺たちを解放してくれた。
厚さ一メートルはあるんじゃないかという、半透明な魔力壁を越えて敷地の中へ入ると、途端に緊張が緩む。強力な結界に護られたこの場所は、まるで女神に抱かれているような安心感だ。
そしてようやく、目の前の風景に心をとめる余裕が生まれる。
「うわ……すげーなこの建物」
古い、デカい、神々しい。
魔法学校の校舎も趣があると思ったものの、こちらとは比べものにならない。
天へ突き刺さりそうな細い塔を構える、穢れなき純白の城。それは石造りとは思えない繊細さで、壁や窓枠やらの一つ一つに細かい紋様が描かれている。
青空の下で眺めれば、さぞかし美しいコントラストになるはずが、残念ながら空までをみっちりと覆う結界のせいで、背景色は淡い水色だ。でもそれはそれで悪くない。
俺が口を半開きにして、ファンタジックな光景に見入っていると。
「ふふっ、驚かれました? この校舎は生徒だけでなく神官の皆さまも利用されているので、『大神殿』と呼ばれておりますの。あちこち脆くなっていますし、あまり建物に触れないようご注意くださいね」
「おう、わかった……」
ぼんやりと生返事する俺がよほど頼りなく見えたのだろうか。アンジュは俺の手を取って颯爽と歩きだす。
結界とは別の、物理的な意味で設置されている正門を越えた先には、緑溢れる美しい庭園が広がっていた。
真っ直ぐに続く石畳の道と、青々と茂る常緑樹。木陰に置かれたベンチは一つ一つが芸術的なデザインで、学生たちが思い思いにくつろいでいる。
通り過ぎる人々の中には、ローブ姿の無能者とは別に、ゴツイ銀の腕輪を身につけた学生たちも多い。
一様に純白の法衣を着ている彼らは、揃いも揃って美形キャラだ。そのビジュアルのおかげで、手錠っぽい武骨な腕輪もお洒落なアクセサリーに見えてくる。
「ジロー様、あの腕輪が気になります? あれは魔力封じのマジックアイテムですわ」
「ああ、学校案内のパンフで見た。魔力を持つヤツは校内に立ち入れないって書いてあったけど、本当だったんだな」
「はい、例え微量でも魔力を持つ方――国からローブを支給されなかった方は、あの腕輪で魔力を封じられて過ごします。当然、武器などの持ち込みも禁止ですね。そもそもそんなものを持ち込む必要性もありませんし。この結界の中に魔獣は入れませんから」
「なるほど……すげーなぁ」
この安心感、何かに似ていると思ったら日本だった。
住人が美形揃いという点はさておき、誰もが丸腰でフレンドリーに暮らしている、まるで天国みたいな世界。
最初からここに入学していたら、俺は『下界』に戻れなかったかもしれない……。
そんなことを考えつつ、緑に囲まれた石畳の道を抜け、いよいよ建物の中へ入ると。
「うわぁ……中もすげー」
我ながら語彙が貧弱になってしまうものの、それ以外に言葉が出ないんだから仕方ない。
モノトーンの外観が嘘のように、屋内は極彩色だった。
石の円柱がどこまでも続く広大なホールに、滑らかなアーチを描く扉がずらりと並ぶ。分厚い一枚板の扉には、女神や草花を描いた彫り物がされ、扉の脇にはアンティークの調度品が置かれ、花や絵画が飾られ……。
本当に、何もかもがパンフに書かれていた通りだった。
眩しい。眩し過ぎる。
俺を案内してくれるアンジュも、他の生徒や神官たちも、当たり前のようにスルーしているけれど、たぶんここに置かれているアイテムは全て国宝級のお宝だ。もし花瓶の一つでも壊そうものなら、俺は故郷に小学校を建てるという夢を諦めて、一生返済に追われることになるだろう。
動揺した俺は、つい本音をポロリと。
「ペルル連れて来なくて良かった、マジで……」
クレールが珍しい雪の魔法であやしてくれなかったら、きっとペルルは俺の右腕から離れなかった。
仕方なく連れてきたとしても、入り口で警備兵に捕まる。そして強制的に嵌められた魔力封じの腕輪をバキッと壊すことだろう。魔力多すぎで。
代わりの腕輪を取りにバタバタ走りまわる警備兵に業を煮やしたペルルは、彼らを軽く殴って眠らせて、「さ、行きましょ」なんて意気揚々と歩き出して、あちこちの展示物を触りまくって、そのうち何かをバキッと……。
ダメだ、考えるだけで胃が痛くなってくる……。
思わず腹をさする俺を見て、アンジュが軽く頭を下げた。
「申し訳ありません、ジロー様。わたくしのわがままにつきあわせてしまって」
「いや、構わないって。アンジュにはいろいろと世話になったし、俺もこっちの学校に興味あったし。それに……何か話があったんだろ?」
俺の問いかけに、アンジュは何も答えなかった。
無言のまま迷路のような回廊を進み、数え切れないほどある扉の一つを開く。
どうやらここは空き教室になっている音楽室のようだ。緋色の絨毯が敷かれた室内の壁は厚く、ずらりと並んだ机の前にはオルガンが一台置かれている。
アンジュはしっかりと扉を閉め、中から鍵をかけた。
「ここならば、誰にも話は聞かれません」
そう言われて、俺も静かに頷いた。
考えてみれば、ペルル以外の女子と屋内で二人きりになったのは初めてだ。
誰もいない密室で、相手は天使のごとき美少女だというのに……俺はちっともドキドキしていない。それは今から大事な話をされるという直感のせいだ。
いや、直感に頼るまでもない。
俺の手を離して正面に立ったアンジュは、いつになく物憂げな表情をしていた。エメラルドの瞳は軽く伏せられ、長い睫毛が頬へ影を落とす。
「……一つ、質問をさせていただきますね。ジロー様は、なぜわたくしが突然魔法学校に編入したと思いますか?」
「宰相の意向だろ?」
迷いなく答えると、ようやくアンジュはトレードマークの微笑みを取り戻して。
「ふふっ、ジロー様ならそうおっしゃると思っていました。でも残念ながら不正解です」
「じゃあ、ペルルのことが気に入ったから?」
「違います」
「それじゃクレールのことが」
「違います」
「まさか、兄貴」
「違います」
となると、残った選択肢は一つしかないけれど……俺はそれを口にするのをためらった。
アンジュが俺を『彼氏』にすると言ったのは、たぶん本気じゃない。アレはあくまでクレールを挑発するためであり、または皇子をけん制するためでもあり。
聡明なアンジュのことだ、そういう俗っぽい発想じゃなく、何らかの真面目な理由があってうちの学校に来たはず……。
という俺の推理は正解だった。
アンジュは二重窓の向こうの緑を見つめ、憂いを帯びた横顔で語った。
「わたくしは昨夜、父からとある“秘密”を聞かされました。そして決断をしたのです。ソレイユ派とリュンヌ派が未だに対立を続ける中、自分がどのように立ち回るべきかを」
……重ッ。
さすがは政治家の娘、悩み事の規模も国家レベルだ。俺が相談に乗ったところで、お役に立てる気がしねぇ……。
そう思って一歩引きかけた俺を、アンジュは鈴が鳴るような声で繋ぎ止める。
「ここだけの話ですが、リュンヌ皇帝はご病気なのです。そしてなるべく早いうちに、ご自分の子どもに皇位を譲りたいと考えていらっしゃる」
その台詞は“秘密”の核心に触れるものだった。
しかも、歴史好きな俺としては反論せずにいられないような内容で。
「でも、そんなことは許されないだろ。王朝合併で、ソレイユ朝とリュンヌ朝は交互に皇位を継ぐことになったんだから」
「ですが、皇位を譲る相手がいなければ仕方がありませんよね? ……王朝合併の前から、ソレイユ皇帝の嫡流は少しずつ数を減らしていきました。不慮の事故に遭われたり、行方知れずになって」
一気に話が血なまぐさくなってきた。
でもそこまでは、俺にとってまだ『歴史書』の範囲内。さほど現実味はなく、どこか遠い国の物語を読んでいる感覚だった。
なのにアンジュは、俺を一気に戦場へと引きずり込む。
「ソレイユ派の後継者は、現在たった一人しか確認されておりません……“彼女”は母方の家系のせいか、生まれつき強大な魔力を持ち、幾度となく危機を回避してきたそうです。普通の人間なら死に至るほどの毒物も、自身の魔力で浄化してしまえるほどの力で」




