その3 危険物集団
嵐のように始まった、ペルルたちの編入一日目。
例のウザイ自己紹介タイムも、皇子が見守る今日ばかりはサクサク進み、最初に受けた授業はペルルが最も苦手とする数学だった。
といっても、内容は算数とかパズル雑誌レベルだし、このくらいなら村の寺子屋でも教えていたはずが。
「あー、ダメダメ、そうじゃないって」
ペルルの背後にピッタリくっついた皇子が、笑いを噛み殺しつつツッコミを入れる。
すると、ペルルはマシュマロみたいな頬をぷうっと膨らませて。
「もう、うるさいなぁ! 先生、このひと邪魔なんですけど! 部外者ちょーウザイ!」
……俺の懸念は大当たりだった。
ペルルにとっては、相手が王族だろうが眩いばかりのイケメンだろうが関係ない。
手を挙げてビシッと意見するペルルに、クラスメイトたちがサーッと顔色を青褪めさせる。数学のおっさん教師は、ゲホゴホとわざとらしい咳払いを繰り返すのみ。
ペルルに邪魔者扱いされた人物はといえば……当然ノーダメージ。
もし気位の高い人物なら「不敬な!」と激昂してもおかしくないはずなのだが……皇子はその程度で動じるようなキャラではなかったようだ。無駄にキラキラした王族スマイルを浮かべて、しゃあしゃあとのたまう。
「アンジュもクレールも賢さは及第点だし、見ていても面白くないからなぁ。それに比べてペルルは間違え方が非常に豪快でおもしろ」
「うっさい! ジローが賢いからいいの! 私の魔力と半々なの!」
ストレスマックスなのか、いちいち大声で叫ぶペルル。ついには五十センチ離れていた机をズリズリと左にずらし、俺の机にピッタリくっつけてきた。同時に麗しい皇子様もピッタリと付いてくる。
マジ勘弁……。
と思ったものの、そのノートを覗き込んで納得した。
なるほど、ペルルの言うことも一理ある。俺はペルルに魔力を与えて無能者になったけれど、代わりに指先から知能を吸収してしまったのかもしれない。
そうじゃなきゃ説明がつかない。こんなに豪快な間違え方をするなんて。
もちろん、寺子屋における俺の指導が悪かったわけじゃないはずだ。だって五歳の少女ですら、二桁の足し算ができてたし。
「あーほら、そこが違うんだって」
「もー、うっさい! ジロー、このひと黙らせてもいい?」
「魔法を使わず、互いに爽やかな気分になれる方法があるなら許す。つーか文句言う前にその問題を解け。前はそのくらいの問題できてただろう? ほれ、集中集中」
「ぐむむむむむむ……」
従順なペットであるペルルは、ご主人様の意向に従い文句を封印。なんとかその一問を解き終えたところで一時限目が終了した。
しかし次の授業が、やはりペルルの苦手な魔法学だったのもツイてないというか……そもそもペルルに『得意科目』なんてものは存在しないというか。
ペルルが羽ペンを動かす度に、皇子から「そこ違うよ」とやんわりダメ出しが入る。それは俺からしてもしごく真っ当な指摘だ。皇子が言わなければ俺が代わりに言っていただろう。
「そ、そんなの分かってたもん! 今直すとこだったの!」
と負け犬の遠吠えを繰り返すペルルと、苦笑しつつも丁寧にマンツーマンの指導を続ける皇子。意外と息の合った二人のやりとりは、まるで漫才のようだ。身分差などもはや関係なく、お互いに言いたい放題。
ついには周囲からもクスクス笑い声が漏れるくらいに場の空気が和んで、ようやく迎えた昼休み。
「ぐるるるるるる……」
ペルルは完全に獣化していた。
「なあ、ペルル。頼むから自力で歩いてくんね?」
「うー!」
俺の右腕に遠慮なくぶら下がったペルルが、首をぶんぶんと横に振る。その振動が地味にキツイ。そろそろ腕が根元からもげそうだ。
すると、俺の左隣に立ったクレールが、ヒソヒソと小声で問いかける。
「なあジロー、ペルルは大丈夫なのか?」
「まあ、いつものことだ。昼飯でも食えば人間に戻るだろ」
「そうか……そうしたら、また何か珍しい魔法を見せてもらえるだろうか」
クレールはほんのりと頬を染め、俺の陰からチラチラとペルルを見つめる。
半日を同じ教室で過ごした結果、大鷲ショックからようやく脱出したクレールは、真の天才であるペルルに興味津々。まさしく『話しかけたそうにこっちを見ている』状態なのだが、元々人見知りなのとペルルの機嫌が悪いせいで躊躇したままだ。
ちなみにクレールとペルルは、俺の仲介により無事『友達』になった。
当然、例の陰険なルールにも反していない。「ペルルは人間じゃなく聖獣だし、徒党を組むことにはならない」と、俺はここぞとばかりにアピールしてやった。これぞ怪我の功名だ。
そして、もう一人の『友達』はと言えば。
「できるなら、ペルル様には仔犬にでも変化していただきたいですわ。そうしたらわたくしの膝の上に乗せて頬をスリスリするのです……うっかり手のひらで触らないように注意して……まあ触ってしまっても悪くないかしら……ふふふ」
背後から独り言っぽい台詞が聞こえたものの、俺は華麗にスルー。
アンジュは、もはやペルルの虜だった。
長年、神官学校で女神や聖獣について学んできただけあり、その思い入れは半端ない。隙あらばペルルに触れようと両手をワキワキさせている。俺の陰からジーッと見ているだけのクレールとは正反対だ。
まあクレールの人見知りは後天的なものだし、さほど長くは続かないはず。
実際アンジュとはすっかり打ち解けたみたいだし……と考えていると、タイミング良くクレールがくるんと後ろを向いて。
「そうだ、アンジュ。ちょっとした疑問があるのだが」
「何でしょう、クレール様?」
「その手のひらの力は、自分で制御できないのか?」
「残念ながらできません。わたくしにも仕組みがさっぱり分かりませんので」
「では、神官学校に張られているという、強力な結界をどうやって通っていたんだ?」
「このローブと同じ素材の手袋をつけて、建物や塀には直接触れないよう気をつけておりました。それでも不注意で結界を消してしまったことが何度かありまして……」
「えッ、大丈夫だったのか?」
「はい、予備の“結界魔石”が速やかに作動して事なきを得ましたが……わたくしが魔法学校に編入して、あちらの皆さんも心から安堵されていることでしょう」
そんな会話を耳にし、俺は村で良く眺めていた神官学校の案内パンフを思い出す。
神官学校の結界は、村の柵やうちの学校の塀にかかっているものとは規模が違う。建物の周りを囲むだけじゃなく、空までを覆うドーム状になっている。
巨大な結界の中には、歴史的価値の高い建造物があり、絵画や骨とう品や魔石など、貴重な品がごろごろ転がっているらしい。
何よりあそこには、この国の技術や文化を支える神官と、未来の神官候補である優秀な学生たちがいて、彼らが研究する国家機密並の情報が詰まっている。まさに我が国の『宝石箱』とも言える場所だ。
その結界を消してしまうなんて……アンジュ、恐ろしい子!
「なるほど、アンジュも向こうで『危険物』扱いをされていたのか……わたしと同じだな」
本音をダダ漏れにさせたクレールが、うんうんと頷く。聞き耳を立てていた俺もつい頷いてしまう。
というか、この集団は危険物だらけだ。皆には隠しているけれど、俺の手のひらもかなりヤバイし。
つまり、この面子でマトモなのは一人だけ……。
俺がチラッと背後を気にすると、アンジュの隣にいるアンドレとばっちり目が合った。
現在アンドレは、皆の下僕だった。
五重の特大弁当箱とティーセットの入ったバスケット、そして丸めた絨毯を小脇に抱えている。普段なら「ボクが持ちます!」「いや、ボクが!」と、取り巻きたちの熾烈なバトルが発生するだろう大荷物だ。
教室を出る際、クレールが「持とうか?」と提案するも、アンドレは頑なに断った。魔法騎士たるもの、レディーに荷物を運ばせるわけにはいかないという矜持があるらしい。
当然俺は……右腕のアレが重すぎて身動きが取れない。
『お前も大変だな』
『お前もな』
と視線で会話を交わす。前から気が合うかもしれないと思っていたけれど、今確信した。コイツとは親友になれそうだ。
そうしてのんびりと校内を練り歩き、すれ違う生徒たちをビビらせながら、俺たちは目的地の屋上へ到着した。
※授業中の描写を一部修正しました。




