その6 決着と反乱
「わたくしに手出しは無用です! 皆を守って!」
アンジュの叫びを、襲い来る吹雪がかき消す。淡雪の欠片一つ一つが鋼鉄の弾丸と化し、純白の法衣へと突き刺さる!
――アンジュは、その手のひらに触れることで魔力を無効化する。
だから先生の攻撃スタイルでは相性が悪かった。先生はピストルから大砲までを自在に操れるけれど、常に打ち出せる弾は一つだった。
でもクレールの武器はマシンガンだ。その手にはとうてい掴み切れない。
俺は目を閉じることすらできなかった。視界を煙らせる吹雪の中、アンジュの白い法衣が深紅に染まるのをただ見守ることしか……。
しかし、女神は大事な愛娘を見捨てるような真似はしなかった。
「……ふぅ、危ないところでしたわ」
「アンジュ!」
俺は反射的に、彼女のもとへ駆け出していた。
そんな俺に向かって、アンジュはひらひらと手を振る。「心配無用」と告げるように。
その手に合わせて振られるのは、真っ赤な一枚の布。
アンジュは、脱ぎ捨てたローブを盾にしたのだ。あの一瞬でどんな攻撃が来るかを予見し、鮮やかにかわしてみせた。
そして、アンジュの背後には、分厚い氷の盾が張られていた。
暴れ狂う無数の弾丸から観客を守るべく、広範囲に広げられた氷の盾が、無惨にもひび割れガラガラと砕け散る。
「先生、アンドレ!」
氷の向こうに佇んでいた二人は、痛々しげな笑みを返すも、力尽きてその場に倒れ込んでしまう。どうやら意識が朦朧としているようだ。
あれだけの魔力を持つ二人を、ここまで消耗させた本人はもちろん……。
「クレール!」
結局俺の手が選んだのは、彼女だった。
狂おしく咲き誇った後、しおれた花のように地面へ崩れ落ちるその身体を抱き止め、冷たく凍えた頬へ手のひらを当てる。
するとクレールは、閉ざしかけた瞼を微かに持ち上げて。
「ジロー……すまない。わたしは、弱かった」
「そんなことない!」
「やはり、座学には限界があるな……久々に魔法を使ったら、このざまだ。変換効率は、二割といったところか……」
ああ、やっぱりコイツは天才だった。
あれだけ周囲に魔力を漏れさせた上に、ぶっつけ本番でここまで戦えるなんて。
「良く頑張ったな、クレール。お前カッコ良かったよ……」
遠くから、ギャラリーたちのざわめきが聴こえてくる。何か見てはならないものを見てしまったかのような、驚きと興奮に満ちた声だ。
それらの声に『イヴェール』を非難するような響きは無い。
クレールは、この戦いに勝ったんだ。歴史という重たい枷を自分の力で打ち砕いた。
俺はそう言ってやりたかったのに。
「アンジュ……キ……を……」
「なんだ?」
「アンジュと、キスを……わたしには、敗者として、それを見届ける義務がある……ッ」
俺の腕の中、クレールがスンッと鼻をすすった。そして漆黒の瞳からポロリと零れ落ちる、透明な雫。
「……は?」
おかしい。何かがおかしい。
さっきのクレールの攻撃は本当にすごかった。ペルルの魔法を見慣れている俺ですら、心が震える一撃だった。
それは、イヴェール一族に脈々と受け継がれた秘術――まさに英霊たちの魂が乗り移ったかのような壮大な魔法で。
しかもこの対決は、歴史の分岐点で。
それがまさか。
俺ごときのキスのため、だった……?
「でも……アンジュと、ジローが恋人になっても……話せなくなるのはイヤだ。わたしはずっと、ジローの友達でいたい!」
俺のローブの胸にギュッとしがみつき、まるで小さな子どもみたいにしゃくりあげるクレール。その艶やかな黒髪を撫でながら、俺は深すぎるため息を落とす。
「クレール、お前ってヤツは……」
「――ジロー様、危ない!」
俺の背中に、誰かが覆い被さった。
その重さは羽のように軽く柔らかで、俺は何が起きたのか全く理解できなくて。
気づけば俺の後ろに、天使がいた。
紅いローブに包まれた身体をくの字に折り曲げ、整った顔を苦しげに歪めている。
「……アンジュ、どうして」
「クレール様を連れて、お逃げください……早く……」
あえぎ声に近いその警告を受け、フリーズしていた脳みそがようやく動き出す。
素早く走らせた視線の中には、杖を掲げた男が三人。二人は顔色を青ざめさせ、一人は憎々しげにこっちを睨みつけている。
ソイツの顔には良く見覚えがあった。やや癖のある茶髪に、そばかすの浮いた白い肌、のっぺりとした特徴の無い面立ち。
ミストラル家を崇拝する、アンドレの腰ぎんちゃく。
「……ロドルフ、貴様ッ」
「皆、今だ! イヴェールを狙え!」
再び三人が、その杖の先から炎を生み出した。
先生やアンドレが作るものとは比べものにならないほど貧弱な火の玉。それでも俺には避けられない。ただクレールを強く抱き締め、身を竦ませることしかできない。
「ジロー様!」
再びアンジュが立ちはだかり、その手で二つを掴む。
しかし、逃した最後の一つが華奢な身体を撃ち抜いた。糸の切れた人形のように転がったアンジュが、綺麗な髪や肌を土埃で汚しながらも俺に微笑みかける。
「大丈夫です。ただの打撲ですから……早く、逃げて」
再度促されるも、俺の身体は動いてくれなかった。もう逃げることなどできないと直感していた。
ゆるゆると立ち上がり、周囲を見渡す。
足元には、魔力を失ったクレールと、傷ついたアンジュ。
二十メートルほど先には、やはり何もできず倒れたままの先生とアンドレ。
川岸に固まる『医療班』には、アンドレの取り巻きの残りが杖を突きつけ、動きを封じている。
その他大勢の観客たちは……おぞましい獣のような男たちに取り囲まれていた。高潔なる魔法騎士とは思えない口調で激しく恫喝され、この舞台から強制退場させられていく。
「アイツら……風紀の……まさか」
全部仕組まれていた……?
いや、ずっと狙われていたんだ。ヤツらは俺たちが隙を見せるのを待っていた。
ヤツらにとっても、俺の仕掛けたこの対決はチャンスだった。
「おい無能者、その女を引き渡せ」
クレールの前に立ちふさがる俺など、きっと羽虫のようなものなのだろう。ニヤニヤと不気味な薄笑いを浮かべながら、ヤツらが迷いない足取りで近寄ってくる。
……これ以上、隙を見せるわけにはいかない。
俺は暴れ狂う感情を押し殺し、いつも通りの“交渉”に乗り出す。
「いったいどうしてこんなことを? クレールは何も悪いことをしてないだろ?」
「その女は無断で校外へ出た、その制裁を行う」
「意味が分からない、今は授業中で」
「時間を良く見ろよ。もう授業は終わってるはずだ」
……なるほど、これが制裁の口実か。
俺はチッと舌打ちをし、伸びきった前髪の隙間からヤツらを睨みつけた。
ズラリと横並びで土手を降りてくる、ブルーのタイをつけた大柄な男子生徒が七名。
そしてすでに俺の背後へ忍び寄っている、狡猾な蛇のようなクラスメイトが三名。
合計十名が、俺を標的に杖を掲げている。
もしここで俺が膝を折れば、ヤツらは『女神の慈悲』で許すんだろう。当然、善意の第三者であるアンジュも、すぐさま医療班のもとへ送られる。
目撃者である先生には、上から圧力がかかる。
力を失ったアンドレは今やただの傀儡。形ばかりの王様だ。
これは革命なんかじゃない、謀叛なんだ……。
唇を噛み締める俺の正面に、リーダー格の男が立った。初めて見る顔だ。
きっと俺が触れたヤツは、このくだらない組織を抜けてしまったのだろう。それでも雨後の竹の子のようにいくらでも湧いてくる。
それほどまでに、イヴェールは憎まれているのか?
それとも、クレールが魅力的な獲物だってことか……?
「あまり時間をかけると面倒だ。無能者君、さっさとそこをどいてくれないか? オレらはその女に用があるだけなんだ」
「断る、と言ったら?」
「そりゃあ残念だが、貴様もろとも」
「やめろ……ッ!」
俺の背後から、痛々しいかすれ声が響いた。
「ジローは、関係ない……やるなら、わたしをやれ!」
「物分かりがいいじゃねえか、お姫様。ほれ、無能者君は退いた退いた」
魔力に満ちた手でトンッと肩を押され、俺はよろめいた。思わず地面に膝をついてしまう。
顔を上げれば、ヤツらがクレールを取り囲むところだった。魔法は使わずにいたぶるつもりなのか、全員が杖を手放し、代わりに拳を握りしめている。
背後に潜んでいたロドルフたちは、本物のお姫様であるアンジュを回収する。嫌がる彼女の手足を抑え、可憐な唇を汚れた手で塞ぎながら、医療班のもとへ運んでいく。
俺は、自分の手のひらを見つめた。
もうヤツらにこの手で触れることはできない。今の俺には憎悪しかない。
だから、代わりにこう言った。
「あのさあ、ちょっと聞いてくんねーかなぁ」
両手を広げ、害意が無いことを示しながら立ち上がる。すっかり作り慣れた偽物の笑みを――この場にいる誰よりも愉しげな笑みを浮かべて。




