その5 勝利の報酬
一瞬、時が止まった。
その場にいた誰もが目を見開き、鳴らしかけていた拍手を止めた。俺だけがフリーズの魔法から逃れ、力強く頷いてみせる。
アンジュの台詞は、脚本家である俺が考えたものだ。
これぞ、ヤンキー漫画風タイマンバトル――『なかなかやるな、お前もな』作戦!
互いに全力で戦う熱い姿を見せれば、第三者の心を動かすことも可能……そんな期待を込めて、俺は呆けているクレールの背中を押した。
「その決闘、受けろよクレール」
「でも、わたしの魔法はとても危険なものだ。だから、学内で攻撃魔法を使ってはならないと決められていて」
「――そんなものは関係ない!」
俺の台詞を横から掻っ攫ったのは先生だった。熱血指導者ならではの厳しい眼差しが、クレールの心を強く揺さぶる。
「これはワタシの授業だ! 神であるワタシが許す!」
「ですが、もしも誰かを傷つけてしまったら……」
「ワタシが全員守ってやる、だから安心してぶっ放せ!」
先生、マジかっけー!
俺はそう叫ぶ代わりに、小さくガッツポーズを作った。
ギャラリーたちもようやくこの展開の意味を理解し、興奮して騒ぎ出す。
疎ましいイヴェールとはいえ、『天才魔法騎士』の家系ということは誰もが知っている。
あのソレイユ皇帝から厚い信頼を得たイヴェールの実力とはどれほどのものか、もしや今まで見たことのない新たな魔法が拝めるんじゃないか……。
期待に満ちた眼差しが、一点に集中する。クレールの頬がみるみるうちに紅潮していく。
そんなクレールとは対照的に、落ちつき払った態度のアンジュが、ルールの補足を兼ねて最後の一押しをした。
「決闘といいましても、わたくしは攻撃が不得手です。勝敗のルールは『クレール様の魔力が尽きるまでに、わたくしが掠り傷一つでもおったら負け』ということでいかがでしょう?」
その提案に全員が頷いた。この決闘はあくまで授業の一環であり、誰も殺し合いなんて見たくない。
やはり大多数が見たいのは、アンジュの勇姿だ。
あの先生でもアンジュの防御を崩すことはできなかった。クレールがいくら天才だとしても、勝利するのは難しいだろう。
でもそれでいい。
もし負けたとしても、クレールは『普通の女の子』だってことを証明できる。
万が一勝利すれば……それは『革命』の第一歩になる。
「ジロー……」
突然スポットライトを浴びせられたクレールが、捨て猫の瞳で俺を見つめる。
艶やかなその髪を撫でて、「頑張れ」と励ましてやろうとしたとき。
「――怖気づいていらっしゃるのかしら、クレール様?」
本物の役者と化したアンジュが、可憐な微笑みを絶やさぬまま、クレールを挑発した。
意外なヒールっぷりに、俺は「女優の才能あるなぁ」と本気で感心する。ここが地球なら、芸能事務所のスカウトが殺到しているところだ。
「別にわたくしは、不戦勝でもかまいませんのよ? ただそのとき、貴女は大事なものを失うことになりますけれど」
「大事なもの?」
ようやくアンジュと真っ直ぐ対峙したクレールが、怪訝そうに眉根を寄せる。
脚本家である俺自身も、意外なアドリブに首を傾げていると。
「わたくしは先ほどジロー様と約束いたしました。もしわたくしがこの勝負に勝てたなら……ジロー様は、わたくしのことを“彼女”にしてくださると!」
「――何だとッ?」
叫んだのは、ちょうど復活したアンジュ命のシスコン兄貴だ。その声を呼び水に、この場にいた全員が怒声をあげる。まさに阿鼻叫喚。
そして俺自身は……口から魂が抜けていた。当然クレールも。
涼しい顔をしているのは、一人だけ。
「もちろん、わたくしがジロー様の彼女になった暁には、他の女生徒と無断で口をきくことは一切禁止させていただきますわッ」
「ふ、ふざけるな! ジローはわたしの大切な友達だ! まだキスはしていないが、これからするつもりだ!」
……クレール、それなんか違う。めっさ騙されてる。
「キス……ですか。いいですね。ではこの決闘に勝利した者は、ジロー様にキスをしていただくことにしましょう」
……アンジュさん、もう勘弁してください。俺ギャラリーに視線で殺されそうです。
思わず地面にへたり込んだ俺の隣に、なぜか先生が寄り添ってきた。
きっと俺がアンジュのファンに殺されないよう守ってくれるつもりなんだろう。指導者としての気配り、素晴らしいです。
「いや、勝負がついたとき、“景品”が逃げ出さないようにと思ってな」
「鬼か! つーか俺の気持ち読まないでください!」
どーしてこーなった!
俺のシナリオはこれだけじゃない、この二人の勝負はまだ『第一工程』だったのに……!
「クレール様、わたくしの能力はご存知なのでしょう? さあどうぞ遠慮なく」
そう言って、アンジュが深紅のローブを脱ぎ捨てるのが、試合開始の合図。
アンジュから二十メートルほど距離を置いたクレールは、最後までためらいを見せつつ、ゆっくりと右手を上げた。
男たちに囲まれた時にすら見せなかった、その膨大な魔力の片鱗が灼熱の炎と化し――
「甘い、甘すぎです!」
飛び出したのは、蛍のように小さな火の玉だった。アンジュはそれを容赦なく握り潰す。
アンジュの力を目の当たりにしたクレールが、ヒュッと息を呑む。そしてさっきより一回り大きな炎を浮かべて投げつけるも、あっさり消される。
温いキャッチボールが繰り返され……アンジュが首を大きく横に振った。
「このままでは、いたずらに時間が過ぎてしまいます。制限時間は十分、それ以内に決着がつかなければわたくしの勝ちとします」
一方的にルールを追加したアンジュが、小悪魔的な笑みを浮かべる。
対するクレールは、その涼やかな瞳をスッと細める。感情をなくした人形のような眼差しになる。
俺がいつも授業中に見ている横顔だった。百パーセント集中した時の顔。
凛とした背中、スラリとした長い手足、女らしくしなやかなその身体全体から……突然ゆらりと白い靄が立ち上る。
それは明らかに――魔力の塊。
俺はゴクリと生唾を呑み、汗ばむ手を強く握り締めた。一ヶ月前の出来事を思い出して。
あの日ペルルから借りた魔力は、俺の器に収まりきれず勝手に溢れ出して、足元の草木までをも癒やした。
今のクレールは、あのときと同じ。自分でも持て余すほどに大量の魔力を抱えた……本物の天才の姿だ。
誰もが息を止めて見守る中、川面を揺らす秋風がふわりと吹き抜ける。
そこに、ひとひらの花びらが落ちた。
ひらり、と舞い降りた小さな白い花びらは、大地に落ちるとともに溶けて消える雪の花。
ひとつ、ふたつ、みっつ。
抜けるような青空から落ちてくる、季節外れの淡雪が、少しずつ目の前の光景を霞ませていく。
感情を映さない、凍てつく氷のごときクレールの眼差しを覆い隠していく。
「これは……アンジュが危ないかもしれん」
すぐ隣に腰掛けていたはずの先生が、その一言を残して消えた。風の魔法で加速し、瞬きする間にアンジュの背後へ。
そこには既にナイトであるアンドレがいて、いつになく険しい表情で正面を睨みつけている。
そして、クレールは。
自らを包む吹雪の中、うっすらと微笑んだ。いつもの控えめな笑みじゃなく、大輪の薔薇のように艶やかな笑みに、誰もが心を奪われる。
自然と思い浮かぶ『傾国』の名。
「わたしの大切なものを奪うというなら……手加減はしない」
歌うように囁き、ゆっくりと右手を掲げるクレール。
その指先が頂点に達した刹那――銀世界が眩い光に包まれる。
封印から解き放たれた右手が煌めく刃と化し、アンジュへ向かい真っ直ぐに振り下ろされた!
※誤字を修正しました。




