その3 遅れてきたヒーロー
「えっと……ペルル、なぜここに?」
呆けた頭のままぼんやりと問いかける俺。するとペルルは悪戯が成功した子どもみたいにクスッと笑って。
「えへへ、ビックリした? 実は最初から、魔法学校のおじさまに言われてたの。『ジローの一週間遅れで王都に来て欲しい』って」
「一週間って、なんでそんな中途半端な時期に……」
「んー、理由は良く分からないけど、ちょっとした『予言』っぽいことを言われたのよ。その頃ジローは、自分じゃどうしようもない大ピンチに陥ってるだろうから、颯爽と現れて助けてやってくれって。そうすればジローはすごく感謝して、私のこと大好きになっちゃうって……キャッ!」
――クソッ、あの狸オヤジ!
マジでぶん殴る! いや、銀色狼に噛みつかせる!
俺が心の中で「スグキテ」と南の森へ呼び出し電報を打っていると。
『ぐぎゃるるるる……』
ペルルの腹から、銀色狼の鳴き声に良く似た音が洩れた。ものすごく切なそうな音が。
「……まあ、来ちまったもんはしょーがねーか。朝飯用意してくるから適当に寛いでてくれ」
「ジローはまだ寝起きでしょ、私やるよ?」
「んじゃ頼むわ。食材はキッチンの保冷庫に揃ってるはず。あと洗顔用の水も出してくれないか。汲み置きした水はあるけど、なるべく冷たいのが欲しいし」
「分かった、任せて!」
そう叫ぶや、ペルルは抱えていた鞄をポイッと放り出し、迷わずキッチンの方角へ猛ダッシュ。
置いてけぼりにされた俺が、玄関先に佇んだまま「やっぱこれは夢なんじゃないか……」なんてぼんやり考えていると。
――ドンガラガッシャーン!
キッチンから落雷のごとき轟音が発生した。
……ヤバい、これは本物のペルルだ。ちゃんと見ててやらなきゃ、この家が崩壊する!
慌ててキッチンへ飛んで行き、「余計なモノには触らないように」と教育的指導するも、焼け石に水。
長い髪をひとくくりに結わえ、自前のフリル付きエプロンをつけてほっかむりをする『お手伝いさんスタイル』にチェンジしたペルルは、いつもの三割増しで張り切って作業し、三枚に一枚の割合で順調に皿を割っていく。
そいつの片づけを手伝っていると、少しずつ夜が明けてきた。
眩い朝日を受けて輝きを増すペルルの銀髪を見ていると、麗しい母君の姿が浮かぶ。
「つーか、今回お母さんは一緒じゃないのか? お父さんの方は仕事だろうけど」
「お母さんは来たがってたんだけど、やっぱり畑の収穫で忙しいからって。ジローによろしくって言ってたよ。ジローに作ってもらった肥料のおかげで、今年も豊作みたい」
「そうか……でも一人旅なんて良く許してもらえたなぁ。一応お前も見た目だけはか弱い女の子なのに。乗合馬車でヘンな奴に絡まれたりしなかったか?」
「平気よ。馬車じゃなくて、自分で作った大鷲に乗ってきたから」
「へッ?」
「馬車より全然楽だったよー。お金もかからないし、二日で着いちゃうし。今度ジローも乗せてあげるね!」
「そうか、そりゃ良かったな」
「本当は昨日の夜に着くはずだったの。でもちょうど凶雲が出たから雨宿りしてて、そしたら魔獣に襲われてる人がいて、助けてたら遅れちゃったの」
「そうか、そりゃイイことしたな」
「んー、微妙? なんかそのとき助けた人が“王族”だったみたいで、なんかメンドクサイから逃げて来ちゃった」
「……相変わらずお前のやることはメチャクチャだな」
「えへへ。だって一秒でも早くジローに逢いたかったんだもん!」
そう叫ぶや、ペルルは手にしていた包丁をポイッと放り出し、俺の腹にギュッとしがみついた。
ぷにっとした腕や身体は柔らかく温かく、さらりとした髪からはふんわりと石鹸の香りが漂う。
ここは村じゃなく、一人暮らしな俺の家。
普通ならドキドキしてしまうシチュエーションなはずが……久々に受ける肋骨ミシミシ攻撃は、俺のヒットポイントをガリッと削った。やっぱり俺は、コイツと甘い関係になんてなれねぇ……。
「痛いっつーの、離せ!」
「やーん、ジローのいじわるッ」
それでもペルルは嬉しくて仕方がないといった顔をして、隙あらば俺に抱きついたり、着替えを覗こうとしたり。
村でのんきに暮らしていた頃とまるっきり同じやりとりだった。
一ヶ月近く離れていたというのに、何も変わらないペルルを見ているだけで、心の中の澱みがすうっと消えていく。
……俺は本当に『大ピンチ』だったのかもしれない。
どっちを向いても敵だらけのあの場所で、傷ついた女の子を背中に庇いながら、毎日気を張って暮らしていた。
それは前世も含めて初めての経験で、凡人な俺には抱え込めないくらいしんどくて。
でもきっと、ペルルなら。
本物の天才なら、この世界を変えてくれる気が――
「いや、そうじゃねーだろ」
ここでペルルに甘えてどうする? 全部丸投げするなら、あのおっさんと同じことだ。
俺の世界は、俺の力で変えなきゃいけないんだ……。
「ジロー、お待たせ! 朝ごはんできたよー」
「おう……」
「ふふっ、そういえば、ジローと二人きりでご飯食べるのって初めてかもね。いつもは神父様とか村の女の子たちが邪魔しに来たし」
「おう……」
「このジャムね、うちのお母さんがお土産にって持たせてくれたの。赤すぐりのジャムなんだけど、私も作るの手伝ったんだ。気に入ったらまた作ってあげるね」
「おう……」
「どーしたの、ジロー。食べないの? パンにジャムつけるの嫌だった?」
目の前でひらひらと振られる、ペルルの小さな手。
気づけば二人掛けの小ぶりなダイニングテーブルには、パンと牛乳とサラダというシンプルな朝食セットが出揃っていた。俺はたっぷりとジャムの乗ったトーストを一かじりした後、腕組みしたままぶつぶつ言い続ける。
「美味いなこのジャム、甘さと酸っぱさのバランスが絶妙で……って、そうじゃねー。俺はこれからどうすりゃいいか考えてて……うーん……あのハンドパワーはなるべく使いたくないし、あとは鳥と小動物か……」
「ペットでも飼うの? だったら私も鳥さんがいいなぁ。あと猫でもいい。私がちゃんと世話するから飼っちゃおう?」
「ちょっと待て、何で同居前提になってんだよ、お前は女子寮入れって」
「えー、だって寮じゃペット飼えないし」
「そんなの、お前の魔法でなんとかすりゃ……ん、待てよ?」
その瞬間、頭の中にピカッと豆電球が光った。
俺は正面に腰かけたペルルをジッと見つめた。口元に赤いジャムをくっつけたまま、幸せそうにトーストをもぐもぐしている。
指を伸ばしてジャムを拭い取ってやると、喉を撫でられた仔猫のように目を細める。その表情は、普通の男なら魂を抜かれるレベルの可愛らしさだ。
……まあ、コイツと同居ってのも意外と悪くないかもしれん。
「あのさ、ペルル。鳥一匹飼いたいんだけど、しばらく『世話係』してくんねーか?」
「それって、私はここに住んでもいいってこと?」
「もちろん。ペルルにはそのペットをきっちり“調教”して欲しいんだ。いつも俺の傍に居て、俺が呼んだらすぐ飛んできてくれるように」
「分かった、私頑張る! なるべくジローの傍にいて、呼ばれなくてもすぐ飛んでいけるようになるね!」
……なんか話がズレた気がしたけれど、まあいつものことだしと俺はスルーした。
※ペルルの台詞・誤字を一部修正しました。




