その1 雑草の花
「おい、貴様――ジロー!」
入学二日目の昼休み。
横柄な口調で俺を呼び止めたのは、金髪碧眼の美少年。誰もが認めるこのクラスのリーダーだった。
「何だよ、アンドレ」
「今から昼食か?」
「そーだけど」
「僕は今日、この教室で食べるつもりだ。我がミストラル家の料理長には、軽く三人前ほどの折り詰めを用意させた」
「すげーな、食いすぎて腹壊すなよ?」
「バ、バカ! 僕が一人で食べるとは言っていない! ただその……学食よりはよほど美味いはずだ」
チラッ。
金色の前髪の隙間から、涼やかな碧い瞳が俺に何かをアピってくる。
……ぶっちゃけ、イケメン男子にデレられたところでさほど嬉しくない。
それにヤツの背後にずらりと並ぶ、ロドルフ君を筆頭とした取り巻き集団が、親の敵のごとく睨みつけてくるし。
「悪いな、俺急いでんだわ。学食で人と待ち合わせしてて」
「む……ソイツは僕より強いのか?」
「強いかどうかは分からんけど、可愛いことは確かだな」
「さては女かッ? うちのクラスの?」
「いや、選択授業で知り合った子」
「そ、それは……お前の『彼女』か?」
「昨日知り合ったばっかだぞ? まだそこまで行ってねーって」
……いや、そこまで行くこと考えてんのかよ、俺。
確かにクレールはものすごく『気になる女子』だけど、こっちは精神年齢三十路で、相手はまだ高一で……。
でもアイツ、見た目はかなり大人っぽいし、中身は純粋だし、男に殴られても笑える強さとか、俺だけに見せる弱さとか、けっこう来るっていうか……。
ドクン。
あれ、ヤバい……なんか心臓がヤバい。
「ハッ! まさかその相手、我が妹アンジュでは」
「――違うわ!」
激しくツッコミつつも、俺は内心ホッとする。
このアホ発言のおかげで何かをごまかせた、と……。
「そ、そうか……しかし我が妹以上に強く優しく麗しい女など、この世に存在しないはずだが」
「俺そこまで理想高くねーし。ていうか、お前と話してんのけっこう楽しいけど、もう行くわ」
くるんと踵を返した俺は、背後でわあわあ言う声をスルーして歩き出す。
そして、ついネガティブなことを考える。
……アイツと普通に会話するのは、これが最後になるかもしれない。
俺が『ミストラル』の誘いを断って『イヴェール』についたとなれば、どんな騒ぎになるかは想像に難くない。
もちろん、アンドレ自身は変わらない気もする。アイツはなんだかんだ品の良いお坊ちゃんだし、本気でイヴェール家を憎んでいるとは思えない。何より俺がこの手で触れた相手だし。
問題は、ミストラル派の取り巻き連中。
例の風紀委員とやらもミストラル派貴族の子弟であって、ミストラル家そのものじゃない。主の威光を高めるために影で暴走してるって感じだ。
ただその数は圧倒的に多い。
この学校の生徒や教師に、クレールの味方はほとんどいない。
学部長のおっさんを初めとして、現状を憂えている教師は何人かいるとしても、学校の予算から人事までを現政権に管理されている以上、できることは限られている。
当然、俺だって無力だ。皆の歴史認識や政権の意向を覆せるなんて思っちゃいない。
ただ、クレールを守ってやりたい。
茨に囲まれたこの世界から解放してやりたい。
俺は捨て猫を放っておけるほど非情じゃないんだ……。
「よッ、クレール。待たせたな」
生徒たちで賑わう学食の片隅、ぽっかりとクレーターができたような一つのテーブル。そこに腰掛けていたクレールが、パァッと明るい笑みを浮かべた。
「ジロー、本当に来てくれたんだな!」
「何だよ、疑ってたのか?」
「い、いや……わたしは友達を疑ったりはしない……だが、ちょっとだけ不安だった」
浅黒い肌にうっすらと赤みが差す。しょんぼりと俯いてしまう姿が、クールビューティーな外見に似合わなくて、俺はつい笑ってしまった。
「まあいいや、腹減った。飯買いに行こう」
そう促すも、クレールは椅子から立ち上がろうとしない。
よく見ると、テーブルの上に握り拳大の小さなハンカチ包みが置いてあった。
「わたしはここで待っている。パンを持ってきたから心配するな」
そう言ってクレールは、花のような笑みを浮かべた。咲き誇る薔薇じゃなく、控えめで可憐な雑草の花。
なのに俺にはその笑顔が、誰よりも眩く見えて……。
「そっか、分かった」
今ようやく、実感した。
歴史書に記された『雀の涙ほどの所領』という言葉の意味がこれだった。女子にしては珍しいショートカットも、三口で食べ終えてしまうパンの欠片も、着たきりでくたびれた制服も。
そして周囲のざわめきも……。
「ねえ、イヴェールと話してるの誰?」
「あのローブってことは、無能者だよな」
「風紀委員呼ばなくていいのかなぁ」
「お隣から来てるヤツなら関係無いんじゃね?」
「誰かあの人に注意してあげれば? あの女は『罪人』だから関わらない方がいいって」
……俺だって、こうなることは分かってた。
だからこそ、あえて皆に見せつけようと思った。
クレールは普通の女の子だってことを、俺と会話する姿で伝えたかった。そのついでに、クレールへ向かう悪意を少しでも俺が肩代わりできたら、と。
だけど現実はそんなに生易しいものじゃない。無能者に向けられる差別とは全てが違った。
クレールの世界に『女神の慈悲』は存在しない。
俺が傍にいたところで関係なく、雑草は踏みにじられるだけなんだ……。
「ジロー?」
「飯取ってくる。俺も明日は弁当持ってくるから、外で一緒に食べような」
俺は精一杯の笑顔を作って、クレールの髪をくしゃっと撫でた。




