その4 薔薇を狙う罠
「クレール……?」
ドクンと心臓が低い音を立てた。今すぐ走り出したいのに、足元に絡みつく薔薇の枝葉がそれを許さない。
鋭い棘が肌を引っ掻くのも構わず、薔薇たちを押しのけて進んで行くと。
「生意気な口きくんじゃねぇ!」
男の怒鳴り声と同時、パシンという乾いた音が響き渡った。単なる拍手とは違う、確実な痛みを伴う音が。
「大人しくしねぇからこうなるんだ……お前ら、抑えつけろ!」
……いったい何が起こってる?
ここは高潔なる魔法騎士の学校じゃないのか?
一人の女の子を、大勢の男が暴力で押さえ込むなんて有り得ない。しかもヤツらの顔には、明らかな愉悦が滲んでいて……。
「――何してんだてめぇら!」
気づけば頭のネジが吹っ飛んでいた。可憐な薔薇たちを踏みしだき、ヤツらの眼前に躍り出る。
一斉に振り向いた男たちは、一瞬怯えを見せたものの。
「……なんだ、無能者君かよ」
鼻で嘲笑う彼らのネクタイはブルー。つまりクレールと同じ学部生ということだ。
集団の中で最も大柄な茶髪の男子が、口角を釣り上げながら俺を見やり……。
「――ッ!」
何の前触れもなく、氷の刃を放った。
とっさに横へ飛び退いた俺の耳に、下卑た笑い声が届く。
「バァカ、本気で当てるつもりなんてねーよ。まあ無能者君も、痛い思いしたくなきゃ邪魔すんなよ? ああ、この事を教師に言っても無駄だぞ。『風紀委員』による学内での制裁行為は認められてるからな」
「制裁って……クレールがいったい何をしたっていうんだ?」
「この女は――“イヴェール”は、学内で徒党を組むことが禁じられている。お前は知らなかったようだが、コイツはさっきからお前の後を追っかけてたんだよ。密談でもするつもりだったんだろうが、残念だったな」
「違う! わたしはただ、友達と一緒に帰りたかっただけだ!」
「友達? 反逆仲間の間違いだろ?」
「わたしに反逆などという意図は無い!」
……全てが茶番だった。
クレールは、ヤツらの罠にハマっただけ。なのにちっともそれに気づかない。
ヤツらの目つきを見れば、何が目的なのかは一目瞭然だってのに。
「ちょっと待った。あのさあ……」
俺は両手を上げて害意がないことを示しながら、彼らの元へ歩み寄った。
当然こっちは無能者だし、今は剣も持っていない。正面切って戦うなんて不可能だ。
ただし俺には『あの力』がある。
「悪いけど、俺まだこの学校来たばっかでルールとか良く知らないんだわ。こんな風に女の子をよってたかって虐めるのって、女神の教えに反するんじゃねーの?」
「うるさい、黙れ!」
「まあまあ、ここは哀れな『無能者君』に優しくしとけって。俺がアンタらに刃向かうわけないだろ? クレールだって分かってんだよ。無能者と徒党を組んだところでどーしようもないってさ。つまり俺らはただのお友達ってことだ」
慣れない営業スマイルを浮かべ、ペラペラとテキトーな事を喋りながら着実に距離を縮め……俺は茶髪男の肩にポンと手を乗せた。
精一杯の愛情を――アホな人間への憐れみを込めて。
「う……まあ確かに、無能者はこのルールに適合しない、か……」
「だよな? おい、クレール、立てるか?」
大柄な男たちの輪の中で尻餅をついていたクレールに、俺はその手を差し伸べた。
殴られた頬は赤く染まり、唇の端からは血が流れている。
それでも、クレールは嬉しそうに微笑んだ。迷子の子どもが母親を見つけたときのように。
「ジロー……一緒に帰ろう!」
月明かりに浮かび上がるその紅を、俺は薔薇よりも綺麗だと思った。
◆
「……という感じの一日でした」
予想よりだいぶ長い話になってしまった。
ここは四階建ての校舎の最上階にある、学部長室。
革張りのソファーに浅く腰掛けた俺は、ローテーブルに置かれたランタンに向かい大きなため息を吐いた。オレンジの灯りの向こうには学部長が座っていて、俺の話にじっくりと耳を傾けている。
一日の終わり、この部屋に寄って『日報』を伝えるのが事前に決められたルールだ。
面倒くさいと思っていたけれど、実際やってみると自分を俯瞰で見られるし、気持ちの整理がつく。
「……なるほど、なかなか充実した一日を過ごしたようだな、ジロー君」
本来の威厳を取り戻したかのように、重々しい口調でねぎらう学部長。
俺はソファーの背もたれにドスンともたれかかり、窮屈なネクタイを緩めた。この報告が終われば、俺の仕事はひと区切り。この先は無礼講だ。
「……で、おっさんはどこまで盗聴してたんだ?」
「な、なんのことかね」
「とぼけても無駄だっつーの。例の『石ころ魔法』で、俺のことずっと付けてたんだろ?」
俺が鋭い三白眼を作ってみせると、学部長はサッと目を逸らした。相変わらず抜け目ないキャラだ。
「そういう汚いことすると、天罰が落ちるぞ」
「いやだなあジロー君。天罰など、この敬虔な女神信徒である私に落ちるわけが」
「狼が来るぞ」
「ぬッ」
「また凶雲が出て、狼が罰を与えに来るぞ」
と、充分に脅しをかけてから、俺は本題へ切り込んだ。ソファーに浅く腰掛け直し、身体をグッと前に乗り出して。
「つーか、あの風紀委員ってヤツらは何なんだ? クレールは言いがかりつけられて、リンチに合うとこだったんだぞ?」
小一時間前の出来事を思い出し、俺はぶるりと身震いする。
もし俺が助けに入らなければ、クレールは間違いなくなぶりものにされていたはずだ。
もちろん、命を奪われるようなことはないだろうけれど……クレールは匂い立つ薔薇のように美しい少女だ。調子に乗ったヤツらが邪な欲望を抱いてもおかしくない。
いや、それこそがヤツらの本性。
常にクレールを監視し、隙を見せれば襲いかからんと爪を研ぐ、下劣な野獣。
「アイツらが言ってた『ルール』のせいで、クレールは今まで友達が作れなかった。俺のことも最初は突き放そうとしてたけど……俺が魔法騎士とは関係ない、完全にニュートラルな存在だって分かったから、勇気を振り絞って声をかけてきたんだ」
クレールは、それまで独りぼっちだった。
だから俺に出会って……まるで捨て猫みたいに縋りついてきた。
あの騒動の後、クレールを敷地の外れにある女子寮まで送り届ける間、彼女はずっと震えていた。
ずっと、俺の手を離そうとしなかった。
なのに詳しい話を聴こうとしても「巻き込んですまない」と謝るばかりで。
きっと俺たちには、まだ監視がついていたんだろう。俺は彼女の手を強く握り返すことしかできなかった。
「あんなの、高潔なる魔法騎士のやることじゃねーだろ……それをこの学校は許してんのか? クレールにとってここは牢獄なのか?」
「ああ、そうだ」
「……おっさん、それマジで言ってんの?」
「それが反逆者であるイヴェール一族に課せられた罰。直系の彼女は命を奪われなかっただけでも幸せなほうだ」
込み上げてくる激情を、俺はグッと堪えた。
さも当たり前のように応える学部長の手が、色を無くすほど強く握り締められていることに気づいたから。
この痛みは、連綿と続く歴史の一部だ。
あの『革命』は、歴史書の物語なんかじゃない。まだ終わってないんだ……。
「とにかく、魔法騎士ではないジロー君は、イヴェールと『徒党』を組むことにはならない。それは私が保証しよう」
「他にルールの抜け道は?」
「授業中も例外だ。無論、教師との会話も該当しない。校外においてもルールは適用されないが、彼女が無断で校外へ出ることは禁じられている……私に言えるのはそれだけだ」
「あっそ、分かった。じゃあテキトーに頑張るわ」
俺はソファーから立ち上がり、ひらひらと手を振ってみせた。
胸の奥で燃えたぎる怒りを押し殺して。
これにてお祭り(連続更新)は終了とさせていただきます。次回より平常運転(一日一回?)となります。では今後ともよろしくお願いします!




