その3 歴史の重み
魔法式組み立ての流れをポップな歌にし、皆で輪になって創作ダンスを踊るという『魔法教育学』の後。
真っ赤な顔でそれに付き合ったクレールと別れ、俺はまたもや少数精鋭の教室に来ていた。
本日ラストの授業に選んだのは――近代皇国史。
そういや、この授業も学部長のおっさんにオススメされてたな……と再度もやもやしつつ到着した教室は、予想通りスッカスカだった。
受講生は、三年生が六名。全員が「単位やべー」という不真面目な男子生徒だ。
彼らにとってここは、ただ席に座っているだけで単位が貰える生温いオアシス。皆は一日の疲れを隠そうともせず、机に頬杖をついてこっくりと船をこいでいる。
一人やる気満々の俺は、温厚そのものといったおばあちゃん先生と膝をつきあわせ、こってり濃厚な歴史トークをかわしていた。
「先生、一般的な歴史書によると、革命が起きたのはソレイユ皇帝が『愚王』だったからとされていますが、それは本当でしょうか?」
「いいえ、そうではない……と、私は考えています。ソレイユ皇帝は、ミストラル家を中心とした武闘派の貴族たちを冷遇したわけではありません。むしろ他国の侵攻を恐れ、派閥の垣根を越えて共闘しようとしていました。しかしミストラル家は『革命』を起こした……ソレイユ皇帝の立場からすれば、それは裏切り以外のなにものでもありません」
「では、革命とは名ばかりで、真相はミストラル家の『謀反』だったということですか?」
「もちろん、ミストラル家の言い分も良く分かりますよ。ソレイユ皇帝は理想主義者で、現実を軽視するきらいがあったのです。自分たちの足元に火がついているというのに、女神の慈悲に縋るばかりでは、『国軍』となった彼らが業を煮やすのも当然でしょうし」
「つまり、ソレイユ皇帝に理想を押しつけたとされる人物――『傾国』と呼ばれる魔法騎士、カミーユ・フロワ・イヴェールが全ての元凶である、と?」
「……ジロー君、あなたは可愛らしい顔をして、なかなか厳しいことをいいますね」
苦笑する先生に、「すみません」と頭を下げる。
わざわざ訊かずとも、俺の中で答えは出ていた。
革命を起こした指導者――アルベール・ヴァン・ミストラル。
彼は魔法騎士としては凡庸でも、政治家としては天才だった。革命の責任をソレイユ皇帝とイヴェール家に押し付け、自らを『勇者』と位置づけた。
そんなミストラル家の直系であるアンドレとアンジュは、誰もが認める勇者の一族だ。
一方、クレールの方は……。
「カミーユ・フロワ・イヴェール――かの天才魔法騎士には、『傾国』などという不名誉な二つ名がつけられましたが、これも正しくはありません。“彼女”は信じる者のために命懸けで戦っただけ。その良し悪しを、一部の歴史家が決めるのは間違っています。判断は私たち一人一人に委ねられているのです」
俺はもう一度先生に頭を下げる。試すような真似をして申し訳ないという気持ちを込めて。
この授業に『宰相』の息はかかっていない。それが分かっただけでも収穫だった。
「それにしても、ジロー君は歴史に詳しいのね。今どきの若い子は、あまり興味を持たないのだけれど」
「まあ俺は無能者だから、派手な魔法ぶっ放して楽しむわけにもいかないし。あと孤児なんで、教会で育ったんです。分厚い歴史書が揃ってて、小さい頃から暇つぶしに読んでました」
……というか、三才で読破したというか。
皆まで言わずとも、俺の脳みそが異質だってことは伝わったようだ。先生はまるで孫を見るように目を細め、俺にさらっと問いかける。
「では、私の方にもご教示願いましょうか。『革命』の後、彼らがどんな世界を作ってきたのかを」
……ヤバい、今度はこっちが試されてる。
額に冷や汗をかきつつも、俺はなるべく言葉を選びながら語った。
「えーと……ソレイユ陛下を王都から追いやった宰相は、王家の支流であるリュンヌ殿下を新皇帝に据えることで、革命の正統性を保とうとしました。そこで『リュンヌ朝』が生まれたわけですが、初代皇帝の直系であるソレイユ陛下を支持する声も根強く、一部の貴族が『ソレイユ朝』についた結果、泥沼の内戦が始まりました」
「王朝の分裂、ね」
「はい。その戦いは半世紀近くにも渡り、先の宰相の代でようやく解決しました。王朝は合一を果たし、『次期皇帝はソレイユ朝から立つ』という約束の元に、ソレイユ派の貴族たちは王都へ戻ったんですが……『傾国』と呼ばれるほどに憎まれたイヴェール家は例外でした。嫡流の男子は全員処刑されたうえに、雀の涙ほどの所領しか与えられず、いわれない中傷を受けて、未だに差別されています」
淡々と歴史を語っていたはずが……いつのまにか胸が苦しくなっていた。
クレールは、この学校で確実にハブられている。
さっきの授業でも、俺たちの傍には誰も近づいて来なかった。ダンスに集中していたクレールは気づいてなかったけれど、皆は「イヴェールだ」とひそひそ囁き合って……。
やりきれない想いが、ストレートな疑問となって零れ落ちる。
「あの……先生は、ミストラル家とイヴェール家が本当に和解できると思いますか?」
「ええ、思うわよ」
あっさりと返され、俺は毒気を抜かれてしまう。
「初代皇帝が存命した頃――千年前の古代史はもうおとぎ話になってしまっているけれど、あの頃からずっと、人々は悩みを抱えて苦しんできた。でもいつかは歴史の一ページになるわ。未来のページを作るのは、君たち若い世代よ」
厳しくも優しい言葉に、俺は頷かざるを得なかった。
俺は、クレールのことが嫌いじゃない。
まだ知り合ったばかりだけど、良い子だし、可愛いし、友達になりたいと思う。
だけどこの学校は『宰相』の手の中にある。
未来を担う若者たちは、宰相にとって都合のいい思想に染められている。ミストラル家を善、イヴェール家を悪とする単純な二元論に。
それに染まらないのは俺だけだ。余計なしがらみもなく、自由に動ける『無能者』だから。
つまり、クレールを助けられるのは、俺だけってことで……。
「はぁ……なんか今、肩にズシッて重たい物が乗っかった気がします」
「あら、言われてみれば先生にも見える気がするわ。ジロー君の肩のあたりに、処刑されたイヴェール公のお姿が」
「ちょ! 勘弁してください!」
アハハ、と明るく笑った先生の声に、ぐっすり眠り込んでいた先輩方が何事かと飛び起きた。
◆
充実した時間を過ごした後は……やはり疲れる。
四コマ目の授業が終わるのは午後七時半。
科学が魔法に置き換わっているものの、地球と大差ないルールで動くこの世界には、すでに夜の帳が下りている。
暗闇の中には、魔獣の気配が漂う。
結界が張られた校内とはいえ、百パーセント安心はできない。人間をシャットアウトする結界魔法も、魔獣ならあっさり破ってしまう。
だから遅い時間のカリキュラムは人気がない。校舎に残った生徒たちも、皆バタバタと慌ただしく帰り支度をしている。
そんな中、俺はのんきに校内をぶらついていた。
俺にはまだ学校でやらなきゃいけないことがあった。学部長から「一日の出来事を報告せよ」と命じられていたのだ。
今日だけでも、ややこしい事がたくさんあった。
何をどう伝えるべきか……疲れた頭ではうまく纏まらない。
ぼんやりと歩いていた俺の鼻に、微かな芳香が届いた。甘く優しいその香りに誘われ、研究学部校舎の裏手に向かうと。
「ここは……薔薇園か」
情緒なんてものはさほど理解できないはずの俺にも、肌で分かった。
この庭には格別の趣がある。
特に、月明かりを浴びて佇む校舎とのコントラストがいい。古代の宮殿を模して造られた白亜の校舎は、どことなく厳かで幻想的だ。
そんな校舎に華やかな彩りを添える、美しい薔薇の花。
「そういや、今はちょうど薔薇の季節だっけ……にしてもすげーな、この数」
千紫万紅と広がるその光景にただ圧倒される。庭園の奥へ奥へと足を踏み入れ、うっとりと眺めてしまう。
前世の俺には花を愛でる趣味などなかったのに……と考えて、ハタと気づいた。
もしかしたら、この薔薇も『研究』の一部なのかもしれない。薔薇には人間の魔力を高める効果があるのかも。地球でも、お香は『呪い』に良く使われているし……。
なんてことを考えていると。
薔薇園の向こう、今さっき俺が通ってきた校舎沿いの壁際から、なにやら不穏な声がした。
「――ッ、離せ!」
女子にしてはやや低めのアルトの声。その声には聞き覚えがあった。
※誤字修正しました。




