その2 天才魔法騎士の名
「――ちょっと待て、お前……ジロー!」
夕暮れに染まりつつある校舎の中、午後三の授業に向かう俺を呼び止めたのは、スレンダーな黒髪の美少女だった。
「何だよ、クレール。俺次の授業あるんだけど」
「ではわたしもそれを受ける。何を取っているんだ?」
「魔法教育論」
「はぁ? なぜそんな子ども騙しの授業を?」
「子ども騙しっつっても、一応『教職』には必須だし」
「お前は研究者を目指すんじゃないのか?」
「いや、小学校の先生だけど」
俺が答えると、クレールはガックリと肩を落とした。どうやらさっきの授業で妙な誤解をさせてしまったらしい。
人気のない廊下を歩きながら、俺はテキトーに解説する。
「『魔法構築学』を取ったのは、ホント偶然なんだよ。その前に受けた『魔法攻撃実践』の授業で、ちょっと面白いことがあってさ。クレールは、アンジュって女の子知ってる?」
「……いや、知らないが」
「けっこう有名な子だと思ったんだけどな。まあ、その子はお隣の神官学校から越境してきてる『無能者』で、魔法攻撃を完全に無効化する力があるんだ」
「なッ、バカな!」
「いやマジで。俺もビビったんだけど、よく考えたら不可能じゃないって気がしたんだよ。第二工程にある魔力を第一工程に引き下げるような『魔法式解除』の呪文でも使ってんのかなぁと思って。ただ彼女自身は狙ってやってるんじゃなく、先天的に会得してるっぽい」
「先天的に……つまりは『天才』ということか」
「アンジュに関して言えば、『防御の天才』って言い方になるかな。まあ魔力が無いから攻撃はできないし、実際に魔獣なんかと戦うのは厳しいだろうけど。それに本物の天才は……俺も良く知ってるし」
「本物の天才?」
「俺の幼なじみ。来年にはココに入学することになってる」
「そうか、それは楽しみだな」
……と言われたところで、素直に頷けない俺がいる。
というか、想像するだけで頭痛がしてくる。
思い起こせば、俺は常にペルルの『ストッパー』になってきた。村に損害を与えたり環境破壊をさせないように。
だから俺は、ペルルの真の力を知らない。
例えばペルルがあの河川敷に立って、「思う存分魔法を使っていい」と言われたとき、どれほど派手なことをやらかすか……。
しかもペルルは、魔法のバリエーションもすごい。思いついたことをテキトーに魔法化してしまうのだ。
俺が『魔力』を返してもらったときもそうだった。
あのとき俺は、癒やしの魔法式を構築しようなんて一切考えていなかった。ただ強く願うだけで、身体から溢れる魔力が勝手に皆を癒やしてくれた。
冷静に振り返ると、時を巻き戻すようなアヤシイ魔法を使ってた気もする……。
「まあ、とにかく俺の近くには天才がいて、その中身を少しでも知りたいって好奇心から魔法構築学を選んでみたわけだ。もちろん俺自身は『無能者』だし、自分には一切関係ないからこそ純粋に興味が持てるんだけどな」
軽く言ってみせると、クレールは艶やかなその瞳を痛々しげに伏せた。
そして唇をキュッと噛み締めて。
「……悪かった。さっきはお前の気持ちも考えずに、好き勝手なことを言ってしまった」
「なんだよ急に」
「わたしは、誰よりも強くなりたい……その一心で今ここにいる。それは『強くなれる』という前提があっての発想だ。お前のように、どんなに努力しても強くなれない人間がいるなどとは思ってもみなかった」
グサリ。
胸に鋭く突き刺さる発言だった。
想いが純粋な分、シモンたちに笑われるよりキツイかも……。
「それに、他人のことを考え、他人のために学ぶという姿勢も全くなかった。だからわたしはダメなのだな。もう半年もこの学校にいるというのに、周囲とは大きな壁ができたままで……」
凛とした背中がだんだんと猫背になっていく。このまま放っておけば、そのうち頭が地面にめりこみそうだ。
なるほど、こうして言わなくていいことを口にしてしまうから、周りに敬遠されるんだな。
一見冷たそうに見える容貌も相まって、ぼっちになってしまう悪循環、と……。
「じゃあ、俺と友達になろう」
「えっ、いいのか?」
パッと顔を上げたクレールが、漆黒の瞳をキラキラと輝かせる。
もしクレールに尻尾が生えていたら、千切れんばかりにぶんぶんと振られていることだろう。
このギャップ、けっこう可愛いかもしれない。
「これから半年は同じ授業に出るわけだし、こうしてフツーに話してる時点でもう友達ってことだろ? 別にわざわざ確認するようなことでもない」
「だがわたしは……その、『特別』な人間だぞ?」
……また貴族様かよ。
と思ったものの、まいっかとスルー。
「別にこっちは構わない。俺は田舎生まれの平民だから、相手がどんなお家柄だろうと関係ないし。とりあえず、長ったらしい名前の解説だけは勘弁してくれよな」
「ありがとう、嬉しいぞ我が友よ!」
そう言って、クレールは俺の手をガシッと掴んだ。
ガシッと……。
その手から迸る圧倒的な魔力にあてられ、俺はクラリとよろめいた。
まさかここにもペルル並の『天才』がいるとは……。
「わたしの名は、クレール・フロワ・イヴェールだ。よろしくな!」
イヴェール。
それは『革命』の際、宰相ミストラルに最後まで抵抗を続けた、天才魔法騎士の名だった。




