その1 美少女との舌戦
魔法構築学。
この授業は、魔法学校の一年生にとってはなかなか敷居が高い。
というのも、内容がむちゃくちゃ細かくて小難しいからだ。魔法の研究者を目指すくらいの覚悟がないと付いていけない。
魔法攻撃実践の授業でカルチャーショックを受けた俺は、午後二の授業をコレに決めた。
そういや学部長のおっさんにもコレをオススメされたな……と若干もやもやしつつ到着した教室は、見事なまでにスッカスカだった。
受講する生徒は、俺以外にわずか四名。
そのうちの三名は三年生の男子で、この学校では珍しいひょろっとしたもやし系。
そしてもう一人は、一年生の女子。魔法学部を示すスカイブルーのリボンタイをつけた、やはり人目を引くような美少女だ。
ただし雰囲気は、かなりダーク系。
身長百七十弱とスレンダーな体躯に、艶やかな黒髪ショート。黒目がちな瞳に長い睫、スッと伸びた鼻にふっくらとした唇、やや浅黒い肌。野生の豹のように鋭い眼差しと、右目の下の泣きぼくろに大人の色香を感じ、ついドキッとしてしまう。
彼女の名前はクレールというらしい。
それを知ったのは、先生が点呼で呼んだからだ。
季節はずれの転入生である俺に配慮し、「皆さん自己紹介を」と言ってくれた白髪のおじいちゃん先生に対し、クレールは「必要ありません」と一刀両断。
まるで手負いの獣のようにピリピリとした空気を纏う彼女に、俺は「強引に握手でもしちゃるか」と一瞬思ったものの、さすがに自重する。
もし握手したとしても、俺の方に『好意』が薄い限り、悪影響しか及ぼさないだろう。
まあ俺も、誰彼構わず仲良くなりたいなんて思っちゃいないし。
というか……あのミストラル兄妹を転ばせたのは、ちょっとした奇跡だった。
さっき別れ際、アンドレに「魔法構築学は、来年取るから……」とボソボソ言われたときは、さすがに罪悪感を覚えた。なんだか無理やり洗脳してしまったみたいで。
そしてアンジュも「わたくし、こちらの学校に編入しようと思います……」とかもじもじしながら言っていた。俺の罪悪感は二倍に。
まあこれからは、やたらめったら他人に触らないよう注意しようと心に決め、授業に集中する。
「ではジロー君のために、今日は『魔法論』のおさらいから始めようかのぅ。一口に魔法と言っても、いくつかの工程や種類がある。具体的にどのようなものがあるか、言ってみなさい」
「はい」
先ほどの賑やかな授業とは比べものにならない、落ち着いたスタートだった。
ガランとした教室の中に俺の声が響く。
「この世界の人間は、三才から五才にかけて『魔法』を使い始めます。それは意図的なものではなく、単に大人を真似ようとする行為です。その後、炎や水を生み出したり、肉体に働きかけることで超人的な身体能力を発揮できるようになる……これが魔法の第一工程です」
流暢に答える俺に対し、全員が揃って頷く。
本題は、ここからだ。
「第二工程として、魔力の変形が挙げられます。水を氷にしたり、火を火球にしたり。変形には多大な魔力を消費するため、通常は『魔石』を埋め込んだ杖を利用しますが、もちろんそれだけでは片手落ちです。第二工程へ到達するためには、特別な才能が必要……と思われがちですが、変形させるための『鍵』さえあれば簡単なんです」
「ほほう、面白い解釈じゃの。その『鍵』とは何ぞや?」
「呪文です」
俺がそう告げた途端、三人の男子がぶはっと吹き出した。
「おいおい、さすがに呪文はないだろ」
「呪文なんて使ってたのは、いつの時代だと思ってんだ?」
「さすがは無能者だけあって、なかなか斬新な解釈でござる」
……コイツらうぜぇな。
と、俺が心の中で呟いたとき。
「黙れ」
刃のごとく鋭い声を放ったのは、先生ではなくもう一人の生徒――クレールだ。
彼女はよほど集中しているのか、舌打ちする男子生徒に見向きもせず、真っ直ぐに俺を見据えて。
「ジロー、続きを」
「お、おう……えーと、そもそも魔法というものは、一握りの天才が偶発的に生み出すものです。例えば、この国の初代皇帝は『千年に一人の天才』と伝えられていますが、彼が生み出したのは古代魔法――呪文を必要とする魔法であったため、呪文を記した文書の消失により全てが失われてしまいました。結果『無詠唱』という手法が編み出されたのですが……今度は魔法の水平展開ができなくなりました。一握りの天才の『家』にのみ高度な魔法が継承され、その『家』が貴族となり、いつしか魔法は貴族の財産として隠されるものになってしまった」
「ではこの学校の立場はどうなる? 魔力を持つ全ての若者に門戸を開き、あらゆる魔法を伝授しようという姿勢は、『家』のやり方とは矛盾するのではないか?」
机の上に肘をつき、両手を固く握りあわせたクレールが、ギリッと睨みつけてくる。
俺はその視線をさらりと流した。
「この先は完全に俺の推測だけど……革命の後、宰相アルベール・ヴァン・ミストラルは、地方の貴族たちを支配するために一つのアイデアを実践した。それが国立魔法学校の設立だ。もちろん、貴族の跡取りである若者たちに都合のよい歴史認識を刷り込むという狙いもあっただろうけど、本当の目的は、それぞれの家の隠し持つ財産――『呪文』を盗み出すため」
「馬鹿なことを! 先ほど彼らが言った通り、『呪文』などという原始的な手法はとうの昔に廃れている! 口に出されないものをどうやって盗むというのだッ?」
「呪文は声に出さずとも、各々の心の中で呟いているはず。そんな心の声は『魔法式』として図式化される。ではもしも、発動した魔法から、魔法式、呪文と逆算して読み解ける人物がいるとしたら……?」
俺が投げかけた疑問に、拍手で応えた人物がいた。先生だ。
「面白いのぅ、ジロー君。君の仮説は実に面白い。だがそれはあくまで仮説じゃな……証拠はどこにもない」
好々爺然とした先生の、落ちくぼんだ瞳がキラリと光った。俺は皮肉気な笑みを返す。
「確かに証拠はありませんね。それに状況証拠も」
「状況証拠?」
「はい。『呪文』をいくらかき集めたところで、知識は知識でしかない。それを使いこなすにはやはり才能が必要……今のところ、それだけの才能に恵まれた人物は現れていないみたいですね?」
もしもそんな人物が存在したら……。
この国は、北の隣国ごときに手こずったりしていない。ミストラル宰相は世界を牛耳るべく、その人物を“勇者”にまつりあげていることだろう。
俺が全てを言わずとも、先生には伝わったようだ。枯れ枝のごとき腕を組み、うんうんと何度も頷いて。
「なるほど、ジロー君の言う通りじゃ。複雑な『呪文』を声に出さず、頭の中で『魔法式』に変化させる……その緻密な構造式をありとあらゆる種類記憶できる者、しかも瞬時に発動できるほどの魔力を持つ人物など、そうそうおらんわなぁ」
「だからこそ、それらの魔法式を簡略化させ、魔法効率を高めることに意義がある……つまり『魔法構築学』は非常に有意義な学問ってことですね」
「その通りじゃ! しかしごらんの通り、生徒たちにはさっぱり人気がなくてのぅ」
カッカッカと声をあげて笑い出す先生を、呆気にとられて眺める他の生徒たち。
俺は先生に、「来年はそこそこ人気になりますよ」と予言のような一言を伝えた。