その5 兄妹の陥落
あまりにも想定外の展開に、つい口が半開きになってしまう。
しかし生徒たちは「待ってました!」とばかりに手を叩き、空が割れんばかりの大歓声を上げる。
そのとき、俺はようやく理解した。
彼らがここに来るのは、お人形のように微笑む美少女が目当てじゃない、その勇姿を見たいからなんだと。
「今日こそは、手加減なしでお願いいたします」
「フン、相変わらず生意気だな、アンジュ」
俺から三十メートルほど先の位置で、絶世の美女と美少女が相対する。その構図だけで何となく興奮してくるのは、女子プロレスを観覧するのに近い感覚かもしれない。
あたかもマイクパフォーマンスのように、アンジュが先生を挑発する。
「生意気な口をきけば、少しは本気になってくださるでしょう?」
次の瞬間、ひらりと深紅の鳥が舞った。
アンジュが、自らローブを脱ぎ捨てたのだ。
「ローブ無しで、いったいどうやって……!」
思わず声を漏らした俺に向かい、アンジュは悪戯っ子のような笑みを投げて。
「ジロー様、先ほどのご質問の答え……なぜわたくしがここにいるのか、その理由をお見せいたしますわ」
ローブの下に着ていた純白の法衣の裾が風に煽られ、まさに天使の羽のようにふわりと舞い上がる。
――今から何か特別なことが起きる。
俺はドキドキする胸を押さえながら、その時を待った。
アンジュに対抗するかのように、手にした杖を放り出した先生が、右手を高く掲げる。
その指先に浮かんだのは、赤々と燃える灼熱の火の玉。
あたかもマウンドに立つピッチャーのように、先生はそれを全力でアンジュに向かって投げつけ――
「やはり今日も手抜きをなさるのですね……残念です」
思わず目を閉じてしまった俺は、決定的なシーンを見逃した。
瞼を持ち上げたとき、火傷を負い倒れる少女はどこにもいなかった。柔らかな笑みを湛えたままのアンジュは、白魚のような手を胸の前に突き出している。
火の玉は、跡形もなく消えていた。
「フン、まだ勝負はこれからだ」
「望むところです」
不敵な笑みを浮かべた先生が、次々と火の玉を投げつける。そのサイズはしだいに膨れ上がり、最後は小型の太陽と見紛うほど巨大なものになった。
しかし、アンジュには届かない。
全てはアンジュの手のひらに触れると同時に消えた。パチンと弾ける無力なシャボン玉になって。
炎だけでなく、氷の刃も光の矢も……何もかもがアンジュの前に沈黙した。
「……やはり、お前と戦うのはツマランな。ワタシの魔法とは相性が悪すぎる」
苦しげに口元を歪めた先生が、ついには白旗を上げた。くるんと踵を返し「適当に二人組になって実践練習ー」と言うや、地面に座り込んでしまう。
さすがにあれだけの魔法を生み出したんだ、たぶん魔力は半分以上減っているはず。
魔力が減るってことは同じくらい体力も減る。先生は疲れを誤魔化すかのように、煙草を取り出し一服し始めた。
一方、アンジュはというと、バトル前と変わらない涼しい顔をして。
「お手合わせいただき、ありがとうございました」
丁寧にお辞儀をするや、ローブを拾い上げ、パタパタとこっちへ駆け寄ってくる。復調した兄貴が大声で呼ぶのも構わずに。
「ジロー様!」
「おー、お疲れさん」
「いかがでしたか? わたくしの戦い方は、あまりにも地味で退屈だったのでは」
「いや、びっくりした。ベテランのキャッチャーみたいだったぞ」
野球が存在しないこの世界では意味が通じないと分かっていながらも、俺は素直にそう言うしかなかった。
先生の投げる火の玉は、直球ばかりじゃなかった。高く飛び上がって投げおろしたり、カーブをつけたり。
それらを軽く受け止めてしまうその手があまりにも不思議で。
「……あ、あの、ジロー様?」
「どー考えても普通の手だよなあ。魔力も感じられないし。なんでコレに触ると魔法が消えるんだ?」
ペタペタにぎにぎ。
箸より重いものを持ったことが無さそうなその手を、知的好奇心の赴くままに触り続けていると。
「貴様、我が妹に何をしている……!」
気づけばアンジュの背後に、悪鬼の形相をしたアンドレがいた。
でもそのときの俺は、無邪気なマッドサイエンティストモードで、多少睨まれようがノーダメージ。
「アンドレ、お前の妹すげーな。お前もこういう力あったりすんの?」
思う存分触りまくったアンジュの手を離し、今度は兄貴の手を握ってみる。アンジュとは何もかもが違う、ゴツゴツして骨ばった男の手だ。
ペタペタにぎにぎ。
「や、やめろ……離せッ!」
「お前の方はふつーに魔力たっぷりだよなあ。つーかこの魔力、すげー濃厚。これだけ力があって先生にボロ負けするのおかしくね? 『魔法構築学』あたりの授業取って、もうちょい魔力変換率の勉強した方がいいかもな」
「う、うるさい……僕に命令するなッ」
カーッと顔を真っ赤にしたアンドレが、俺の手を強引に振り払った。
そこで俺は、ハタと気づく。
揃って顔を赤らめた美形兄妹を交互に見やり、その後自分の手のひらをジッと見て。
「あれ……もしかして、コレって」
生まれてすぐ、ペルルの手を握ったときもそうだった。
寺子屋で生徒たちの頭を撫でたときも。
銀色狼を助けたときも、その後魔法学校のおっさんらを助けたときも。
俺が何らかの意志を持って触れたとき、相手は必ずこんなリアクションをするような……。
「あのさ、お前ら、俺のこと……好き?」
「え、えっと……わたくしは……」
「バカな、貴様ごときをこの僕がッ!」
トマトのように赤くなった二人の顔色が、その事実を如実に物語っていた。
全ては、女神様の教え通り。
……どうやら俺が与えた『好意』は、二倍になって返ってくる、らしい。




