その3 魔法学校への刺客
「ねえ、ジロー君。午後からの選択授業どれにするか決めた?」
「魔法心理学おすすめだよー。わたしも受けてるし、案内してあげる!」
「あたしは都市防衛論がいいと思うなッ」
入学初日の昼休み。
学部長のおっさんにもらったランチのチケットを片手に、やたらゴージャスな学食のテラス席に落ち着いた俺は……なぜか女子たちに取り囲まれていた。
さすがは貴族のご令嬢。髪や瞳の色は違えど、可愛らしい子ばかりだ。長い髪を背中へ下ろし、紺色のブレザーに膝上丈のミニスカートを穿き、何とも言えないイイ匂いを撒き散らしている。
例のアンドレに目を付けられたおかげで、クラスの過半数を占める男子は一切近寄ってこない。
しかし、女子にとってはクラスのパワーバランスなんてものは関係ないようで、皆は初めて接する『無能者』に興味津々。
あれこれと質問され、ローブの下に隠した水筒を見せたりしているうちに、彼女たちには「面倒みてあげなきゃ!」という慈愛の心が芽生えたらしい。
目下の悩みである、午後からの選択授業についても親切に教えてくれたのだが。
「うーん……マジで決めらんない。目移りするな」
テーブルの上に広げたカリキュラム表を眺めるだけで、頭がこんがらがってくる。
魔法実技系を除くとしても、さすがに選択肢が多すぎる。どれもこれも『神童』である俺の知識欲をくすぐる内容なのがやっかいだ。
――この学校のしくみは、日本の大学に近い。
結界付きの塀で囲まれた広大な敷地の中は、三つのブロックに分かれている。
魔法全般を学ぶ『魔法学部』、治癒魔法がメインの『医療学部』、そして俺が所属する『研究学部』。いずれも優秀な魔法騎士候補生ばかり、約二千名が通うマンモス校だ。
学部が別でも授業に垣根はなく、学生はいつでも好きなカリキュラムを選択できる。一応クラス分けはされているものの、午前中の必修科目を一通り取ってしまえば、あとは自由だ。午後からの選択授業は、一コマ一時間半で、四コマまで受けられる。
俺は半年分の“飛び級”をした形になるから、かなり無理をしなきゃ成績をあげられない。
少しでも皆に追いつくために、できるだけ効率良くカリキュラムを組みたいところ……。
「でもジロー君なら、お隣に行くって手もあるんじゃない?」
クラス委員をしている眼鏡っ子の女子が漏らした途端、その場にいた全員が彼女を睨みつけた。「余計なこと言いやがって」という顔をして。
俺は空気を読まず、あえて直球で訊いてみる。
「お隣に行くって、どういうことだ?」
「え、えーと、隣接する神官学校のこと。今年からうちの学校と提携して、向こうの授業も受けるられるようになったみたい……もちろん、うちの授業の方が全然楽しいけどね?」
つけ加えられた最後の台詞は、俺の世話を焼きたがっている女子たちに配慮してのことだろう。俺は素直に「ありがとう」と頭を下げた。
なるほど、確かにそれは盲点だった。
神官学校は元々通うはずだった場所だし、無能者も多数いると聞く。そっちの授業も受けてみたい気がする。
「――ダメだ」
ズイッと首を突っ込んできたのは、丸々と肥えた狸のようなおっさん。
「……学部長、相変わらず神出鬼没ですね」
「己の気配を消す『石ころ魔法』は、この私が開発したものだからな。君たちの話は全て聴かせてもらったぞ。神官学校の授業に出ようなど言語道断! ジロー君は『魔法構築学』と『近代皇国史』に出るべきなのだ!」
生徒たちの間でも“ヘンタイ先生”と呼ばれ恐れられている学部長が、盗み聞きを堂々と暴露する間、女子たちがそろりそろりと忍び足で遠ざかっていく。
俺はこめかみを抑えつつ、キッチリと釘を差した。
「今の発言はさすがに横暴ですよ。確かに俺は学部長の世話になってますけど、俺に命令したり強制するようなことはしないって約束したはずじゃ」
「こ、これは命令ではない、暗黙のルールだ。小賢しい神官どもと、我ら高潔なる魔法騎士は相容れない存在!」
「……まあ、事情は薄々分かってますよ。国家予算の補助金争いで負けっぱなしなんですよね。向こうの方が実になる研究してるからって。でも逆恨みするのは筋違いじゃないですか?」
「ぐむぅ……そ、それとこれとは別問題だ! ヤツら神官どもは、その麗しい美貌でもって我ら魔法騎士を骨抜きにしようと『提携』など持ちかけてきおる……無能者との間にある垣根を無くしたいなどと、いかにも崇高な建前を持ち出しおって!」
「素晴らしいことじゃないですか。やっぱり俺、午後からは神官学校に行」
「ダメダメ! 絶対ジロー君、あっちの方が居心地良いって思うから! 『やっぱり向こうの学校入り直します』って言うから! そういう編入制度も整っちゃってるから!」
……と、本音をダダ漏れにする学部長があまりにも残念で、俺はついほだされてしまった。まあ、魔法学校の授業もフツーに面白そうだし、ここは譲歩してやろう。
「でも、どーしても気になるんですよね。俺まだ他の無能者に会ったことないし、もしかしたら俺みたいな特殊能力持ちがいるかもしれないし」
俺の呟きは、マッドサイエンティストの心の琴線に触れたらしい。
ぐむむむむ……と低い唸り声をあげた後、学部長は一つのカリキュラムを指差した。
「ならばこの授業を取りたまえ。ここには神官学校からの『刺客』が紛れ込んでいるからな!」
◆
魔法攻撃実践。
ずらりと並んだカリキュラムの中で、最もご縁がなさそうだと思ったその授業は、当然屋内ではなく野外で行われる。
集合場所は、学校の真北に位置する大河の河川敷。
そこは大勢の生徒たちで賑わっていた。
正式な参加者は、昼休みに行われた抽選で六十名に絞られているのだが、諦めきれなかった生徒たちが土手の上に黒山の人だかりを作っている。
ちなみに俺は『学部長チケット』で六十一人目に滑り込むことができた。
担当する先生は、意外なことに若い女教師だった。うちのクラスの担任と同じく二十歳そこそこで、茶髪巻き髪のセクシー系美女だ。
ゆったりとした黒いロングワンピースに、講師の証である黒いポンチョを羽織るという魔女風スタイル。それらの生地は俺のローブと同じものだろう。
つまり彼女は、強烈な魔法攻撃を受ける可能性があるってことで。
そして川岸には、『魔法医療実践』の生徒たちが整列している……。
「フン、あの狸の推薦状か……まあ良かろう、今日のところは見学でもしておけ。恐れをなしたならいつでも逃げだすが良い」
騎士というより軍人を彷彿とさせられる、キツめの男口調と挑発的な視線。なまじ美人なだけに迫力がある。
でも、俺だって伊達に十五年もペルルの傍にいた訳じゃない。
「まあ大丈夫ですよ、強烈な魔法は見慣れてますんで」
「ほぅ……ずいぶんと大口を叩いたな。後で“刺客”を見て腰を抜かすなよ?」
ニヤリ、と不敵に微笑む先生。自信満々だった俺も、ちょっとだけ不安になる。
ギャラリーの数は軽く百人以上。彼らは当然、単位を取得できない。それでもここに来るってことは、この授業にはそれだけの価値があるということだ。
はたしてこれから何が起こるのか?
禁呪と呼ばれる恐ろしい魔法が飛び出すのか、はたまた失われた千年前の古代魔法が再現されるのか……。
内心ドキドキしながら授業開始の号令を待っていると。
「貴様ら邪魔だ、どけ!」
……なんだか嫌な感じの声が聞こえた。
土手の向こうがざわざわしている。やたらと横柄な物言いで人垣を崩そうとするその声は、俺が午前中げんなりさせられた『歴史の授業』の声だ。
おえー、と思っていると、案の定地味キャラのロドルフ君が現れた。他にも五名の取り巻きたちが、王様であるアンドレのために道を作って……。
いや、そうじゃない。
アンドレは王様じゃなく“ナイト”になっていた。
一人の少女の手をとり、うやうやしくかしずきながら、土手に作られた階段をゆっくりと降りてくる。
アンドレに護られた少女こそが、まさしく『王女』であり、この舞台の主人公。
……まるで本物の天使のような、美しい少女だった。
秋風をはらんでふわりと靡く、波がかった金色の長い髪。眩しげに細められた碧い瞳は、本物のエメラルドにも勝る輝きを放つ。楽園の乳を集めたかのような白い肌に、形よい鼻と桜色の唇。
神がかるほど可憐な少女は、その姿にふさわしい特別な衣装を着ていた。
俺とおそろいの、深紅のローブを。




