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その1 赤ん坊になった

「――ほんぎゃぁぁぁぁあああ!」

 あー、うっせぇ。

 赤ん坊の泣き声、マジうっせぇ。

 まあ、俺自身も十六年前に通ってきた道だし、仕方ないっちゃ仕方ないけど。

 ……なんてことを考えながら、俺は浅い眠りから目を覚ました。

 ひとまず大あくびを一回。新鮮な酸素をめいっぱい吸い込んで、ゴシゴシと目を擦り、自分のすぐ隣で泣き喚く赤ん坊を見やる。

 そのとき、俺は違和感に気付いた。

 何だか縮尺がおかしい気がする。この赤ん坊、異常にデカい。

 ていうか、俺が小さい。

『え、なんで?』

 と発したはずの声は「あぶあぶ」という赤ん坊の声だった。

 ……おかしい。何もかもがおかしい。

 俺は普通の高校生で、さっきまで通学電車に揺られていた。「今日は座れてラッキー」とか思って、さっそくヘッドホンを装着してうとうとしていたはずで。

 そういや、その後電車が急ブレーキをかけた気がする。そして身体にものすごい衝撃が走ったような。

『……もしかして俺、死んだ? ここ、天国?』

 あぶあぶあぶ。

 問いかけてみるも、意味不明な自分の声が響くのみ。

 しばし呆けた後、こんな仮説を立ててみた。

 ――俺は向こうの世界で死んだ。と同時に、この赤ん坊へ転生した。その際、なぜか前世の記憶がリセットされずに残ってしまった……。

 しかし、そんなことが実際あり得るんだろうか?

 悶々と悩む間にも、お隣さんの泣き声はますますヒートアップしていく。これじゃ考えもさっぱり纏まらない。

『おい、お前、なんでそんなに泣くんだよ』

 ぐにゃぐにゃ柔らかい身体をもぞもぞと動かし、ソイツににじり寄る。

 せめて母親が抱っこしてやればいいのに……と思ったものの、ぐるりと周囲を見渡せど大人は一人もいない。

 視界に映るのは、狭苦しい洋風の部屋に粗末な木製の家具。柵のついた小さなベッドに、俺たちは二人きりで寝かされていた。

『なあ、腹でも減ったのか? それともどっか痛いのか?』

 どんなに話しかけようとも、ソイツは火がついたように泣き叫ぶばかり。

 手でも握ってやれば少しは落ち着くかと、俺は丸っこい指先を伸ばし……。

 触れた瞬間、全てを理解した。今までの世界とは全く違うこの世界の理を。

 コイツには――魔力が無い。

 この世に生まれ落ちた生き物には必ず備わっているはずの、魔力が全く感じられない。

 だから呼吸が苦しいし、何より心が苦しいのだ。コイツは女神に抱かれているという安心感がなく、悲しみのあまり泣きじゃくっていた。

『つーか、なんだよ“女神”って……何で俺、生まれたばっかのくせにそんなこと知ってんだ?』

 口ではそう言いつつも確かに感じる女神の存在。たぶん俺をここに転生させたのも、その女神とやらなんだろう。

 それにしても、魔力が無いなんて可哀想に……。

 俺はソイツの唇に触れ、自分の魔力を指先から注ぎ込んでみた。

 そんなことができる、ということを不思議にも思わなかった。ただ当たり前のようにそうした。まるで女神に操られるように。

 俺の魔力を全て吸い取ったソイツは、嬉しそうに微笑んで、幸福な微睡みの中へ落ちて行った。

 そして、魔力を吸い尽くされた俺は……。


「――ほんぎゃぁぁぁぁあああ!」

 あー、うっせぇ。

 俺の泣き声、マジうっせぇ。

 ……。

 ……。

 いや、マジで苦しいんだって! 息も苦しいけど、それ以上にめっさ不安!

 近所に住んでた大学四年の兄ちゃんが、正月に「内定出ねぇ……」って呟いてたあれくらい不安!

 せめて俺の母親に抱っこされたい!

 と思ったら、やってきたのは産婆のばーさんだった。乳なんてとっくに干からびてる感じの、薄っぺらい胸の中であやされながら、俺はサイアクな事情を聞かされた。

「おーおー、可哀想に。お前さんにも分かるのかい? お前の母さんは今さっき天へ召されてしまったよ。お前さんに“ジロー”って名前だけ残してなぁ」

「ほぎゃッ?」

 ――マジでッ?

 得体のしれない不安感の一部に理由がつけられ、スッと治まっていくものの、代わりに嵐のような悲しみが襲ってくる。

 まだ俺は、自分が一度死んだってことすら受けとめ切れてない。

 地球に残してきた家族や友達や、何もかもがごちゃごちゃなのに、こっちの世界の母親まで失ったのか……。

「ほれ、そんなに泣くでない。隣の嬢ちゃんがびっくりしておるわ。今から神父様を呼んで、お前の母さんの魂をお見送りしてくるから、もう少し大人しく待っていておくれよ。それが済んだら、隣の嬢ちゃんの母さんが、お乳を分けに来てくれるからね」

 その瞬間、俺の涙がピタリと止まった。

 ……マジか。

 やっぱ吸うのか。アレを。

 哺乳瓶で人工ミルクってわけにはいかないのか。

 再びベッドに下ろされた俺は、チラッと隣の赤ん坊を見やった。産婆のばーさんが「嬢ちゃん」と言っていたからには、コイツは女の子なんだろう。俺の泣き声で目覚めてしまったのか、ぱっちりとしたブルーの瞳で俺をジーッと凝視している。

 赤ん坊はどいつも似たような子猿顔と言いつつも、コイツはかなり可愛い方な気がする。ちょろっと生えた銀色の髪も、キラキラして綺麗だ。

 コイツの母親なら、さぞかし……。

「あぶ?」

 ……何かを話しかけられた。

 俺がノーリアクションで固まると、ソイツはぷにっとした腕を持ち上げ、指先を遠くへ伸ばしてみせた。俺たちのポジションから斜め上にある窓の外へ。

 薄曇りの窓ガラスの向こうには、抜けるような青空が広がっている。そして雀っぽい小鳥がチュンチュン鳴きながら飛んでいた。

「あぶー」

 ソイツは小鳥を眺めるや、空中に伸ばした指先でくるんと円を描いた。

 すると……。

「ほぎゃッ?」

 なんと、目の前に『小鳥』が現れた!

 本物と見紛うような、でも薄らと透き通ったその小鳥が、パタパタと羽ばたきながら飛んできてベッドの木枠へ止まる。そして俺に挨拶するようにチュンと一鳴きしてみせると、パチンと音を立てて消えた。

 幻の小鳥の寿命は、シャボン玉より少し長い程度。

 それが不満だったのか、「あぶあぶー」と不機嫌そうに唸ったソイツは、ぐるぐると円を描き続けた。

「ペルルちゃーん、ジローくーん、お待たせ! お腹減ったでしょう? 今おっぱ……え?」

 約十分後、無造作に扉を開けた二十歳くらいの銀髪美女が、ブルーの瞳を零れ落ちんばかりに見開いた。

 そして。

「い……いやぁぁぁぁあああ!」

 ありえない数の鳥に埋め尽くされたその部屋から、一目散に逃げ出して行った。

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