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引っ越してすぐ、私は家のすみずみまで掃除をした。台所や床といった普通の場所だけでなく、天井や雨樋なども掃除をした。かなり気合の入ったものになったのは、どこか家全体が薄汚れていたから。前の持ち主である弥生さんは、綺麗好きとは言えない人だった。

弥生さんは私と十歳違いの三十の半ば。弥生さんの姉である、私の母とはかなり歳が離れている。弥生さんがまだ幼い頃に母は父のところに嫁いでいて、母が言うには、ほとんど弥生さんと何かしたという記憶がないとのこと。今でもたまに連絡を取り合うていどで、いっしょに住んでいた頃は、母は学校の友達とのおしゃべりに夢中で、弥生さんとあまり遊ばなかったそうだ。

この家は母が生まれ育った家ではなく、それほど仲の良くない母は、なぜ弥生さんがこの家に住むことになったのか知らないそうだ。

ただ母が、

「その家で生活を始めたころ、たまたま弥生と会う機会があったのだけど。そのときの弥生の顔にはなにもなかった。まるで、自分の感情が表に出てこないように、精一杯押さえつけているみたいで。」

そう、すこし辛そうに言っていたのを覚えている。


初夏のような五月。五月晴れ。引越し業者のトラックが走り去ると、家具やら、食器の詰ったダンボールやらが、ちょっとした山になっていた。女の私が運ぶには無理があるだろうと考え、前もって会社の同僚、北村祐二にそれらを運んでもらう約束をしていた。入社したてで付き合いの浅い北村に頼んだのは、彼氏の省吾が忙しかったのが理由のひとつ。年が近く、サバサバした性格だったのがひとつ。北村が、なんか引き受けてくれそうだったのがもうひとつ。案の定、あっさりと北村は引き受けてくれた。そんなこんなで、北村に大まかな家具の配置を伝えあとを任せると、私はオレンジ色のツナギに着替え、気合を入れて掃除に取り掛かった。

そこいらのホコリをハタキで落とし、掃除機を使わずに部屋という部屋をほうきで掃き、床や廊下を何度も雑巾で磨いた。この古い家の汚れ、時間のアカ、この家に住んでいた人の欲とか悲しみとか、そういった塊のようなものを私はどうしても許せなかったから。

途中から北村も加わり、何時間にもおよんだ大掃除は、疲労と達成感だけを残し、私の経験のなかで最も印象深く、最も気持ちの入ったものとなった。

日記はその掃除の最中に見つけた。日記はそこにあるのが当然といったように家の奥のほう、どこだか忘れたが家の奥のほうとしか言いようがない所にあった。

母親が胎児をその身体の全てをつかって暖め守っているように、この古い家は全力をもってこの日記を包み込んでいた。それは力強く静かだ。日記を内包することは、細胞がミトコンドリアと共存するように、息を吸うように、疲れを癒すように、恋をするように、とても自然な行為に思えた。

土にまみれた草の色、そんな色をした日記を見つけてからというもの、飽きることなく何度も読み返している。



『生きていると、誰かから、なにかから期待されているように思う。

そんなことないのにそう思い込んでいる。

押され、叩かれ、小さくかたくなっていく。

それが細かく砕かれ幻のように消えていく。

それは自分で招いたこと。呼ばなくていいのに招きいれてしまう。

本音は逃げたいと思う。自分が思い込んでいるいろいろなことから。

本当の音は「自由でありたい」

みんな私のことをどう思っているんだろう?

あの人はどう見ているのだろう?

好かれているの?

嫌われてるのかな?

今の私はワタシじゃない!

本当のワタシはこうなはず!

こんなんじゃいけないよ!

いっぱい、いっぱい』



 なんの予定もない日曜日に、お昼を食べたあとゆっくり日記を読んだ。

夜に、風呂から上がり濡れた体を気にもせず、ビールを飲みながら日記を読んだ。

朝には顔を洗うように、毎夜、布団のなかで意識を手放すまで、緑の表紙の手触りを確かめた。

 そんなふうに毎日のように日記に触れていると、日記がないと落ち着かなくなってしまった。これが俗に言う依存症というものだろうか。アルコール依存、麻薬依存、タバコ依存うんぬんかんぬん。一冊の日記に依存しているというのは、聞いたことがない。

 両親や長い付き合いの友達、お気に入りの散歩コース。そばにあって当たり前のものがないと寂しい。まあ、そんな感じ。一種のお守りのようなもの。

そうこうして、日記が身体の一部のようになってくると、やはり気になるのは「誰が書いたのか」ということ。

弥生さんが書いたのだろうか。それとも弥生さんに近い人が書いたのだろうか。恋人、友人、いっしょに住んでいた人。どれも正解のように思え、どれもがピンとこない。そもそも日付もなく、何を言いたいのかわからない。へたくそな詩のようで、子供の落書きのようだ。

ただひとつ判るのは、日記のなかに出てくる”あの人”が、日記を書いた人にとってとても大切だったということ。

そんな深い緑の一冊を私は日記と呼んでいる。書いた本人しかわからない思いの丈を綴ったもの、それもまた日記だと思うから。本当の理由はこれを日記と言うことが、なんだかしっくりきたからだけれど。


縁側に座り庭を見ながらぼんやりする。花が散り私の好きな「桜の木」になった桜が見える。あぐらをかき、髪を後ろで軽く結い、化粧もせずぼーとしている私。ご近所の人達からいったいどんな風に見えているのだろう。「女、捨てちゃっているわね」とか思われていたら、ちょっと嫌だ。

淡い色たちがこの家で踊り遊ぶ。混じりけのない黒が太陽にゆっくりと焼かれ、焦げた茶色になった柱。生命が溢れる緑の色が、力を使い果たした薄い畳の色。青になりそこねたコーヒー。毛が生え変わるときの白に近い茶色の犬。

桜の葉がいくつか舞い降りてくる。右に左にゆるりゆるり。犬が遠くの敵を狙う砲台のように咆えた。なぜだか、散り落ちた桜を見ていると喉が渇いてくる。



 『桜の木に新しい葉が芽生え、やさしく元気な緑から穏やかで平静な緑にかわる。

その深くちょっとだけ暗いその色を、日常のひとつとして気にならなくなるころ、

すこし哀しくなる。

別れ際に「さよなら」を言われたときのように。

それがゆっくりとからだ全体に広がっていく。

それを感じているのだとわかってくる。

ぼくはいつでもぼくだけれども、からだの中心にある、ぼくの核みたいなもの。

細くて猫の目のようなぼくの芯がポロリとこぼれ落ちる。

失ったのだ、ぼくの大切なもの。

桜の花はぼくの宝物、おぼろげで硬く、やわらかで鋭い。

一枚一枚わずかに違う色をした花びらが、集まりかさなり広がっていく。

それが桜色。

ぼくの好きな色。

今年はおわってしまったけれど、また春が来れば花開く。

明日「おはよう」と言い合えるように。

綺麗に、たくさんたくさんすいこんで、どうどうと潔く咲き誇る。

がんばっていこう、大切なものがなくなってしまったけれど。

ぼくは生きていく。

桜が咲くまで。

また会えるから。』


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