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古い紙の匂いがする。ざらついた手触りのする深い緑の表紙、それを開くとインクのにじんだ文字を見ることができる。この家で見つけたある人の日記帳。
外はカンカン照り。温度計は30度を越し、刺すような日差しが降り注いでいた。夏の暑さで汗ばんだ体を、窓から侵入した一陣の風が通り過ぎて行く。
私は畳に寝転びながら、額の上にサイダーの入ったグラスを乗せ、その冷たさを味わった。
薄いノースリーブとホットパンツでは、女としては少しはしたないかなと少しだけ思う。目の前には、木目の美しい天井板。ひとつ小さく開いた穴から、深く暗い世界を覗くことができた。
グラスから滴る水滴が、髪の間をすうっと落ちていく。目を閉じ、鼻をひくひくとさせ、日記の匂いでいっぱいにする。私はゆっくりと息を吸い、そして息を吐いた。水滴が頬を伝う、涙のあとのように。濡れた畳が緑のシミをつくる。名残惜しくもグラスをテーブルに置き、心地よい冷たさを手放した。
蝉の声が煩く耳に届く。短い一生を謳歌しているのか、短すぎる生を嘆いているのか。それは誰にも判らない。顔の上で日記を開く。すこし日焼けしたページをめくると、下手くそな一文字一文字がいつものように現れた。
『自分の領域がとてもせまい。
すべての事柄をすべて知っているかのように、毎日がくりかえし同じことで過ぎている。
僕の領域を広げようと心に決めても、今、僕の心はすすけた白い殻のなかでうずくまっている。
あの人に笑顔を見せたい、けれど私は顔をふせてしまう。
あの人といっしょにいたい、けれど離れようとする私がいる。
傷つけないように、傷つかないように。
僕しかいない一人ぼっちの世界。』
私がその日記を見つけたのは桜の花が咲き始めた季節。
物言わぬ桜の木々がおびただしい数の蕾をつけ、そのすべてが同時に、抜駆けもせずいっせいに花びらを広げるそんな頃。桜の花が咲き誇り、桜色の雲の下にいると、なんだか童話の世界の住人になったように思う。
この頃になると、いつか花の数を数えてみたいという、よく判らない気持ちが芽生えてくる。花の一つに一人の人生。生きている人々の命が桜の花に宿り、風に飛ばされて散る花、しぶとく咲き続ける花、色々な人間模様を見せてくれる。そんな気がする。
花が散り葉桜になると、人々は桜の木を見向きもしなくなる。皆のなかで桜の木が、ただの木になってしまうのだろう。どうでもいいけど子供の頃に、
「桜花ちり 人もちりゆく 祭りあと」
と町内の俳句の会で詠んだところ、近所のお婆ちゃんから褒められたことがあった。
緑色の葉が茂り、桜の木がただの緑色した木になると、夏の匂いが微かにしてくる。誰も気にしない桜の季節が終わった木々。子供の頃からなぜだか私は、花びらのついていない緑の木を、「桜の木」と言っては喜んでいた。
畳から起き上がり、台所でヤカンに火をかける。ぎしぎしと音のする木の窓を開け、タバコをとりだす。まるい火をともし、息を吸う。ヤカンから出る白い蒸気が窓の中の風景を隠す。オレンジ色の光が点滅し、乳白色の煙の渦が浮かんでいる。
『ふっと止まっていることがある。
ずっと歩いてきたのに、あるとき止まっている自分に気づく。
教室の席に座り、黒板に書かれたものを書き写す。ただそれだけを黙々とこなす。
楽しいことを考えたり、窓の外を見たり、あの人のことを思ったりしない。まるで自分がいないような時間。
生きている中でそれはほんの一瞬のことだけど、その刹那に捕まると長くゆるやかな感覚のなかで溺れるのだ。
何度ももがいて、何度も苦しむ。
くりかえし くりかえし
くりかえし くりかえし
水のなかから空をあおぎ見る。
ゆらゆら体は浮いたり沈んだり。
空気を肺にいれて水のもとに帰り、それが泡と消えたら空のした。
くりかえしじらされ昇っていく。』
私は古い家に住んでいる。
生まれてからほとんど面識のない、叔母である弥生さんから、なぜだか就職のお祝いとしてこの家を譲り受けた。母の妹とはいえ、贈り物が家、親戚一同もちろん私も驚いていた。
弥生さんからこの家を渡される時、私だけでなく父や母も、嬉しいような申し訳ないような不思議な気持ちでいっぱいだった。ただ弥生さんだけが、至極当前とゆるやかに佇んでいた。
大学を出てから私は、しばらく職につかず、だらだらと過ごしていた。普通に喫茶店で働いたり、陶芸教室に通ったり、少し味見をしては次のもの。そんな落ち着きのない生活をしていた。こういうのをモラトリアムとでも言うのだろうか。安定はないけど刺激はそこそこ。社会人でも学生でもない微妙な自分。小さいながらもたくさんの出来事に巻き込まれ、そこで出会った人たちに、私は優しくされたり騙されたりした。
そんな生活が一年ばかり続いたあと、あまり大きくない会社に就職した。なんとはなしに働こうと思ったのだ。食品を扱う会社で、一人身には十分な給料が出るので文句はない。会社の人たちともまあまあ上手く付き合い、勤めてもう二年になる。
この家は会社から近いし、とても満足している。しかし、なぜ弥生さんはこの家を私に贈ろうとしたのだろうか。近いから、それだけで贈り物に家はないだろうに。今でもその答えは出ない。この古い家に住み始めてからも、やはり弥生さんとの関わりはまるでないのだ。
この家はとても小さく、またとても狭い―私はこの古く小さな家には相応しいと思うのだが―ささやかな庭がある。そして、ひとつの桜の木がそこ居座っている。その幹はいやに太く立派だ。あまりに育ち過ぎたために、ささやか庭ではその木のまわりを歩くのも大変なくらいだ。まるで身体だけは大きく育った頭の悪いバカな子供のようだ。
この古い家で私は日記を見つけた。見ようによっては、古くも、また新しくも見える日記を。
タバコの煙の余韻が残る台所から、歪んだ窓のなかの桜を見る。小さな庭の大きな桜の木は、古い家を侵食するかのように広がり、木の枝が木の壁に触れ、家のなかに入ろうとずうずうしくも優しく家を覆っている。
『あの人が誰かとしゃべってる
あの人が誰かに笑ってる
いろんなちっちゃいことまできになって
ぼくはとても暗くなる
そんな自分がいやで
すぐにいらいらしてしまう
きにしちゃだめ
きにしちゃだめ
こんなぼくは、ぼくが思てるボクじゃないよ
ぜんぜんちがうんだ
だからこころの裁判官は―だめですよ―って
ずっと言てる小さな声で
心のなかでぼくをいじめてる
ちくちくちくちく
けど ほんとにそうかなぁ?
あの人がきになったらダメかなぁ?
おもっちゃいけない気持ちってなんだろう?
きっとぼくが、ボクってこう!ってかってに思ってるだけなんだ
ボクはいちまいだけじゃない
なんまいもページがあって ページが集まって とじられる
ぼくは一冊の本
あの人が気になるボク
あの人を思って悲しくなるボク
そんなことを考えているボク
夢をみるボク
みんなボク
ひとりのボク』