鉄の司祭の死
鉄の司祭と呼ばれた白木真和の死期が近い。
その知らせは国中を駆け巡り、人々は涙とともに教会に馳せ参じた。時の国王すら白木のベッドの傍らに跪き、自身の罪と赦しを乞うた。
白木は老衰でやせ細った身体を簡素で清潔なベッドに横たえ、あの日のことを思い返した。
あの日、妹が吊るされた日。そして自身が『鉄の司祭』と呼ばれる契機となった日。友を失った日のことを。
数十年前、白木と妹の白木紗和は教会の修道士であった。芯のある兄と、朗らかな妹は教会内でも高く評価されており、住民からの信頼も厚かった。
そんな彼らに国からの要請が入った。
反乱を起こした領主の城に使者として出向き、降伏勧奨の文書を渡せとのこと。
紗和は博愛と正義に満ちていた。反乱の知らせに心を痛めており、真和に『私が行く』と手を挙げた。
真和は止めなかった。
反乱軍の城は既に王国軍に包囲されており、さらに使者である修道士に危害を加える恐れなどない。
そう、思っていたから。
紗和が城に入って数刻、城壁から何かが乱暴に投げ出された。紐でくくられた『それ』の正体に気付いた他の修道士が真和の目を覆った。
しかし彼ははっきりと見た。
裸にされ、足首を吊られて城壁に晒された紗和の姿を。
使者、それも修道士に対する暴挙に王国軍は殺気立ち、もはや流血は避けられないと近隣の住民は皆震えた。
真和は次の使者として名乗りを挙げた。
ヤケになっていると止められた。
しかし彼はあくまで冷静に応えた。
「血を流さないために手を尽くすこと。それが私の使命であり、神の意志であり、そして妹の正義です」
真和が書を携え城に乗り込むと、領主の首を携えた兵士が平伏して彼を迎えた。
聞けば、非武装でやってきた修道士に対するあまりの仕打ちに疑念を抱き、『暴挙』に及んだ者を根こそぎ討ったとのこと。
真和は兵士の手を取り、これ以上の犠牲は無用だと伝えた。兵士は涙を流し、降伏の勧奨を受け入れた。
この話は協会のみならず王国にまで及び、真和は讃えられ、その鉄の如き強固な意志から『鉄の司祭』とのちに呼ばれるようになった。
多くの人々が白木のもとを訪れるようになったが、白木兄妹のある友だけは、彼のもとを去った。
「なぜ皆殺しにしなかった」
彼女の目にもえる怒りの炎は、今も白木の心を焼いている。
「白木様、お客さまがお目通りを願っております」
お付きの声に、老年の白木はうっすらと目を開く。
「どなたでしょうか」
白木の問いに、お付きは深々と頭を下げた。
「女性で、『三羽烏』と言えばわかるとだけ」
白木は思わぬ言葉に身を起こした。お付きが慌てて支える。
「ありがとう。通してください。あと、できれば二人きりに。古い友なのです」
お付きは困惑した様子で眉をひそめるも、すぐに「仰せのままに」と引き下がった。
白木はベッドの背もたれにもたれ掛かった。
しばらくしてノックもなく、扉が開かれた。
深くフードを被り、全身を覆い隠すローブを纏った小柄な人物がするりと音もなく入室する。
つかつかとベッドに近づき、おもむろにフードを取り外した。
彼女は、紅子は、過去のままの姿だった。
年を取っていない、黒髪は艷やかで瞳は爛々と輝き、全身から力が溢れている。
「老いぼれたね」
「年を取るのも悪くはないものですよ」
「アタシはご免だね。身体が使いもんにならないのはともかく、感情まで風化するくらいなら」
紅子がどっかりと椅子に座る。
どんな魔術を使ったのか。どちらにせよ教会の禁忌に触れる何かだろう。
だが、白木に紅子を追求する気は無かった。
白木自身、かつて魔術を学んでいた。教会に仕える際にキッパリと手を切り、今となっては白木が魔術を体得していたことを知るものは、紅子しかいない。
紅子が暗紅色の瞳でじっと白木を見つめる。
「あの日のこと、忘れちゃいないだろうね」
「はい」
紗和が無残に殺された日。あの日のことを忘れたことなど一日たりともない。
「今日来たのは死に水を取るためじゃない。シンプルに聞くよ。紗和を助けたいか」
白木は紅子をまっすぐに見つめる。
『助けられたら』ではなく、『助けたい』か。
「ええ、もちろん」
「そのためなら何でもするか」
「はい」
「よし」
紅子が自身の懐に手を入れ指輪を取り出した。
「今からあんたを『未来』に送る」
「『過去に送る』では」
紅子が首を振る。
「どうやっても『過去』は変えられない。変えられるのは『今』と『未来』だけだ」
白木は「そうですね」と頷いた。
紅子が指輪の側面に細い指先を当て、すーっとなぞる。やがて一周をなぞりきってしまった。
「この世界はループしてる。この指輪みたいにな。何日とかの単位じゃない。何百年、何千年のループだ」
唐突な話に白木は何とか頭を奮い立たせる。
「紗和が殺された『過去』は過ぎ去ったけど、またいずれそのターンが来る。だから紗和を助けるには『未来』を変えるしかない」
「『未来』を変えることが、何百年後のループしたあとの『新たな過去』に繋がるということですね。つまり、紗和が助かる『未来』になる、と」
紅子が力強く頷く。
白木は目を閉じた。
あまりに荒唐無稽。常識からかけ離れた話。さらに紅子は教会の異端に染まりきっている。
司祭としては、諭すか、邪な考えを広めぬよう捕縛すべきだ。
しかし。
紗和が殺されてから、白木は正義と博愛を貫き通した。どんな理不尽に出会っても、彼の信念は曲がらなかった。いや、『あれ』より酷いことはないと諦めていたのだ。
死の床に着いた白木に、紅子の訪問が抑え込んでいた爆発するような怒りを思い起こさせた。
なぜ紗和があんな目に遭わないといけなかったのだ。
なぜ私が、いや俺が妹を行かせた自責に苛まれなければないないのだ。
なぜ妹を辱めた連中に自ら手を下さなかったのだ。
白木は目を開いた。穏やかに死を迎える目ではない。後悔と怒りに身を焦がれる目だ。
紅子がようやく笑った。
指輪から光が漏れ出す。霧に包まれるように白木は光の渦にのまれた。
「あんた一人では行かさない」
白く染まった視界の中、耳元で紅子が囁く。耳に彼女息がかかる。
「未来であたしを探せ。なんとしても。何をしても」
鉄の司祭の白木は死んだ。
痛みに目が覚める。
白木は自分が何かにもたれて座り込んでいることに気付いた。肩が矢に穿たれたかのように激痛の熱を放っている。思わず肩に手をやると、生暖かい血がどろりとまとわりついた。
白木は己の手をじっと見つめる。
血に驚いたのではない。血に塗れた手にかつての瑞々しさ、張り、力強さが戻ってきたからだ。
「サンキュウども、もたつくな。行け行け」
感傷に浸る間もなく白木が顔を上げると、ガラスのような透明な盾を構えた濃紺の服を纏う男が手を前方に突き出して怒声をあげているのが目に入った。指揮官、だろうか。
白木が周囲を見ると、白木と同じ濃紺の服に黒い防具を纏った男たちが、奇妙な光沢を放つ黒い物を手に遮蔽物に身を隠し、前方をうかがっていることに気づく。
絶え間なく何かが破裂するような音が飛び交う。どうやら黒い物が音の出処らしい。さらに、目には見えない何かに撃ち抜かれた濃紺の服の男が、バタリと倒れた。
白木が顔だけをのぞかせると、同じく大きな鉄の箱に身を隠しながら、派手な服の男たちが黒い物を白木たちに向かって突きつけている。
派手な服と白木たち濃紺の服の兵士たちが戦っているらしい。
「オマエ」
指揮官らしい男が白木を指さす。
「休むな、早く行ってこい」
黒い物は、要するに小型の弓矢か。
白木は自分の足元の黒い物を手に取ろうとし、止めた。使い方が分からない。
白木の仲間と思われる濃紺の兵士たちは、攻めあぐね押されている。指揮官は「行け行け」と言うばかりで作戦も何もない。
こんな所で足踏みはしていられない。
白木は教会に仕えると決めた日に捨てた魔術を記憶の底から引き出す。
遠慮も配慮もいらない。相手が何者で、白木自身の素性すら不明だが、そんなことは些末なこと。
今を生き延びる。紅子に会う。
そのための邪魔はさせない。
白木は自身の肩に手をあて、べったりとこびりついた血に魔力を流す。
「足を貫け」
簡潔に命令を与える。血の塊が鋭いクチバシを持つ鳥に変じる。
「抗うなら、喉を刺せ」
血の鳥が矢のように飛ぶ。
遮蔽物の向う側から叫び声があがる。
濃紺の兵士たちは、突然の出来事に互いに目を見合わせている。
やがて微かなうめき声だけが残った。
血の鳥が、白木のではない血をまとって主の元に帰還する。
白木が手を伸ばすと、ぱしゃり、と血溜まりに還った。
ふとあたりをみると、濃紺の服の兵士たちが、指揮官も含め白木を目を丸くして凝視していた。
白木は一番近くにいた濃紺の服の兵士に近づく。
しゃがんだ姿勢のまま、兵士はじりじりと後ずさる。
白木は彼の前にかがみ込む。
「私の名前は」
兵士の喉がごくんと動く。震える指が、白木の喉を指し示す。
白木が己の喉に手をやると、細い金属の鎖を編んだペンダントのようなプレートがぶら下がっていた。
『3級巡査 白木真和』
なるほど。名前は変わらないのか。
白木は場違いにそんなことを思った。




