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第十四話 翡翠の雨と、慈愛の調律

エルシィ女王の寝所から少し離れた、睡蓮の葉が幾重にも重なる医療天幕。そこでは、アルスの専属メイドであるリィナが、エルフたちの治療に奔走していました。


翡翠色の木漏れ日が差し込む天幕の中は、苦悶の吐息と湿った泥の匂いに満ちていました。

 私、リィナは、額の汗を拭う暇もなく、次々と運び込まれるエルフたちのバイタルを読み取っていきます。

「……ひどい。魔力の回路が、まるで無理やり結び目を作られたみたいに捻れているわ」

 私の固有スキル『万象の調律オール・チューニング』を全開にすれば、彼らの体内を流れる「マナの旋律」が、不協和音となって耳に響きます。世界樹の裏側から漏れ出した瘴気が、彼らの繊細な精神を内側から削り取っている。

「リィナさん! この子の熱、全然下がりません……!」

 助手のミーナが、一人のエルフの少女を抱えて駆け寄ってきました。

 名前はフィオ。まだ十歳にも満たないその少女は、透き通るような銀髪を汗で濡らし、胸元には女王と同じ、黒い蛇の紋様が浮き出ていました。

「……フィオちゃん、聞こえる? 痛いところを、今から私が『直して』あげるわね」

 私は彼女の細い手首を握り、アルス坊ちゃま……いえ、閣下から教わった「透析とうせき」の概念を魔法で展開しました。

 ただ癒やすのではありません。汚染された魔力を一度体外の術式へと引き出し、私の調律で「純化」してから再び体内へ戻す。現代科学の論理を、魔法という術で形にする。それが、閣下の側に居続けるために私が身につけた戦い方です。

「……あ……う……」

 フィオちゃんの呼吸が、少しずつ、穏やかなリズムを取り戻していきます。

 黒い紋様が薄らぎ、彼女がゆっくりと瞼を開けました。その翡翠色の瞳に、私の姿が映ります。

「……おねえ、さん……? あなた、だれ……? にんげん、なの……?」

「そうよ。……怖かったわね。でも大丈夫。私の主……とっても不器用で、でも誰よりも優しい『修復師』様が、この森を全部元通りにしてくれるわ」

 私が微笑むと、フィオちゃんはおずおずと、私のエプロンの端を掴みました。

 人間を「不浄」と呼んで忌み嫌っていたエルフの大人たちが、その光景を見て息を呑むのが分かりました。

「……リィナ殿。……疑ってすまなかった。我らは、人間をひと括りにして、その本質を見ようとしていなかったようだ」

 警備隊の一人が、深々と頭を下げました。

 私は彼を見つめ、静かに、しかし断固として告げました。

「謝罪は不要です。……その代わり、この子たちが二度と泣かなくて済むように、私たちの背中を守ってください。……坊ちゃまは今、玉座で『概念の癌』と戦っています。……あの方を、信じてください」

 外では、子狼のハティが勇猛な遠吠えを上げ、里を狙う瘴気の獣を追い払っています。

 天幕の奥、フィオちゃんの手を握りしめながら、私は祈るように空を見上げました。

(……坊ちゃま。……どうか、ご無事で。……あなたの創る『正しい歴史』を、私はいつまでも整え続けてみせますから)

 翡翠の森に、リィナの奏でる「調律の調べ」が響き渡ります。

 それは、絶望に沈んでいたシルヴァニアに、初めて灯った「信頼」という名の灯火でした。


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