第五話:灰の降る村と「おかしな貴族様」
王都から馬車で揺られること十日。辿り着いた『アッシュランド』は、見渡す限りの灰色だった。
空からは火山の微細な灰が雪のように降り注ぎ、作物は枯れ果て、泥壁の家々は崩れかけている。
「……ここが、私たちの新しい家ですね。アルス坊ちゃま」
馬車の扉を開けたのは、生まれた時からアルスの影として仕えてきた護衛の少年、ロイだった。同い年ながら剣の腕は一流で、実家では「無能の護衛など無意味」と虐げられてきたが、彼は一度もアルスを見捨てなかった。
「ええ、ロイ。それにエレーナ様(叔母様)がつけてくださったこの馬車、少し目立ちすぎたかしら?」
苦笑いしながら降りてきたのは、アルスが実家で唯一「姉」と慕っていた専属メイドのリィナだ。彼女はアルスの修復スキルの価値を早くから見抜き、実家の嫌がらせから彼を庇い続けてきた、芯の強い女性である。
村の広場に集まった領民たちは、泥にまみれた顔で、警戒心を剥き出しにしていた。
「また新しい貴族様か……」「どうせ、残った種籾まで絞り取るつもりだろう」
そんな刺すような視線の中、アルスは驚くべき行動に出た。
絹のローブを脱ぎ捨て、袖を捲り上げると、膝をついて地面の灰を素手で弄り始めたのだ。
「坊ちゃま、汚れ……あ、もう遅いですね」
リィナが呆れたように笑う。ロイは無言で周囲を警戒する。
「村長さん、この灰、どれくらい積もってる? 掘ってみてもいいかな」
「は、はい? 貴族様が何を……あ、いや、三尺(約90cm)も掘れば土は出ますが、酸が強くて何も育ちませぬ」
アルスは村長からスコップを借りると、自ら穴を掘り始めた。
貴族が土をいじるなど、この世界では考えられない。領民たちは「変な貴族が来たぞ」と遠巻きにヒソヒソと囁き合う。
「……よし、ロイ。例の『修復した古文書』を。リィナ、用意した資材を広げて」
アルスが取り出したのは、王都のゴミ捨て場で拾い、密かに修復した『古代エルフの土壌浄化法』の写本だ。
「皆さん、聞いてください。私は皆さんの食べ物を奪いに来たんじゃない。この『灰』を『宝』に変える方法を持ってきたんです」
アルスはスキルの光を手に宿し、修復した古文書に記された「中和術式」を展開した。
さらに前世の知識――「石灰による酸性土壌の改良」を魔法的に加速させる。
「リィナ、運んできた貝殻の粉をここに撒いて!」
「はいっ!」
アルスは領民の輪の中へ入り、一人ひとりに声をかけながら、土の混ぜ方を教えた。
「君、力強いね。ここをこうやって混ぜてくれるかな?」「おばあさん、ここはそんなに深く掘らなくて大丈夫ですよ」
最初は怯えていた領民たちも、自分たちと同じ目線で、汚れを気にせず泥まみれになって笑うアルスの姿に、少しずつ毒気を抜かれていく。
「……あ、あの、アルス様。これ、飲み水です。冷たくないですが……」
一人の少女がおずおずと差し出した、ひび割れたコップ。
ロイが毒見をしようと前に出るが、アルスはそれを制して笑い、一気に飲み干した。
「ありがとう! 美味しいよ。……よし、明日からはこの水をもっと綺麗にする『濾過装置』を作ろうか」
その夜。
村の小さな焚き火を囲みながら、領民たちは語り合った。
「新しい領主様、変な人だったな」「貴族なのに、俺たちの名前を覚えようとしてくれた」「……もしかしたら、本当にこの灰から芽が出るかもしれない」
ロイとリィナが見守る中、アルスは夜遅くまで古文書を広げ、次の計画を練っていた。
実家が「ゴミ」と捨てたこの場所で、アルスは誰よりも泥臭く、しかし誰よりも気高く、新しい国を創り始めていた。




