第六話 影の執事と「概念の改竄」
サバスという男の本質、そして隠され続けてきたその「異能」がついに深夜の王都で解禁されます。
月が雲に隠れ、王都ヘリオポリスが深い闇に沈む頃。
ドルトン侯爵邸の高く聳える外壁を、一条の影が重力を無視して駆け上がっていた。
「……鼠の通り道にしては、少々警備が賑やかすぎますな」
サバスは、純白の手袋を微かに整え、眼下の庭園を見下ろした。そこにはドルトン直属の私兵だけでなく、昼間国境で遭遇した『蛇の抜け殻』の魔導師たちが、異様な魔力の波動を放ちながら回廊を固めている。
サバスは懐から、アルスより授かった集音魔導具を取り出し、耳に当てた。
屋敷の奥、地下へと続く隠し階段の先から、ドルトン侯爵の悦喜に満ちた声が漏れ聞こえてくる。
『……順調だ。世界樹の枯死はもはや止まらぬ。マナが枯れ果てたその時、根の深淵に眠る「太古の門」が開く。我らを選ばれし民として、新たな神の領域へ導くのだ……!』
サバスの瞳が冷徹な赤に染まった。
情報の修復を旨とする主に対し、この男たちは「情報の破壊」をもって自らの神を創り出そうとしている。
「……不作法が過ぎますな。掃除の時間を早めるとしましょう」
サバスが指先を鳴らした。その瞬間、彼の周囲の空間が、水面に石を投じたように「波打ち」始めた。
ここで初めて、彼の隠されていた固有スキルが発動する。
【固有スキル:虚無の編集】
【効果:対象の「存在確率」を操作し、物理的な干渉を一時的に無効化、あるいは対象を「最初から存在しなかったこと」として消去・置換する。】
サバスの姿が、陽炎のように揺らぎ、消えた。
見張りの兵士たちの目の前を通り過ぎても、彼らは風の一吹きさえ感じない。サバスの「存在」そのものが、この空間の記録から一時的に「削除」されているからだ。
地下祭壇。
そこには、世界樹の根が血管のように脈打つ巨大な空洞があった。根には黒い「杭」が何本も打ち込まれ、そこから世界樹の生命力が、一つの禍々しい「卵」のような塊へと吸い上げられている。
(……なるほど。枯死ではなく、強制的な「リソースの転移」ですか。閣下の仰る通り、これは悪質な情報の盗用ですな)
サバスは影の中から、ドルトン侯爵が『蛇の抜け殻』の首領らしき人物と密談している様子を、アルス直伝の魔導記録具に収めていく。
「……何奴だ!?」
勘の鋭い魔導師の一人が、サバスの微かな魔力の揺らぎを察知した。
黒い雷がサバスのいた場所を焼き払う。だが、サバスは既にその背後に立っていた。
「おっと、失礼。掃除人が汚れを凝視しすぎるとは、プロ失格ですな」
サバスが右手を一閃させる。
『虚無の編集・部分削除』。
魔導師が放とうとした次の術式の「発動プロセス」だけが、因果律から消去された。術式は霧散し、魔導師は自分の魔法がなぜ消えたのか理解できぬまま、サバスの掌底によって意識を断たれた。
「……記録は完了。これ以上の滞在は、閣下の朝食の準備に障ります」
サバスはドルトンの執務室から、世界樹の構造を記した「禁断の海図」の写しを鮮やかに盗み出し、再び闇へと溶けていった。
翌朝:アルスの私室
窓から差し込む朝日と共に、アルスはサバスが持ち帰った記録具の中身を確認していた。
横ではロイが剣を磨き、リィナがサバスの深夜の労を労うように、特別なブレンドのハーブティーを注いでいる。
「……サバス、よくやってくれた。……『虚無の編集』まで使わせたのは、少し申し訳なかったね」
「いえ、閣下。……それよりも、あの地下にあった『卵』……。あれは世界樹の情報を喰らい、全く別の『生命の概念』を産み落とそうとしていました。……このままでは、今日中にも第ニ段階へ移行するかと」
アルスは立ち上がり、ミーナが広げたサンライト王国の地図に、昨夜盗み出したプランを重ね合わせた。
「……世界樹を枯らして、自分たちだけの『偽の神』を創るつもりか。……いいよ、やらせてあげよう。ただし――」
アルスの瞳に、賢者としての冷徹な光が宿る。
「――その『偽の神』の設計図、僕が根本から『修復(書き換え)』して、彼らの自業自得という結末にしてあげる」
サンライト王国の朝。
アルス一行は、ドルトン侯爵の「聖別」という名の封鎖を強行突破するため、王宮を出発した。




