第十八話:継がれる剣、編み直される忠誠
夕食後の静寂が流れる領主邸の執務室。窓外に広がる豊かなアッシュランドの夜景を背に、アルスはゆっくりと立ち上がりました。その佇まいは、もはや実家で震えていた少年ではなく、一領地を統べる「主」の威厳に満ちていました。
「……エドワード兄上。食後の休息はここまでだ。ここからは、アッシュランド男爵としての話をしよう」
アルスの声のトーンが一段、低く響きました。敬語を使いつつも、そこには揺るぎない支配者の響きがあります。エドワードは、その圧倒的な存在感に思わず背筋を伸ばしました。
「アルス……その口調、お前は……」
「私はレトヴィスの三男ではない。この地に生きる民の命を預かる者だ。兄上、貴方は実家に戻り、父上とカイル兄様にこう報告するがいい。『アルスは灰にまみれて野垂れ死に、領地は不毛のままであった』とな」
アルスは机の上に、修復したばかりの『王家守護の盟約書』を広げました。そこには現国王の親署と、ラインハルト辺境伯の印が鮮明に刻まれています。
「……! お前、王家派閥の最深部と繋がっているのか? 辺境伯夫人の叔母上だけでなく、陛下直々に……」
「左様だ。私は既に王家の懐刀として、失われた叡智を修復し、来たるべき貴族派との決戦に備えている。兄上、貴方が仕えるレトヴィス家は、私の敵だ。……今、ここで決めてほしい。私を斬るか、それとも――」
エドワードは、アルスの背後に控えるサバス、ロイ、そしてリィナの揺るぎない視線を感じました。そして何より、アルスの瞳にある「新しい世界を創る」という冷徹なまでの情熱。
「……斬れるはずがないだろう。僕は、お前がゴミ捨て場から拾い集めていた『真実』が、これほどまでに美しく花開くのをずっと待っていたんだ」
エドワードは腰の剣を抜き、その柄をアルスに向けて差し出し、膝をつきました。
「『剣聖』エドワード、これよりアッシュランド男爵閣下に、そして王家派閥の正義に、この命を捧げる。私はレトヴィスに戻り、閣下の『間者』として動こう。父やカイルの動きは、全て私を通じて貴方に流す」
「……その言葉を待っていたよ、兄上」
アルスがその手を取ろうとした時、部屋の扉が開き、二人の少女が入ってきました。一人は気品溢れる美しさを纏った第二王女フィリア。もう一人は、元気いっぱいに書類を抱えた領民の少女ミーナです。
「アルス様、夜分に失礼します。例の古文書の翻訳が……あら、そちらの方は?」
「紹介しよう。エドワード兄上、こちらが我が領地の賓客、フィリア王女殿下だ。そして、私の大切な助手であり、領民の代表であるミーナだ」
エドワードは、王女がこの「死地」に滞在している事実に再度、言葉を失いました。
「ひゃあ……! この人がアルス様の本当のお兄様ですか? すっごく強そう……! 初めまして、ミーナです!」
「……第二王女殿下まで。アルス、お前は……いや、閣下は、私が想像していたよりもずっと高く、遠い場所を見据えておられるのですね」
エドワードは、自分たちが守ろうとしていた「レトヴィス」という器がいかに小さく、歪んでいたかを痛感しました。
「兄上、頼みますよ。貴方はレトヴィス最強の『盾』であり、私の最強の『目』だ」
アルスの不敵な微笑み。
実家という名の鎖を完全に断ち切り、アルスは「兄」という最強の駒を手に入れました。
灰色の領地から始まった革命は、今、王都の心臓部へと静かに根を伸ばし始めました。




