第十七話:追憶の食卓と、受け継がれる「情」
領主邸の私室に用意されたのは、豪華な晩餐ではなく、どこか懐かしい匂いのする質素ながらも心のこもった夕食でした。
テーブルに並ぶのは、アッシュランド特産の『灰金麦』をふっくらと焼き上げたパン、採れたての温野菜のスープ、そして母マイが愛したレシピを再現したハーブ煮込みの鶏肉。
「……これを、エドワード様に」
リィナが、銀のトレイからスープの皿をエドワードの前に置きました。
エドワードは、湯気の向こう側にいるリィナの顔をじっと見つめます。リィナの母は、かつてアルスの母マイに仕えた筆頭メイドでした。リィナ自身もまた、マイの最期まで寄り添い、今はその息子であるアルスを「姉」として支えています。
「……リィナ。変わらないな。昔、僕が父上やカイルの目を盗んで、アルスの小屋に食べ物を運んでいた時……お前はいつも、黙って扉を開けておいてくれた」
「覚えていますわ。エドワード様が、自分の分のデザートを大切そうにナプキンに包んで、震える手でアルス坊ちゃまに差し出していたこと。あの時、エドワード様がアルス様に与えてくださったのは、食べ物ではなく『生きる希望』でした」
リィナの言葉に、エドワードは視線を落としました。
彼の傍らには、アルスの護衛としてロイが音もなく控えています。ロイの父は、マイの実家である騎士伯家に仕えた従者でした。戦火で騎士伯と従者が共に果てた際、身寄りを失ったロイを、マイは「アルスの片腕に」と引き取り、実の息子のように育てたのです。
「……ロイ、お前も大きくなったな。あの頃はいつも僕の剣の訓練を、遠くからじっと見ていたのに」
「エドワード様の剣技は、今も私の目標です。ですが、今は……私はアルス様の盾。貴方がもしアルス様に刃を向けるなら、私はたとえ『剣聖』相手でも引きません」
ロイの静かな、しかし鉄のような意志がこもった言葉。
アルスは、そんな二人を慈しむように見つめながら、パンをちぎって口に運びました。
「お兄ちゃん、食べてよ。このパン、リィナが今日のために特別に焼いてくれたんだ。……お兄ちゃんが昔、僕にくれたあの冷めたパンよりも、ずっと温かいよ」
エドワードは震える手でスプーンを取り、スープを一口啜りました。
喉を通る温かさが、凍てついていた彼の心を溶かしていきます。
「……美味しいな。アルス、こんなに美味しい食事、僕は王都でも食べたことがないよ」
「それはね、お兄ちゃん。ここにあるもの全部に、『理由』があるからだよ。母様が残してくれたロイ、リィナの家系……そして、僕たちのために命を懸けてくれた騎士伯家の人たち。その全てを僕が『修復』して、この場所に集めたんだ」
窓の外では、火山灰を防ぐ魔法の天蓋の下で、領民たちの笑い声が微かに響いています。
かつて物置小屋でひっそりと分け合っていた「施し」の食卓は、今、自分たちの力で勝ち取った「誇り」の食卓へと変わっていました。
「……リィナ。済まなかった。今まで、お前たちに苦労をかけて」
「いいえ。……アルス様がこうして立派な領主となられた今、母も、そしてマイ様も、きっと空の上で微笑んでおられますわ」
リィナは優しくエドワードにワインを注ぎました。
それは、失われたはずの騎士伯領の古いブドウの苗木から、アルスのスキルで蘇らせた、奇跡の雫。
四人の間に流れる時間は、悲しい過去を「修復」し、新しい未来へと編み直されていく、ささやかで尊いひとときでした。




